「総武線 馬喰町駅で飛び込み轢死事故」安楽死施設よりPTSD予防教育

9時37分頃

馬喰町駅で

人身事故があったそうです。

 

 

事故を報じる掲示板では

 

「安楽死施設 オ...」の画像検索結果

 

毎日毎日人身事故が続くなら

安楽死施設をつくればいいのにと

書かれていますが

 

 

眠れないくらいで

安易に薬を呑まず

PTSD予防すれば

誰でも

幸せに生きることができるんですよ。

 

「総武線 馬喰町駅で飛び込み轢死事故」安楽死施設よりPTSD予防教育」への4件のフィードバック

  1. franoma=あ*

    「眠れないくらいで
    安易に薬を呑まず
    PTSD予防すれば
    誰でも
    幸せに生きることができる」
    という点に同感です。
     ベンゾ系の睡眠導入剤を服薬したことがある私が書いても
    あまり説得力はないかも知れませんが、私の場合も基本は、
    カレン・ホーナイに倣った自己分析であり、
    不眠の最終的な解決は古典的な断眠療法です。
    すなわち、眠れなくても横になるなどして筋肉を弛緩させ、自己暗示も活用して手足を温めつつ「調身」「調息」「調心」をやります。「調心」は、今すぐ解決しないとしても諦めず、別のアプローチを探っていこう、今日のところは休憩を取ろうと心から思い、課題をさておき、無我の境地になることです。
     思えば、ドイツにいた頃から、私は後に配偶者になった欧州白人男性から「問題が山積なのに、なぜ、グースカ寝られるのか?」と問われて、「今すぐ解決しないとしても諦めず、別のアプローチを探っていこう、今日のところは休憩を取ろうと心から思い、課題をさておき、無我の境地になること」=(一時的に)「何も考えないこと」だと答えたのですが、「何も考えないなんてことは、西洋人には出来ないんだ」という返事でした。後に、結婚して日本で家庭生活を営むなかで、夫は狂っていき、自分の実母の代わりに私に八つ当たりをするようになり、兄が私を順天堂越谷病院に丸投げしてくれたわけです。あの病院は、メリーさんが却下なさった病院の一つのようですね。海は見えません。

    翠雨先生の記事では、
    『オランダにおける安楽死届け出制度』
    の画像が出ますが、私は読まないと思います。オランダの後追いは我々には不要ですから。私の父祖にも安楽死を選んだ人や選びたかった人はおらず、私の父も末期がんでモルヒネを一時期使いましたが自ら止めました。ホスピスも一応、検討しましたが、やめて極力、自宅療養にしました。それで良いと思います。父も私もカトリック的ですが、それではカトリック系のホスピスが良いのかというと、違いますね。我々は東洋人なので、アイデンティティのでっち上げをせず、人格無視をせず、歴史的身体=御身をご大切にと互いに挨拶しますので「安楽死」を選択も推奨もしないのです。

    メリーさんのブログ記事からの抜粋は、コメント
    http://bit.ly/ShouchouSakakibara
    に書きました。
     日本における高学歴女性は、得てして単なる西洋白人崇拝&後追いをしているだけの人たちであり、普通の日本人家族においては人間関係をかき乱してしまうだけのようです。残念なことですね。

    返信
    1. wpmaster 投稿作成者

      食べられないとか眠れないというのは、宗教的「行」の柱である「断食」「断眠」の現れ、すなわち自己治癒力(古事記の神々)が作動し始めているときなので、あとはお書きのような自力を尽くして委ねればよいわけで、薬でなんとかしようとすると、「行」の3つ目「断水」の真逆の「水中毒」になったり、瞑想状態(ある種のひきこもり)に入ってゆくべきところにアクチベーション・シンドロームが起きてしまうのも、興味深い現象です。

      「行」で治るなら、薬を戸棚から出すなとヒポクラテスは言うでしょう。
      なので、私も安楽死の本など読む気はなく、人にも、内的に「死と再生」が行われる方法を勧めます。

      「内観療法」なんかもやってみないとわからないわけですが、「理解できないと始められない」と一点張りのある西洋人に対して、「騙されたと思ってやってみて下さい」と言ったら、「騙されているとわかって行うのはバカです!」みたいなことを言ってキレられてしまったと聞いたことがあります。「何も考えないこと」の大切さと同じく、なかなか説明が難しいのだろうと思います。
      「戸は叩いてみなければ、開かれない」の方向で説明すればよかったのでしょうか。

      海の見えるS先生の病院は、少しずつ受け入れを始めておられるようですね。
      学会が妨害するなら、生きた事例を生むことで抵抗すればよいと思います。
      どちらが正しいかは、学会の査読者ではなく、世間が決めることです。

      立場が同じだと、何かと似たような目に遭うものですね。
      人類史的にもそうだから、仕方ないですが。

      返信
      1. franoma=あ*

        「理解できないと始められない」と仰った西洋人は、発想が印欧語ゆえに、ラテン語ベースで、 “intrō-”&“spectiō”(⇔ “extrō-”&“spectiō”)→
        “spectiō” とは、
        https://en.wiktionary.org/wiki/spectio
        鳥を(観て飛び方などで占いをするため)観察する行為です。
        バードウォッチングなどは、そこから派生した文化的社会的な行為でしょう。
        日本人も花鳥風月の観察と写生を文化的社会的な行為として行い、写生は絵画など視覚芸術だけではなく俳句など文学表現でもなされます。観察主体の強化ですね。

