相模原男児殺害母(26)発達相談を受け子どもをPTSD解離暴行するようになった。

神奈川県で

母親(26)と内縁の夫(29)が

1歳の男児を殺害した事件で

 

母親は

親戚とともに

相模原市の児童相談窓口を訪れ

定期的に助言を受けていたことが

わかりました。

 

「福良有貴」の画像検索結果

 

しかも

当時は

男児の体に

目立った傷はなかったそうです。

 

 

こういうところに行くと

子どもに

向精神薬を呑ませたり

お友だちから離したりして

(支援学級へ)

子どもを虐待するようになるんですよね。

 

「病院に行くと殺...」の画像検索結果「病院に行くと殺...」の画像検索結果

 

臨床心理士を見たら

逃げましょう???

相模原男児殺害母(26)発達相談を受け子どもをPTSD解離暴行するようになった。」への8件のフィードバック

  1. あ*=franoma

    仰るとおりです。

    血脈がどうたらで、私にゴチャゴチャ言ってきた兄の前妻(←当時は離婚前なので兄の配偶者)も、
    自分が摂食障害で周り中のお荷物になっている精神障害者=PTSDでした。
    そのうち、我々に「アスペ」ラベリングによる総攻撃が始まり、
    国際的なデタラメが横行したのです。その一部については、最近、まとめてメリーさんのブログ記事に書きました。
    http://ameblo.jp/8677a/entry-12285871987.html#cbox

    彼らは、臨床心理士を育てる大学人たちですよ。
    臨床心理士をみたら逃げるのが最善ですね。

    返信
    1. あ*=franoma

      補足です。関連することを薬学の先生のところにコメントしました。
      http://kunota506.com/2017/06/24/post-13029/#comment-952
      ヤギではない(=ヤギを「異質な他者」として眺める)ヒトが
      “Brave or Stupid?”
      と問題を立てるのはナンセンスということですね。
      ヤギもヤギなりに実際的な「安全確保」を追求してPTSD予防に励んでいるだけでした。しかし、PTSD予防に励むだけでは、天敵から食われるリスクをゼロにすることはできない…
      当たり前のことですね、何をどうしようとも、リスク零は追求できないのは。
      …というわけで、科学者は、実際的な「安全確保」を追求するのみです。

      発達障害論者の「ライナスの毛布」は、PTSD予防&克服に必要ありません。
      ===コメント内容おわり===

      ゼロリスクを追求するとか、
      PTSD予防&克服には何ら役に立たない「ライナスの毛布」を押し付けてくる心理職たち=臨床心理士に騙されるとか…
      いずれも不毛なことです。これに関連して、他所さまのブログ記事
      『植物工場』
      http://ameblo.jp/minshushugi/entry-12286195626.html#c12939371175
      に、コメント No. 5. 「Re:Re:自然農法」を投稿できました。アメブロさん、ありがとうございます。

      >晴彩(はるさい)さん

      傍から失礼しますが、

      「合理性」と「情緒」を対立するもののように感じるのは、
      何故でしょうか?
      「人間がコントロールした野菜は合理的かも知れないけれど、
      何か足りない物がある」リスクが排除できないというのは、
      その段階での人知=科学技術レベルの限界により、
      真面目にアセスメントをやった場合にも、漏れがあって、間違えるかもしれないという合理性のある=正常な警戒心に過ぎません。

      「そういうわけで心配だからやめよう」と思う人がいるのを
      無視したらダメですよと
      『誇り高い技術者になろう』工学倫理ノススメ
      https://duckduckgo.com/?q=%E8%AA%87%E3%82%8A%E9%AB%98%E3%81%84%E6%8A%80%E8%A1%93%E8%80%85%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8D%E3%81%86&bext=mfp&atb=v60-5__&ia=web
      にも書いてありますよ。

