虚構から飛び出し表現し始めた「PTSD」の現実

京都アニメーションで

34名が亡くなった 放火事件を配慮して

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フジテレビは

放火殺人事件をテーマとした

明日放送のドラマを

「監察医 朝顔」の画像検索結果

第1話と第2話のダイジェストに

差し替えることにしました。

事実は小説よりも奇なりと言いますが

事件の印象が強すぎて

ドラマの世界に入ってゆけないということもあるでしょう。

吉本興業の

芸人さんの謝罪会見についても

「吉本謝罪」の画像検索結果

こんな姿を見てしまうと

もう笑えないので

こんなことをさせた

猿回しの猿が

親方である猿回しの脅しにのらず

自分の意志で

謝っている。

吉本という会社は

明日は社長が会見

一番してはいけないことをしたと

批判されています。

売れ筋を計算して

登場人物が動く作品は

三文小説と呼ばれます。

作者が登場人物をコントロールできなくなり

(瞑想状態による創造)

どこにゆくかわからない状態になると

佳境に入るわけですが

集合的無意識の暴走を止めてハッピーエンドにするか

観客がひとりもいなくなるような悪夢にするかは

人間次第ですね。

PTSD予防教育は人類を救うのです。

虚構から飛び出し表現し始めた「PTSD」の現実」への15件のフィードバック

  1. Rinko

    こんにちは。
    集合的無意識の暴走を止めるというのは、社会の常識や目に縛られずに、という風に捉えて差し障りないでしょうか…? 瞑想をすれば虚構の世界から脱することができるということなのでしょうか…。質問が多く失礼いたします。

    返信
    1. 翠雨 投稿作成者

      これだけPTSD事件が発生しているのですから、それに気づくことで、暴走を止めることができます。

      優れた作品やこころの病の治癒は、瞑想状態を経て生まれるということになります。
      いわゆる「瞑想する」というアプローチ(言っている人たちは瞑想が何かよくわかっていない)ではありません。

      返信
      1. ドラゴン🐲

        Rinkoさん&翠雨先生

        おはようございます😃

        ドラゴン🐲も「瞑想」が何を意味しているのかを把握していない人です

        以前は 個人的起きた現象をスポット的に捉える事ではなくて、マクロ的視座からその個人の現象を考える事かと思っていましたーでも、さいきんはそう思うのはもしかしたら現実逃避あるいは妄想してるだけなのかなぁとも感じます

        色々な視点からPTSDを考える事で予防法は見えてくると思いますが、それを一文で表現する事は果てしなく膨大な量のデータを集めて解釈する作業が必要な事であると実感してる今日この頃です

        トラウマという言葉もコンテキストによって色々な解釈のされ方があるし…..最近は予防法を考えるよりも治りかたを考える方が簡単かもしれないっておもってます

        返信
        1. 翠雨 投稿作成者

          最近の会議で「PTSD」「トラウマ」「ラポール」「傾聴」すら、共通認識になっていないことが判明したのでしたね。

          返信
  2. Rinko

    翠雨先生&ドラゴンさん

    確かに瞑想が何かよくわかっていませんでした。アプローチ的なものと捉えていたところがありました。
    いろいろなことが、共通認識に思えていてもそうではないことがわかりました。
    ずっと、いかに繋がり、いかに回復の機会が得られるか‥そして、治りかたについて考えていました。繋がるにはまずやはり診断と思っていましたが、最近では他の道もいろいろあるのかもしれないと思えてきました。治りかたはラポール、お話、イメージ、グループ、箱庭、CPTSDについての学び、当事者研究、その他浮かびましたが、選べる機会が与えられるチャンスに開かれていること、とはいっても崖っぷちでもない限り取り組もうと思う人は少ないかも知れず……するとすると……
    世にす棲むCPTSDの方々は実際どのように回復している?のでしょうね。

    返信
    1. 翠雨 投稿作成者

      「ラポール形成すればよい」「お話すればよい」「イメージすればよい」「グループに参加すればよい」「箱庭すればよい」「CPTSDについて学べばよい」「当事者研究すればよい」と言い替えても、同じことですね。言葉のマジックです…。

      私の印象では、崖っぷちでも取り組もうとせず(向き合うくらいなら死を選ぶくらいの気概すら感じる)、回復していない人が多いように思います。
      それほど容易ではないのでしょう。

      返信
      1. Rinko

        ((((゜д゜;))))ガビーン
        同じこと…
        言葉のマジック…
        頭の中が大嵐です。
        崖っぷちでも向き合うくらいなら死を選ぶ…
        今、もう八方塞がりの心境です。
        当人のやる気がない限りということなのかなと思えましたが、やる気があったとしても…
        確かに自分の胸に聞いてみた時、そう簡単とは思えず、綺麗な完治はないという思いに至り、ネバーネンディングストーリーで生きていくしかないと自身は思っていたのでした。

