#ボブ・ディラン PTSD解離性負の連鎖の 『 #激しい雨が降る ♪』の象徴性

ノーベル賞の授賞式で

その場にいないのに

最も注目された

ノーベル文学賞を授賞の

ボブ・ディランは

難解だと言われていますが

それは

【空】の哲学や

【象徴性】によるものでしょう。

 

東京大学の

阿部公彦准教授は

授賞式で

ディランの代役で

パティ・スミスが披露する

「はげしい雨が降る」は

母が息子に問いかけ

息子が応答するという形式で

メロディーはいかにもフォークソングなのに

「1万人の人がしゃべっていたけど

みんな舌を斬られていた」といった

ダークな表現で

「聞いていると不安になる」

「違和感のかたまりみたいな曲」と

お書きですが

 

 

 

 

中島みゆきなんかも

似たような『キツネ狩りの歌♪』を歌い

今は相当変貌しています。

 

 

歌い手は

集合的無意識の提示する

象徴性を表現する巫女みたいなものですから

表面的な作風を見ていたら

定義を拒絶されているように見えるのでしょう。

河合隼雄なんかも

その手の勘違いが甚だしかったです。

だから

本邦ユング派は

ダメなんですね。

 

こういうふうなことをして

感情を発散させ

カタルシスを得たい人が

世界中にいるから

 

こういう人が出てくるのです。

 

前置きだらけになりましたが

『激しい雨が降る』は

 

子どもが母親に

怖い思いを語り

次に聞いたときには

その世界に入ってゆくと

淡々と語るという構成です。

 

傾聴しないと危ないんです。

 

パフォーマンスの踊り手も

一生懸命踊ってますが

注目度は

人それぞれですね。

 

PTSD問題の注目度も

似たようなものだと思います。

 

 

フロイトが

無意識の欲動を「es」と名付けたのは

 

ドイツ語の

「雨が降る」からでした。

 

雨を降らせているものが

日本語では「それ」

英語では「it」

 

その間で勘違いから生まれ

世界に拡散され

定着してしまったのが「id」です。

 

その三つ巴と化したサイバーストーカーが

どんなに怖ろしいか

 

 

あなたにわかりますか?

(教授がご指摘の

ボブ・ディランの

youの

独特の多用を使ってみました?)

 

#ボブ・ディラン PTSD解離性負の連鎖の 『 #激しい雨が降る ♪』の象徴性」への2件のフィードバック

  1. franoma

    http://ameblo.jp/raingreen/entry-12227674676.html#cbox
    にはコメントができましたので、こちらにも関連事項を書きます。

    「日本語ではあいまいになるので、心理療法における虐待行為の温床になっています」という点に同感です。そうした日本語話者の弱点につけこんでいらしたのが、くだんの西洋白人女性心理職ご夫妻=完全犯罪者と言えます。怖ろしいことです。

    日本人が英語を習うときに歌う
    愛 my ミー(=曖昧 http://urx.blue/AgpI な私を…)← I, my, me
    you, you’re you=あなた!あなたは、あなた(← トートロジーですが、英語話者の祈り http://urx.blue/Agpm )← you, your, you
    it(=id=es), it’s…(=それは…です), it ← it, its, it
    …以下略。

    なお、大江健三郎さんの話は、以前、拙ブログ記事
    επιφάνεια
    http://ameblo.jp/aya-quae/entry-10275261918.html
    に書いておきました。♡kyupinさん♡ http://urx.blue/Agq2 も出てきますよ。

    閑話休題、日本語で「雨が降る」とは如何なることなのか、
    歌謡曲が参考になるでしょう。
    https://youtu.be/GcHyU8k0ofE
    https://youtu.be/80XaXSxfPh4
    https://youtu.be/cyWTy-Y081s
    https://youtu.be/FZMWYN8pzG0
    八代亜紀の「凄い」( http://urx.blue/AgrN )歌は、
    「雨」に「降れ」と「命令」しています。

    なお、「雨、雨、降れ、降れ…」と「命令」しているわけではない童謡もあります。
    https://youtu.be/ewAxDvVae38
    こちらは、英語にしたら “Let it be, let it rain…” =無為自然でしょう。

    ビートルズですね。
    https://youtu.be/DFC1xpxTVrs

    返信
    1. wpmaster 投稿作成者

      「雨」は、ものの色を映し、なみだと連想されて、こころを映しがちだったようですね。
      八神純子さんの時代には「水色」になりました。
      昔の人は「みどり」を「あお」と言いましたね。信号機の緑等違和感がありましたが、「蒼」「碧」等を思い浮かべていたのでしょう。
      子どもは、ただ、お母さんが迎えに来てくれて、二重にほっとするようで。
      なかなかおもしろいです。

      白秋も、訪れた土地で、砂を見て、主観的な詩情(私情)を謳います。
      こころの自然と外界にある自然が表裏一体みたいです。

      『Let it be』も今聴くと、魔術的に聞こえます。
      フロイトは、「無意識(id)を在らしめよ」と言ったのですが、「ありのままに」と訳されています。
      「ありのままに」を流行らせたのに、「平和」を謳いすぎて殺害されたのでしょうか。
      あの殺害犯にもストーカー心性があるように思います。

      返信

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