
こうして
視覚化されると
圧倒されますね。
年間3万人が
亡くなっているのですから
当然のことですが
このように
形にして
突きつけられないと
見ようとしないのが
私たちの
悲しさです。
こういう場所での
お約束は
スタッフは
司会や進行はしますが
カウンセリングや
心理療法をしない
ということ
だそうです。
予防や対策すら
ありません。
ただただ
悲しみを分かち合い
故人を悼む場を
提供するのみです。
しかし
本当にこの作業ができれば
それでよいのです。
そして
それがいかに
困難だったか
自死遺族はみな
共有しています。
「自死だった」
死因すら
言えなかったのです。
何と思われるか
どう反応されるか
怖かったから…
心理学の教科書では…
アルコール依存の
治療としての
【断酒会】くらいしか
こういうスタイルのものは
なかったです。
治療者や専門家の前では
萎縮してしまう
権威への弱さに
注目し
唯一
この方法が
とられていて
ある意味で
特殊でした。
そして
DV問題が持ち上がったとき
あまりに傷ついている人々に
対して
これ以上傷つけては
ならないという
配慮が生まれ
まずは
専門家が
二次被害防止のため
心理療法の
根本中の根本
【傾聴】
【ラポール】
に徹するように
重々研修されてから
DVシェルターに赴いたものです。
グループセラピーでも
①人の話は最後まで聞く。
②決して非難しない。
というのが
お約束でした。
今の心理療法は
こういう精神をごっそり
失っていて
教科書のどこにもない
上から目線からの指導が
流行しています。
どこに学問性が
あるのでしょうか?
しかし
現場からの大変化の兆しを
感じます。
ゆっくりですが
よい風が吹いてきました。
投稿者「翠雨PTSD予防&治療研究所」のアーカイブ
朝日新聞『獅子頭』第三十五話 歴史や文化を無視した心理療法は殺人である
二順は
教科書に弱く
実技に強いタイプの
料理人のようです。
火の調整や
中華鍋の扱いなんかが
うまくできたら
それで充分だと
思っているようですが
雲紗の父は
料理は
その土地の
歴史や地理に
大いに関係しているから
それを
知ろうともしなかったら
店をやってこられなかったと
注意します。
心理療法も
同じです。
現実に
目の前にいる人を
相手にするのですが
その人の
歴史を無視して
しんどそうだったら
うつ病とか
勉強できなかったら
発達障害とか
そういう見方だけで
励ましたり
医者を紹介したり
するだけだから
そのうつ病を
いつまでたっても治せないし
発達障害を増やしすぎて
薬づけにしたり
絶望させたりしているうちに
死なせてしまうように
なるのです。
なぜしんどくなったのか
なぜ勉強できないのか
その人のこれまでの
歴史と現状を照合しながら
一緒に考えるのが
本当の心理療法です。
また西洋にはキリスト教文化
日本には仏教や陰陽五行説が
あるのですから
癒される物語も
違うわけです。
人魚姫では
絶望が深まってしまうから
『崖の上のポニョ』を
どうしてもみんなに見て欲しくて
宮崎監督は
苦労に苦労を重ねて
泣きながら制作されたのですよ。
沖縄米軍人息子のタクシー強盗容疑と基地周辺のPTSD懸念
軍人さんの
仕事は
集約すれば
殺人や
殺人補助です。
戦争がなくて
訓練だと言っても
やはり
精神衛生を保つのが
難しい仕事
であることには
変わりがないでしょう。
無意識的な
疑問や不安を
強く感じて
防衛のためと
合理化したり
考えても仕方がないと
否認したりすると
PTSDになります。
解離を起こすと
自傷&他害を
犯すリスクが
高まります。
軍人さん自身による
事件も増加していますが
家族の精神衛生も
だんだん
問題になってきているのでは
ないでしょうか?
もちろん
被害者や
基地周辺に住む人々
働く人々の
精神衛生も
問題です。
ミネルヴァ書房『日本の妖怪大図鑑』はPTSD予防ワクチン
昨日の朝日新聞
書評コーナーの
ミネルヴァの広告は
こころの研究の現状の
隠れた秘密を
暴露しているように
感じました。
左側には
流行の
【発達障害】があり
いつまでこんな失礼な
誤診ばかり続けるのかと
暗澹とした気分に
なりますが…

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右側には
日本人の想像力がうみだした妖怪の世界の
コーナーがあり
「妖怪をしれば、日本の文化がみえてくる!」
なんてうれしいことが
書かれていて
ざしきわらし、ろくろくび、びんぼうがみなど
家の周辺にいる怖い妖怪や面白い妖怪が
紹介されています。
大きく楽しいイラストで
妖怪の出没地や危険度なども掲載し
子どもたちの好奇心を駆り立てるでしょう。

