『レッドタートル ある島の物語』で考えるPTSD哲学

 

どこから来たのか

どこへ行くのかは

普遍的な哲学的命題ですね。

 

ここはどこで

今はいつなのか

夢現のまま

(架空の本当の意味)

「いのち」の脈絡で考えるのが

瞑想の基本です。

 

水の表現がよいと評判のようです。

言わずと知れた

無意識の物語ですね。

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=0T3soLrQLfc

『レッドタートル ある島の物語』で考えるPTSD哲学」への2件のフィードバック

  1. franoma

    海=無意識界に潜るシーンですね。
     私事で恐縮ですが父方は海軍系で、父は「伸(←ノシ)」で長距離を泳ぐことができました。
     明治以降の西洋風な公教育システムでは何たらリテラシーばかりが重視され、
    抜けている身体操法には、泳法もあり、それは呼吸法や脱力、ストレッチ、「筋膜リリース」などと密接に関連していますので、温故知新で研究しなおして公教育に取り入れると良いかと思いました。
    http://www.chiba-c.ed.jp/awakou/homepage/sc/club/sports/h_t_swimming/eihouzukai.htm
    公立高校のクラブ活動でなさっている例もあるのですね。

    放射能汚染が蔓延している現在、どこで泳いで良いのかは、予防原則に基づいた検討(←アセスメント)を行ない(←「あなたが死んでも気にしない」ネグレクト状態に落とし込まず「安全確保」をした上で)地域ごとにルールを決める必要があります。そのルールは、お上が勝手に決めてはならず、現実に泳ぐ地域の子どもや大人が十分な情報を開示されて自分らで合議して、合意形成を行なうことがポイントですね。そうすることは「反権力」とか「アカ」とかいう話ではありませんね。誰の人格権も生存権も蹂躙してはならないというだけのことですから。

    東京オリンピックのボート競技をどこでやるかは、問題ですね。
    現状では、不参加を決める国が増えそうです。
    情報開示が不十分なので、IOCで嘘ついて誘致したと言われています。
    返上するなら今が最後のチャンスではないかと思われます。
    「好きじゃないんですか、オリンピック?」
    などと言って、心が傷ついているクライアントさんを
    心理操作で動かすのは人道上の罪です。さような人道上の罪を犯す人物が「リベラル」に分類されているのは間違っています。他国の政府転覆を謀ったりモンサントからカネをもらったりしていらしたヒラリーさんが「リベラル」に分類されるのも間違っているでしょう。

    心理操作をガンガンなさる女性大学人については、以前、
    翠雨先生のブログ記事にコメント
    http://bit.ly/1TOjrES
    を書きました。

    「安全確保」を進め、
    PTSD予防学習を広めて、
    これ以上、PTSDを蔓延させないことが焦眉の課題です。

    返信
    1. wpmaster 投稿作成者

      「泳げない」と話にならない物語のようです。
      主人公の男性は基本的な身体能力が高そうです。
      洗脳により蔓延しているセルフネグレクトなどしていられない世界です。

      オリンピックでどの海を使うかも大問題ですね!
      「情報社会」というのは、「情報操作」をした悪党が勝者に収まる社会のことみたいですね。
      被害者が出ないように「研究」「教育」が必要だと改めて思いました。

      返信

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