PTSD否認のアドラー心理学会から抗議の刑事ドラマ『嫌われる勇気』

180万部超の大ベストセラー

『嫌われる勇気』を原案に

刑事ドラマとして

大胆にアレンジされた

 

フジテレビ系ドラマ

『嫌われる勇気』が

 

日本アドラー心理学会から

アドラー心理学の一般的な理解とは

大きく異なる見解を広めているとのことで

放送の中止

もしくは脚本の大幅な見直しを

求める抗議を受けているそうです。

 

本邦ユング派なんかも

 

肝心要の

象徴に関して

使えない発達障害が増えているとか

(子どもたちが薬漬けに?)

かぐや姫はわがままだとかとの

(ジブリは仏性だって言ってるよ?)

 

トンデモ理論を堂々と垂れ流すような

ご時世ですから

 

ドラマ(作り物の世界)なんだし

そのあたりは

目くじらを立てるほどでもないような気がしますよ。

 

私は

心理学科卒業の刑事さんに

犯罪は人間関係からなんて言わせている

(サリバンっぽいけど)

その発想を評価してますけどね。

 

ただ

 

アドラー好きな人は

よく「トラウマは存在しない」と言うので

 

「アドラー トラ...」の画像検索結果

 

そこは真逆の

 

 

このあたりが基本になる日を夢見ています✨

 

 

PTSD否認のアドラー心理学会から抗議の刑事ドラマ『嫌われる勇気』」への8件のフィードバック

  1. franoma

    アドラー好きな人が
    よく「トラウマは存在しない」
    と仰るのは、
    「解離はトラウマの影」( http://urx.red/BBkn )という
    現象学的な知見が共有できていないからでしょう。
     しかし、実際問題、解離状態を観察することからしかPTSDへの対処は始まらないわけです。何となれば、現実検討能力を手放して自滅への道を行く際にも、犯罪とされる行為をやってしまうのも、解離しないとできない自滅行為だからです。
     メリーさんは、ご存じなので、私が「解離する権利は誰にもない」とコメントしたら即座に理解なさいました( http://urx.red/BBmK )。メリーさんとは対照的に、私の兄は、アドラー心理学で止まっているので、理解できません。それで、配偶者が理不尽なことをすると、怒りを抑圧して腰痛になったりもしました。でも、人間関係の調整くらいで何とかなるレベルです。今の兄嫁は、他者の人格無視をやるタイプではないからです。兄が腰痛になる結果をもたらした衝突でも、理不尽なことを主張したのは兄嫁の側だったので、現実検討能力を持つ人どうしで話せば兄の言うとおりなのですが、兄嫁としては気持ちが収まらなかったようで、わあわあ泣き喚きながら私に殴りかかってきました。それで私は殴りかかってくる手だけ押さえて、わあわあ泣くのは好きなだけ泣いて、すっきりすればいいと内心、思って、相手をしました。泣きやんだので、「仕事に行けますか?」と訊いたら、大丈夫だというので、時間は十分にあるから顔を洗って、お化粧を直して、パリッと行きましょうねと声をかけました。それで仕事には行けたのですが、職場で誰も私の気持ちをわかってくれないと愚痴ったようです。でも、それくらいのガス抜きは必要ということです。こういうレベルなら、まさしく、心理学科卒業の刑事さんに「犯罪は人間関係から」と言わせてOKですね。もし、兄嫁が私の元配偶者のように凄い腕力だったら、殴りかかられた私は止める力がないので青タンをつけられて「傷害事件」ですからね。青タンをつけられただけなら、すぐには死人は出ませんけどね。暴力で制圧しようとして暴力依存症になっていくと、内容がエスカレートしてしまって、ダメですね。最後は、解離性健忘に逃げ込んで終わりです。もう助かりません。「トラウマは存在しない」どころか、トラウマ複合体が形成されて肥え太っていくので、2001年911のようなことが個人生活にも影を落としてしまうのです。あれが無ければ、私の元配偶者も幼い息子に「私が神だ」などと言わなかったのではなかろうか?…と思い返したりします。父子関係の破綻については、
    http://blog.goo.ne.jp/kmomoji1010/e/6760d7f029bd94d0ea08a9752bac77d6
    にコメントしました。

    「性別によらず米国の良いところだけ学び、ヒラリーさんの問題も米国独特のガラスの天井「ジェンダー問題」ではないことを理解できるようにPTSD現象学を進めましょう。」と拙ブログ記事
    http://ameblo.jp/aya-quae/entry-12246105629.html
    に書きました。

    「目の前でやられてもPTSD否認」(©S先生)という問題を拙ブログ記事
    http://ameblo.jp/aya-quae/entry-12141648807.html
    に書きました。トラウマ複合体という概念なしに出口が見えないのは、最早、自明でしょう。

    返信
    1. wpmaster 投稿作成者

      トラウマが存在する話では困るので、よく考えずに解離して言い切って、スッキリさせているようです。
      脳内麻薬が出ているように見えます。
      そう言ってもらうと救われる人もいるのでメサイア気取りでもありそうです。
      その結果としてのベストセラーですね。

      返信
  2. franoma=あ*

    トラウマに関連して、
    他所さまのブログ記事
    http://kekimura.blog.so-net.ne.jp/2017-04-30?comment_success=2017-05-01T06:37:10&time=1493588230
    に、以下のコメントを投稿してみました。承認されるかは不明です。

    コメント内容:
    「自分のcore belif(日本語だと「何なにすべき」というような考え)に反すると怒りを感じる様です」
    というのがアンガーマネージメント系の発想に限界がある点です。

    何となれば、ただ「怒り」と言っても、それが「解離」言動につながらなければ何ら問題がないのであり、むしろ「怒り」を抑圧することがおフランス語で言う「アンニュイ」つまり「無気力」や絶望、社会生活の放棄や自滅行為(←セルフネグレクト強要の受容)につながるからです。そうした事例は、あちこちで観察できますので、是非、なさってみてください。

    このことをもう少し深く考えてみると、「解離」言動につながる「怒り」とは、「解離はトラウマの影」として理解できますよ。

    どうも、お邪魔しました。
    ===コメント内容おわり===

    「解離はトラウマの影」
    https://duckduckgo.com/?q=%E8%A7%A3%E9%9B%A2%E3%81%AF%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%9E%E3%81%AE%E5%BD%B1&bext=mfp&atb=v60-5__&ia=web
    これが理解できれば、アドラー心理学で止まっている兄も、緑内障がこれ以上は悪化しないかも知れませんね。泣くに泣けないから緑内障になります。

    返信
    1. wpmaster 投稿作成者

      「我々は何か出来事が発生すると、それに意味づけをします。そして、それが自分のcore belif(日本語だと「何なにすべき」というような考え)に反すると怒りを感じる様です」
      なんかこのあたりから、ちょっと違うような気がしました。
      そういう人はあまり一般的ではないような…。

      救急にいると、超現実的で、白黒思考になりがちなのかもしれません。

      返信
      1. franoma=あ*

        コメントは承認され、これまたアサッテなコメレスをいただきました。
        一生、話が通じそうもありませんね。

        “core belief” とは何か?…から問題があるので、
        西洋白人さんたちは、宗教戦争ばかりなさるのに、
        そのことさえ理解できないようです。

        返信

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