        ところで、
        “sympathetic introspection” は、研究社『新英和大辞典』によると、心理学で
        同情的内省〔自己を行為者の位置において考察する人間行為の研究〕
        ということですが、ロンドン忖度機の医師や心理職、大学人らには、できないことなので、神田橋医師も、「治療共同体」を立ち上げてやるのだから精神科医を訴えたりなんかしないようにと予防線を張って「発達障害論」を展開なさったのでしょうね。その辺が理解できておいでの「頭のいい」idthatidさまは、「発達障害論」を批判する人たちに対して、
        “sympathetic introspection” ができない(=初めからする気がない)ため、これからもサイバーストーカー行為と、あわよくばスラップ訴訟を利用しての攻撃を「合法的」に展開していく予定なのでしょう。
         こういうやり口は、アングロサクソンのお家芸ですよね。分断統治とか、借金を返さない方法( http://bit.ly/2l0EnBM )とか…。この短縮系も覚えやすいですね、BMは「お通じ(排便)」か「嫌な奴」でしょう、En=“European norm” ですかね。“2l”が “2×50=100” なら、
        1000 “European norm” で「嫌な奴」。
         テンプル騎士団(=神殿騎士団)結成は1119年末か1120年。東京オリンピック開催予定が2020年なのは百年早い…っていうことですかね。
         ところで、テンプル騎士団(=神殿騎士修道会)
        “Pauperes commilitones Christi templique Salomonis”
        は、
        ブリタニカ百科事典によれば、
        「フランス王フィリップ4世は,修道会の権勢への恐れと財産を没収する意図で,教皇クレメンス5世に働きかけて1312年3月22日修道会を解散させ,2年後(修道会の最後の)修道会総長ジャック・ド・モレー(Jacques de Molay)を焚殺(←火刑に)した。のちのフリーメーソンはこの修道会に由来するといわれる」そうです。
         フィリップ4世がフランス絶対王政を確立して
        http://www.kobemantoman.jp/sub/56.htm
        『百年戦争・勃発への道程
        〜フランス王家の伸張とイギリス王の反撃〜』ゆえ、この辺りから私の元配偶者の御先祖さまも欧州大陸と英国と両方に知り合いがいて、後に(って二百年ほど後ですが)宗教戦争でロンドンに亡命という流れなのでしょう。

        話は戻って、日本人ならば、茂林寺( http://bit.ly/BunbukuChagama )の逸話を思い出し、「化け競争」の末に茶釜から戻れなくなった挙句、見世物として暮らすしかなくて無理が祟って病死するタヌキにならないようにしたいものです。
         実は、我が家でも兄が公立小学校の春の遠足で茂林寺も回り、母へのお土産が分福茶釜の置き物だったので、母が色をなして「どうして分福茶釜なの!?」と問い詰めました。私は「化け競争」の末に茶釜から戻れなくなったタヌキというのがドンピシャリだと思いましたが悪いので言いませんでした。兄は「お母さんには、なんとなくタヌキがいいと思って」と答えました。小学生のクソガキが「なんとなく…」したことなので、憤慨しても意味がありません。父は、「この置き物、実にいいよ、ほら、可愛いじゃない」と兄を庇い、とりなしましたが、無駄でした。父は、敗戦後の食糧難で(大空襲の後、焼け野原の)東京にて痩せたタヌキを捕獲し、動物園に連れて行って、飼ってもらえないか訊ねたところ、動物園も今いる動物さえ十分に食べさせてやれないので、こういうご時世だし、あなたが(タヌキ汁にして)食べれば?…と言われ、仕方ないので東京の西の山間部へ連れて行って逃がしたそうです。皇居のタヌキ( http://bit.ly/2mZ5Dzt )さんは、当時、どうなさっていたのでしょうか。

        大元の話に戻って、
        「理解できないと始められない」と仰った西洋人は、発想が印欧語ゆえの壁にぶち当たっておいでなのかも知れませんね。 “theory” なしの “practice” は始められないのでしょう。「騙されているとわかって行うのはバカです」ので。ロンドン忖度機の「発達障害論」詐欺は、今や誰の目にも詐欺と思えるようになってきましたから、今さら「騙されていると判って行うのはバカ」というのと同じですね。

        返信
        1. wpmaster 投稿作成者

          元気になってゆく人たちを観察できれば、やってみようと思われたかもしれません。
          占いの理論を学んでから占ってもらう人はあまりいないと思いますが、心理療法はある程度知識を得て受ける人が増えました。

          化けモノ競争をしているうちに「見世物」になるというのは、本当に象徴的なお話です。

          怖ろしい心理学を輸入してしまって困ったことですが、騙されるのが好きな人が多いので、成立してしまったわけですね。

          返信

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