      宇宙現象学では、ヒトは出てきませんので、
      観測して美しい天然(情緒的な満足)と
      宇宙の成り立ちの合理性=秩序の美しさ(情緒的な満足)が得られますので、
      「合理性」と「情緒」とは常に両立します。
      一方、「不合理な形で」自然農法にこだわるヒトが出てくると、困った人だなあと思います。例えば、土壌が放射性物質などで汚染されていると合理的に測定されていて、そういう場所で自然農法にこだわると多かれ少なかれ汚染された作物しかできないので、植物工場で管理するよりも明らかに体に悪いのに、自然農法にこだわるなど。不合理かつ困ったヒト=情緒的にも問題なヒトではありませんか?
      あ* 2017-06-24 17:59:30
      ===コメント内容おわり===
      これには、コメレスをいただき、
      さらにお返事を投稿したら、そちらは蒸発しました。その内容は、以下のとおりです。

      >晴彩(はるさい)さん

      「合理性」と「情緒」が対立する場合は、
      何かしら「昇華」=PTSD克服が必要な事情があるものです。
      そういうわけで、私は、(ヒトが出てくる)現象学者の皆さまに
      PTSD現象学をなさってくださいと呼びかけています。

      科学ならぬ原発利権で、何ら合理性がないのに原発推進や原発再稼働が続くのも、その一例です。推進している人たちは、自分たちの主張に合理性があると勘違いしており、「ゼロリスクは追求できない」から原発事故も乗り越えろと言っていますね。

      しかし、放射能汚染時代に野菜工場を企画するのも、原発を止め
      http://bit.ly/ToiletB
      を回避するのも、いずれも現実的な「安全確保」の追求なのです。発達障害論者たちも含めて心理職や精神科医が大好きな「ライナスの毛布」の話ではありません。現実的な「安全確保」の追求こそがPTSD予防&克服の前提です。
      ===蒸発したコメント内容おわり===

      返信
      1. wpmaster 投稿作成者

        PTSD予防の第一原則「安全確保」がなかなか難しいのは、哲学のない人が多いからですね。
        根気強く説明してゆくしかなさそうです。
        変な科学に洗脳されると、遠回りすることになるので、まずは子どもたちへの教育が大切ですね。

        返信
  2. Ikuko Marie ASAOKA/HISHIKAWA

    「PTSD予防の第一原則《安全確保》がなかなか難しいのは、哲学のない人が多いから」ですし、
    「根気強く説明してゆくしかなさそうです」から延々と折に触れて書いています。
    「変な科学に洗脳されると、遠回りすることになる」どころか命も危ないので、「まずは子どもたちへの教育が大切です」ね。

    「科学めかしても科学にはならない」
    と言い続けております。西洋医学で主流の臓器の集合体としての人体(←解体すなわち人体の解剖によって個別の臓器の機能を推定&研究して認識された解剖学的な認識を《科学的》であると詐称した)ものゆえ、どうしても、
    「脳という臓器の容器」としての素朴実在論&機械論的合理主義から脱することができない(科学哲学が弱い)人が圧倒的多数であることを
    翠雨先生のブログにコメントし、
    リブログ記事に書き足しました。
    ”京阪線六地蔵駅で男子中学生(12)が解離PTSD自殺図り「重傷」”
    https://ameblo.jp/aya-quae/entry-12462843230.html

    ホリスティックではない晴彩さんは、「心(無意識)が傷つく」ことを否認している人々の “one of them” ゆえ、菱川愛さん方式にも無批判&ノーコメントで、「左翼チックな人はPTSDで誤魔化している人もいます」と書いていらしたので、コメントしました。

    “菱川愛さん方式”
    – Поиск в Google
    https://bit.ly/30zv5is

    『品のない世の中』へのコメント
    | 晴彩のブログ
    https://ameblo.jp/minshushugi/comment-12462418518/
    5
    あ*
    誤魔化しではなく社会現象の直視&観察
    宜しければ、
    chihiro onitsuka rasen
    で YouTube をご覧ください。この女性ミュージシャンのファッション&お化粧の変遷を拝見すると、
    「美学が壊れてしまったのか?」
    と危惧することもあるでしょうが、
    殺伐とした社会では「オニババ化」する必要を感じ取って “acting out” する … “struggle for existence” の実際…でしかないのでしょう。

    三砂ちづる氏とダナ・ハラウェイは同じことを言っていますよね。
    “女性の身体性を取り戻そう”
    ≒ 歴史的身体の “sanctity” を守れ!
    歴史的身体は、魂の容れものだから。
    主体性を担うものは、
    “ātman animated by soul”
    なので。

