神戸市立東須磨小学校では校長も集団暴行事件をPTSD解離隠ぺい

4人の教諭による

教諭いじめで

神戸市教委の謝罪会見があった

「神戸市立東須磨...」の画像検索結果

神戸市立東須磨小学校ですが

被害教諭が

暴言や悪質な嫌がらせの他に

お尻をたたかれ

みみず腫れができたことも知っていたのに

市教育委員会に報告しなかった

校長の処分も

検討されているようです。

被害教諭が

「大丈夫です」と答えたので

「人間関係のトラブルがあったが解決した」とだけ

報告したそうです。

「人間関係論」というものがわかっていないようです。

いじめ現象はPTSD問題でもありますから

この際

人間関係の病である

PTSDについて学ぶことで

解決を図ってはいかがでしょうか。

そして

公認心理師制度の掲げているような

人間関係論では

「公認心理師」の画像検索結果

学校現場に対応できないことが明らかになりました。

スクールカウンセラーを

公認心理師から選ぶというような

愚策もやめましょう✨

神戸市立東須磨小学校では校長も集団暴行事件をPTSD解離隠ぺい」への2件のフィードバック

  1. あ*=franoma

    「神戸市須磨区にある
     市立東須磨小学校の
     教員が
     同僚の先輩教員4人から
     継続的に
     暴行や暴言を受けていた問題」
    要するに、暴行/傷害容疑があるわけで(立件できれば)刑事事件ですね。

    校長先生は、55歳の女性であり、
    ①加害教員である男性教員3名と女性教員1名に厳重に注意し、反省の弁を聞き、
    ②被害教員に寄り添い、
    ③教員間の人間関係を調整すれば、
    いじめ問題は解決すると思い込んでいたので、その「思い込み」に沿ってではあるものの、「誠実」に対応しました。ところが、被害教員は、出勤しようとして学校が見えてくると吐き気がするようになった(←被害教員は、意識できるレベルでは「大丈夫です」と答えたけれども、心身症=PTSDを発症した)一方、校長は教育委員会には報告/相談していなかった…という社会現象=PTSD現象でした。

    校長先生が問題を隠蔽すまいと会見をなさった真摯な姿には心打たれます。しかし、人間関係の調整でPTSD現象の嵐を鎮静化できると思い込んでいるのは、水島広子さんと同様の勘違いでした。
    水島広子 site:.ameblo.jp/phantom-nightmare
    – Поиск в Google
    http://bit.ly/2M1QtaW

    また、翠雨先生は、ブログ記事中、
    「暴行や暴言を受けていた問題」
    とお書きですが、校長先生は、
    「暴言や暴行…」と仰っています。あくまでも校長先生の意識の上ではハラスメント問題であり、被害教員が自ら「大丈夫です」と答えた時点で「いろいろあってこそ人は生長/発達する。人間関係も《雨降って地固まる》」という認識なのでしょう。つまり、公認心理師法システムの構築/運用に集結しつつある「専門家」と同様、PTSDの視座が欠落しています。

    被害教員が意識レベルでのみ「大丈夫です」と答えた際、その《大丈夫》の使い方は本来の意味から外れており、《PTSD否認》による《セルフネグレクト強要》を受容することにした「決意」を宣言しただけでした。

    “Perpetrator-Victim 関係” を形成して Victim 役になった若手教員が《セルフネグレクト強要》を受容するように言葉掛けで誘導した上で「目にカレーを擦り込む」「ミミズ腫れになるほど尻を叩く」など解離言動を行なった教員は、 “Pさんチーム” メンバー状態ゆえに、目にカレーを擦り込まれて苦しむ他者の姿に「ハッと我に返る」《惻隠の情》はありませんでした。世に言う《サイコパス》状態つまり《良心の解離》状態と言えます。

    《惻隠の情》と《大丈夫》は、セットでしか機能しません。拙ブログ記事に書きました。
    『2019/10/05《惻隠の情》と《大丈夫》』
    | あ~どうしたものか
    https://ameblo.jp/aya-quae/entry-12532809273.html
    実は、ロンドン忖度が先に立つ神田橋医師の場合には、《惻隠の情》だけで《大丈夫》は欠落しているため、結果として巧妙な《アスペ》ラベリング攻撃を実行する “Pさんチーム” を形成する後押しをしてしまいました。
     「隠れ虐待」を率先して実行なさる西洋白人女性も盛んに「大人の連帯」を呼び掛けて、グローバルに大人が連帯して子どもを潰す “Pさんチーム” を形成なさったわけです。証拠が残らない巧妙な「隠れ虐待」が奏功して、彼女のご次男さまはPTSD現象のなかで抵抗する力を削がれて気力を失い、怒りは抑圧され、精神科に行って抑圧が取れた際に母上を殴った…というPTSD現象の嵐…と言えそうです。息子は当時、「殴る相手を間違えなかった点は(精神機能が)正常」と評価しました。キレて誰かを殴ることそれ自体は解離行動=PTSD症状であり、「PTSDに対処せねば倫理は守れない」を地で行っているだけですが。
     発達障害論などで巧妙な《PTSD否認》をやらず、PTSDに対処して倫理を守れる状態になるまで回復していれば、不当な扱いに対しては抗議する表現の自由を行使するでしょう。古今東西、それでプロテストソングが作られてきました。
    https://ameblo.jp/et-eo/
    さんは、“Liar” をお奨めです。
    Liar site:.ameblo.jp/et-eo
    – Поиск в Google
    http://bit.ly/2AZbqwY