        返信
        1. 翠雨 投稿作成者

          「成る」ものなので、これさえすればいいという方向性では答えが出ないのです。
          薬を飲めばよいという話と同じで、そういう発想を止めることです。

          返信
          1. Rinko

            おはようございます。
            Г成る」ものとはどういうことなのでしょうか?頭が堅いのかいまいち理解できない自分です。発想の転換が必要です。

  3. ドラゴン🐲

    ドラゴン🐲なんか、ほんの数年前まで「瞑想」= 「座禅」と思ってましたー単純に床に座って目を閉じる行為の事だと……

    崖っぷちに立っても気がつかない人が大勢いる事をこの3ヶ月で学ばさせていただきましたー確実に脳のダメージで身体症状が出ているのにそれでも薬がやめられない人ーそれをサイケデリックセラピーで治療する人々…..何だかなーって頭真っ白になってしまったドラゴンです

    翠雨先生がお書きの「私の印象では、崖っぷちでも取り組もうとせず(向き合うくらいなら死を選ぶくらいの気概すら感じる)、回復していない人が多いように思います。それほど容易ではないのでしょう。」

    崖っぷちにいるのにそれを直視する事が出来ないかのような人もいらっしゃいますーそれもトラウマのなせる技なのだと想像します

    トラウマ受容出来るかどうかのポイントって何なのでしょうね?

    返信
    1. 翠雨 投稿作成者

      目を瞑る(つぶる)って、どういうことか…ムズカシイですよね。
      道元も「座ればいい」って言いますが、座るってどういうことかという話です。、

      多分、自分に適切な方法をコツコツ実行してみて、それをつかんだ人が治るということなんでしょう。
      一輪車に乗るコツみたいなもので、知的には教えられない感じかな。

      返信
  4. Rinko

    連続投稿失礼します。
    ドラゴンさんへの返事を読ませて貰っていてなんとなく理解できてきました。
    色々書いてみましたが、これさえすればという意味で書いたのではなく、新しい生き方を模索していく上で色々やってみることという意味で、自身にとって良かったものをあれこれ書いてみました。ですが、まだ掴めないものがたくさんあります。

    返信
    1. 翠雨 投稿作成者

      そうなんです。
      どのようなものかは、わかったときのお楽しみです。

      返信
      1. ドラゴン🐲

        全く同感です

        よく、イギリスの治療者が言ってるようにCPTSDはジグソーパズル🧩の1ピースを見つける様なものーでも、その1ピースには色々な要素が含まれてるから、そのピースをフルパワーにして全体図にはめ込むにはかなりの時間がかかるーって言ってます

        ドラゴン🐲も1人のセラピスト(特にメル)だけから受けた治療では今の状態には到達出来なかったと思いますー翠雨先生はご存知ですが、メルとリアルでカウンセリングしていたときにもメルとの対話での気づきをここで翠雨先生とお話しさせていただき、さらにその気づきがもっと自分らしい気づきに変化して行って納得出来る状態になった事ー翠雨先生からメルへという逆バージョンもありましたよねー私が気づきを得てそれを翠雨先生に書いた時に頂いた翠雨先生のお返事のリアクションがメルのリアルでのフィードバックの言葉の表現と全く同じであったことは凄い驚きだったのです

        そして、更に、地元のクリニックのグループセラピーで気づかされた事を また、日本の当事者会でお話を聞く事で自分に適した気づきの選択もできる事を楽しんでいますー自分の宇宙人感覚を俯瞰できる事で更なる気づきが生まれてきます

        人は皆んな違うフィルターを持ってる事をまさに実感してますー名声のあり、人気のあるドクターが言う事でも、自分のフィルターを通過しなければ気づきにはならない事も最近体験しましたー強引に自分のフィルターを取り替えてそういうドクターの言う事にただ服従する事が寧ろ自分の精神症状を後退させることも体験しました

        翠雨先生のブログでよくでてくる集合的無意識を無視しては満タンな気づきは得られない事、そして満タンになったかどうかは時間経過してから気がつく事なのだと思いますー何度もリフレーズしてしまいますが、ラポール形成出来ていたかどうかは後からわかる事だと思いますー最初にラポール形成できたという感覚はナンチャッテラポールだと思いますー患者の治療者に対する思いやり以外の何物でもないーそれだと、患者の感性に着ぐるみ着せる事になっている事に気がついてない治療者がいらっしゃいますけどね

        返信
        1. 翠雨 投稿作成者

          あの頃から、表面的には吉凶混合でした。
          何もわからず、ただまっすぐに経過したことが、よい思い出として、今を支えてくれています!(^^)!

          返信

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