    文化の気品を守るものは、西洋崇拝ではなく憧れでもなく、「歴史的身体の “sanctity” を守る」実践ですよ。《カネの亡者ケイオー》のように、人体実験が大好きな連中は、「歴史的身体の “sanctity” を守る」倫理の構えがなくて、PTSD現象の嵐を引き起こしてしまいます。宜しければ、
    “見たくないものを演じさせられる”
    で、ネット検索なさってみてください。

    どうも、お邪魔しました。
    2019/05/21 09:06:52
    15
    あ*
    Re:Re:誤魔化しではなく社会現象の直視&観察
    >晴彩(はるさい)さん

    “見たくないものを演じさせられる”
    ケイオーボーイの美学があるでしょうか?

    鬼束ちひろは、2001年911後の世界に蔓延するPTSD否認で「オニババ化」したかも知れませんが、美学は壊れていないでしょう。
    2019/05/21 13:24:36

    “見たくないものを演じさせられる”
    – Google 検索
    https://bit.ly/2tVLdvW

    六本木( https://bit.ly/2vRUjNP )&DSM日本版の親分も慶應義塾なのは偶然ではないでしょう。危ないから三田には近寄らないほうがいい…と息子も言うし、私もそうだと思ったことがあります。

    Отправлено с iPhone

    返信
    1. 翠雨 投稿作成者

      哲学がないとダメということが、なかなか理解されません。
      公認心理師に飛びつくような輩は、哲学と聞いて「それおいしい?」「それ役に立つ?」という調子ですから、説明するのは至難の業です。しかし、あきらめてはおしまいですね。
      根気を忘れないようにしたいです。

      科学とか合理性の意味するところの次元が違うんですよね。
      若い人たちのなかには、三砂ちづるさんの提唱にふれて、ホリスティックな意味で歴史的身体を取り戻す作業を親子で行う人たちが現れたのが救いです。
      歴史的身体の意味を勘違いした害悪でしかないオニババは退散すべき時代の到来でしょう。美学がないケイオーボーイも、飲み屋でのボーイのバイト期間中かろうじて存在意味がある陽炎です。

      返信
  3. ドラゴン🐲

    おはようございます😃

    ***「美学が壊れてしまったのか?」
    と危惧することもあるでしょうが、
    殺伐とした社会では「オニババ化」する必要を感じ取って “acting out” する … “struggle for existence” の実際…でしかないのでしょう***

    音楽家の世界、バレエの世界はまさにこの構図がピッタリと当てはまると思いました

    昨日、幼馴染みのKさんとお久しぶりにお話ししたのですー幼少期からずっとバレエを続け、子育て時期は少しバレエから離れていましたがある程度子どもが成長した段階でバレエ復活し、発表会に向けて過酷なレッスンに励む昨今ー美しいバレエという芸術をお披露目する裏側では 多種多様なオニババ間の姑息な足の引っ張り合いが繰り広げられてる事実ーEG. ロッカールームに掛けておいた衣裳が床に落ちて踏み付けられた形跡があったり、レッスン中にはワザと足を出して来て転ばせ様として来たり、ポワントを隠されてレッスンに参加出来なくされたり…というやり取りが普通行われているーKさんは そういう方たちを「大人子ども」と呼んでいましたが、そういう人たちはオニババ化のプロセスにいる人たちですーそんなオニババたちも発表会の舞台ではご一緒に美しいバレエという芸術を生み出していますーそして、Kさんもあらゆるオニババたちに嫌がらせを受けながらもバレエが好きという彼女のホントの感性に気がついてそれを継続してるーそのホントの感性に気がつく事でstruggle for existanceを実行出来ているーってドラゴンは感じましたーそして、ホントの自分の感性に気がつきStruggling 出来る彼女がとっても羨ましく感じますードラゴン🐲にもそれが出来る時がやって来るのかな…って思いました

    返信
    1. 翠雨 投稿作成者

      昔のバレエ物語と何ら変わらないわけですね(笑)
      バレエでは、芸術性、身体と根性、協調性はかなり鍛えられますが、西洋にもオニババにならないように歴史的身体を取り戻しましょうという提唱はあるのでしょうか?
      日本では、病院ではなく山奥でマキ割り等しながら出産を迎え、おむつなしで育てるというような感じです。

      返信

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