    「診断&処方権がある《医師》が《国家資格》ゆえに “dignity” を持つ」として、患者ということに決めた(←例えば kyupin 医師が投影した)人を制圧&社会的に抹殺する特権を持つことにしたのが晋精会&公認心理師法システムの構築/運用に集結しつつある「専門家」であり、李朝プリンスをアホン人の《王様》にすることには賛成しかねる人々の弾圧に勤しんでいる模様です。李朝プリンスのご友人は、晋精会のトップゆえに、患者(ということに決めたら)アンチ・ラポールを徹底して患者に《観察主体》を手放させるために多剤(または単剤でも)大量処方を行い、もし患者が《観察主体》を手放さなかったら患者を射殺する特権を与えてくれ…というのが本音です。

    香山リカさんは晋精会ではありませんし、9条の会メンバーだそうですが、
    「診断&処方権がある《医師》が《国家資格》ゆえに “dignity” を持つ」という表面的な観察しかしないDSM精神科医ゆえ、臨床心理を専門とする人にも《国家資格》を付与すれば、その人が “dignity” を得て問題解決ができる…という仮説を立てて、その仮説が正しいとして森喜朗さんに後ろ盾になってもらって(←政治権力者による権威づけを狙う医学者/心理学者としては品のないアプローチで)臨床心理士の国家資格化で “privilege”(←特権)のゲットを目論み、旗振り役を演じていらしたのでした。しかしながら、それはポシャって、香山リカさんは、“デジタルメディスンの露払い役 acting out” にロールプレイを変更なさいました。
     《PTSDの視座》が欠落していると「“dignity” を得て問題解決ができる」という仮説が単なる作業仮説であると認識できず、「仮説=事実」という妄想に浸かり切った科学リテラシーが低い状態に陥ることがある…その一事例が香山リカさんでした。息子が年端のいかない頃から話してきて、香山リカさんは、科学リテラシーが低い状態という結論になりました。
     そもそも、DSMマニュアルは、科学哲学も宗教哲学も一切の哲学なしに、DSM派の精神科医が多数決で決めるものゆえに、ただの数の暴力です。そのような数の暴力によって他者に対して《うつ病》ラベリングを行ない、服薬リスクを取らせる特権(← privilege)を行使した時、ターゲットにされた他者の権利は蹂躙されています。
     例えばいわゆる子宮頚がんワクチン(←HPVワクチン)の強要は、憲法で国民に保障された基本的権利=“the privilege” の蹂躙になるから《憲法違反》です。さらに、李朝プリンスをアホン人の《王様》にするため、憲法を変えようとしている政治勢力がありますが、世界人権宣言を共有する人類社会では、基本的人権《fundamental human rights》は(憲法とは無関係に)誰しもが持っているものです。

    「他者の “body” に介入する医師や看護師のほか、臨床心理を専門とする人にも《国家資格》を付与すれば、心理職が “dignity” を得て《問題解決》ができる」という仮説が間違っていました。ここでいう《問題解決》とは、「ヒトが出てくる現象に於ける政治(← body politics を含む politics)的/社会的な混乱に対処する」ことゆえ、まず、「ヒトが出てくる現象学」=《PTSD現象学》を進めて、“見たくないものを演じさせられる悲劇” を認識し、さような役柄を “acting out” する《PTSD解離》言動に陥らないで済む(←「まだ起きていない不幸を回避」する)ように PTSDに対処せねばならない…ということですから。
    “見たくないものを演じさせられる”
    – Поиск в Google
    https://bit.ly/2tVLdvW

    国家資格の “dignity” ではないのに、スクールカウンセラーとして “dignity” を得ただけで “《突撃SS隊員女子》acting out” という “見たくないものを演じさせられる悲劇” さえも発生させてしまう…それが《観察事実》です。

    「《国家資格》化」は、機能しないという意味で愚かな《政策》でした。
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    1. 翠雨 投稿作成者

      まるで安談プロレスだなと気づき、記事を書いてみました♪
      集合的無意識のイメージ表現って、本当に興味深いです。

      この校長は、教頭時代に重々、気づいていたみたいです。
      どう逃げ切るかお手並み拝見!ということでしたが、小学校でも指導されそうな「~は~でした」「~ということがありました」「~と思いました」と話をぶつ切りにする作文で乗り切りました。矛盾を突かれても、その時はなぜか気づかなかったという説明をしながら、一方で、そのことについて謝罪したり涙ぐんだりしながら、加担したトラウマ記憶想起を巧みに回避しつつ4時間耐えました。

      校長らが隠ぺいするのはよく聞きますが、自分の指導で問題解決したと虚偽報告する手法は初めて確認しました。
      虚偽じゃないと言うのでしょうが、それなら現実検討能力が病的に低下していて、校長職には不適格です。
      スクールカウンセラーについても、同じようなことが言えるでしょうね。そんなことを不問にしながら、こころのケアをしているのなら、児童らにしてみれば、不気味でしかないです。

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