小林麻央さん「肺とお話」ゲシュタルト療法でPTSD予防

がん闘病中で

痛みがきつかったり

不安に襲われたり

咳が止まらなかったりするそうですが

 

「今日も肺に語りかけて寝よう」

綴っておられました。

 

「空の椅子療法」の画像検索結果

 

ゲシュタルト療法の

「空の椅子療法」ですね。

 

日本にも昔から

そういう感覚はあります。

 

「がんPTSD予防」の画像検索結果

 

「おくわさま」と言って

日頃よく働いてくれる

鍬にごちそうを供えて

感謝の意を表したりしますし

 

 

仏壇なんかも同じでしょう。

 

 

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「がんこころのケ...」の画像検索結果

 

がん患者は

死の宣告を受けているのだから

 

 

PTSD予防が必要だという考え方は

忘れ去られ

 

学校の試験の答案を返すような感覚で

がん告知もなされますが

 

患者さんたちは

自助努力をしているようです。

 

「たべてあげる」の画像検索結果「たべてあげる」の画像検索結果

 

話題の絵本

『たべてあげる』も

 

よく似た内的対話に関するものですね。

 

自分の心身との対話

とても大切です。

 

小林麻央さん「肺とお話」ゲシュタルト療法でPTSD予防」への6件のフィードバック

  1. franoma=あ*

    記事にご提示の絵本では、
    赤く熟したミニトマトの絵がありますよね。前のコメント
    http://urx.red/CHmH
    に(私事でアレなのですが、書いた)アーミッシュが青いうちに摘果したトマトとは違うわけです。赤く熟した実もあるのに、姪が「ママにあげる」と言って、わざわざ青いのを採って家に持ち帰ったのも、兄が仏壇に飾ったのも、意味がある「無意識」のなせる技でしょう。

    姪のママには、理解できる筈です。心理職ですから。

    返信
    1. wpmaster 投稿作成者

      赤いトマトですね。
      これを選んだ理由があるのでしょうね。
      そして青いトマトを選んだことも尊重されねばなりません。

      仏壇の前で、そんなお話をすることもできたわけですね。

      返信
      1. franoma=あ*

        そうです。わざわざ青いトマトを選んで「ママにあげる」のです。パパではないし、姪の食事を出していた私に「これ食べられる?」と問うた訳でもありません。問われたら「アジのフライにするときに、青トマトのフライも作ってあげる」と私は答えたでしょう。姪とは対照的に、4歳下の息子は、初めから塾したトマトしか採って食べませんでした。それでは、姪は、何を食べることができるのかが判断できないバカ=発達障害でしょうか?…オムツが取れるのも遅かったし?…東海大学では、そうなりますね、多分。それで、いいのでしょうか、芦田さんにお訊きしたいところです。

        実は、当時、その仏壇には、姪の母方の祖父母から戴いた「子育て地蔵」と「水子地蔵」のお札が収めてありました。「水子」心理職は、これを如何に理解なさるでしょうか?

        返信
        1. wpmaster 投稿作成者

          つぼみばかり摘む男の子もいました。

          青いミニトマトは漬物にもいいんですよね。
          そう言えば、連なった小さいじゃがいもなんかも使い勝手があります。

          「倒壊大学」「水子心理職」にはちょっと難しいでしょう。

          返信
  2. franoma=あ*

    「肺とお話し」であれば、
    「調息」をなさりながら、
    もの言わぬ身体細胞(=「無意識」を担う歴史的身体)とお話なさったわけですね。
    それは大変、結構なことです。

    少し前に、アメブロさんが内田春菊さんの
    『解決はしません』(2002年、 http://urx.blue/CHAF
    を奨めていらしたので、無料部分だけ拝読しました。
     もの言わぬ身体細胞=歴史的身体とお話なさらないから、
    「パニック障害」ということになっているので、
    「調息」も「調心」もできません。しかし、 “exercice physique”( http://bit.ly/2ovnUb2 )だけは西洋医学的にできているため「セックス依存症」状態です。「シテいる時だけ大丈夫」だそうですから。この先、心療内科に誘導されて「覚醒剤」様の物質依存症=「薬物摂取中だけ大丈夫」という状態に、依存先を変更するのでしょうか?…私には、どうでもいいことなので、先は読みませんでした。どうも、すみません。「こじらせ女子」型PTSD( http://bit.ly/kojiraseGirls )百花繚乱のうちの “one of them” と言えます。失礼ながら、その “one of them” については、拙ブログ記事
    http://ameblo.jp/aya-quae/entry-12249061047.html
    にてもツイートの提示で触れました。フィクションと雖も百花繚乱のうちの “one of them” として片付けられたくないと推察されますが、全員、「こじらせ女子」型PTSD( http://bit.ly/kojiraseGirls )です。「水子心理職」も含めて。

    話は戻って、
    「肺とお話し」であれば、
    「調息」をなさりながら、
    もの言わぬ身体細胞(=「無意識」を担う歴史的身体)とお話なさり、
    ゲシュタルト療法をなされば、
    安楽死か尊厳死を選ばせようとする西洋白人&腰巾着たちの魔手に落ちずに済みます。
    これが理解できないと、「水子心理職」で終わってしまいますね。

    返信
    1. wpmaster 投稿作成者

      一緒にされたくないみたいですが、そういう一群のひとたちが確かにいますよね。
      包装紙がどんどん斬新になってゆくので、人目をひきます。
      文才があって自分で書く人は稀で、多くは口承文学として語り継がれることでしょう。
      「水子心理職」も然りですね。

      返信

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