安全であるはずの
家庭の中にある
虐待やDVなどの
おどろおどろしくも
誰にも言えず
言ってもなかなか
信じてもらえない
妖怪の世界の存在と
対処法を
子どもの頃から
自然に学ぶことは
大切なことです。
PTSDに罹患して
心理療法と称する
箱庭表現や絵画表現をしても
かぐや姫をわがままと
診断し
適応障害扱いするような
分析心理学が死んだ
時代ですから
こころの健康のためには
昔の日本人のように
自分で何らかの表現をしながら
自己癒しする
そういう手引書が
これからは
売れるような
気がします。
*西洋から箱庭療法が
輸入される前から
日本には
箱庭文化があり
精神衛生に
貢献していたようです。
そこには
専門家はいませんでした。
PTSDの見立てなしの「こころの健康政策構想会議」は地獄の思想
3日
日本の精神医療の
改善に向けて
政策会議が
発足したそうです。
重要課題は
①自殺などの早期発見を可能にする
地域セーフティーネットの構想
②チーム医療による30分診療の実現
③介護者の地域支援
キェルケゴールの
『死に至る病』
としての
絶望という名の
トラウマが
PTSDの正体であり
その結果の
自殺ですから
その見立てのない
現状で
何人専門家が
集まって
チームを組んでも
見る時間を長くしても
それは
ますます誤診や間違った見方を
強化することになるわけで
逆効果でしょう。
地域支援にしても
現状の専門家が
指導するなら
『死に至る病』である
PTSDを増やすばかりで
これは
もはや
地獄の思想です。

自力で病克服しようと
がんばる人たちを救う
投げ縄を持っているのは
東大寺の観音さまくらい
しかありません
西田幾多郎の善とユングの自己実現⑤ PTSD克服=善
「ありのまま」
とか
「あなたはそのままで
いい」
とか
言いますが
そして
耳障りはいいですが
「ありのまま」にも
大きく
二種類あって
たいていは
普遍的無意識
(集合的無意識)
そのままの
人間なんですね。
集合的無意識は
その集合においては
宗教と言っても
差し障りがないくらい
当たり前の
常識のことです。
しかし
未来から見ると
全く非常識このうえない
ものなのです。
PTSDに罹患すると
誰でも
未来からの視線を
もってしまうのです。
持てた
というべきか
持ってしまった
というべきか
前者だと
思いますが
苦難の道です。
しかし
それを
個性化の過程
(自己実現)
と言います。
【昇華】の物語です。
かぐや姫の昇天の
物語です。
西田幾多郎の善とユングの自己実現④ 普遍的無意識と二次被害の関係
群生する
しばしば
厄介者扱いされるほど
繁殖力の高い
竹
これが
ユングのいう
普遍的無意識
(集合的無意識)
です。
ありのままの
自然の恐ろしさです。
PTSDだけでも
辛いのに
うそつき扱いしたり
先天性の
不治の病扱いしたりして
まともに話を聞いてあげないことで
おこる
二次被害の
加害者とは
集合的無意識に
他なりません。
二次被害防止の
困難さは
ここにあるのです。
西田幾多郎の善とユングの自己実現③ かぐや姫
竹は竹、
松は松と
各自その天賦を
充分に発揮するように、
人間が人間の
天性自然を発揮するのが
人間の善である。
群生する
しばしば
厄介者扱いされるほど
繁殖力の高い
竹ですが
そのなかにも
ほのかに
光るものがあり
愛情を注ぎながら
見つめていたら
神々しさが増し
月そのものと
同一になるような
そんなものが
人間には
あるということを
『竹取物語』は
示して
いるのだと思います。
西田幾多郎の善とユングの自己実現② 同世代人
ユングの自己実現
(個性化の過程)
理論ばかり
もてはやされてましたが
(ちょっと過去
)
同じ時代に
同じようなことを
ちゃんと言っておられたのです。
ユングは
1875-1961
に生き
西田幾多郎は
1870-1945
に生きた人です。
かたやスイスで
かたや日本で
同じようなことを
同じ時代に
語っていたのです。
西田幾多郎の善とユングの自己実現① 西田の善
善とは
自己の
発展完成
self-realization
であるということが
できる。
即ち
我々の精神が
種々の能力を
発展し円満なる発達を
遂げるのが
最上の善である。
竹は竹、
松は松と
各自その天賦を
充分に発揮するように、
人間が人間の
天性自然を発揮するのが
人間の善である。