発達障害を増殖させる【無我】が理解できない専門家たち

井上ひさしさんは
『夢のかさぶた』の
脚本を書くうち

「日本語は主語を隠し
責任を曖昧にするのに
都合がよい。
その曖昧に紛れて
多くの人が
戦争責任から
遁走した」と
気づいたわけですが…

日本の古典を読むと

主語がなかったり

自分のことを
公的な場では「私は」
家庭では「お父さんは」
職場で「先生は」
祖母の前で「ぼくは」
と言い換えることを
指しているのですが

これは
無節操ではなく
その場の関係性で
変化させられている
わけですよね。

決して自由でも自在でも
ありません。

これが
【無我】
ってことであり

自分を隠しているわけでも
ないです。

【一太極二陰陽】
ですから

私かあなたか
(陰か陽か)
ではなく
私とあなたの間で
刻々と創りあがりつつ
変化しつづけるものが

主人格なのです。
(基本的には【解離】してる目のですね)

無我であることによって

対人関係のなかで
変化しているものに
敏感に反応できるのです。

関係という
ご縁の発生が基本なので

仏教では【縁起】
と言うのですね。

日本人の知性が
低いことの
現れなんてとんでもない!

河合隼雄の死によって
この研究が
頓挫しているから

―なにも
河合隼雄のせいではありませんが
信者たちが教祖さまの
お言葉以外
耳を傾けないので―

要するに
無我が理解できない人たちが
他人を評価するから
心理療法が
凶器となり

自殺者増加の片棒を
担いでいるのです。

ちなみに…
翠雨の画像は
横山大観の
『無我』です。

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