★深層の臨床★」カテゴリーアーカイブ

身体の深層で起こる変化と臨床の古層を探る中心連載。

夢の証人 変容の息 The moment a dream speaks, the self begins to change.

深層へ降りる始まり 夢の証人

朝、ふとした拍子に、長いあいだ沈んでいた記憶の断片が静かに浮かび上がった。 それは、私が「人間とは何か」を知りたいと思った最初の瞬間──高校の倫理社会の教室で、 先生が“死にたいと思った友人に哲学が役に立った”と語った、あの場面だった。

あの時、私はまだ自分の深層の構造を知らなかった。 ただ、人間について知りたいという思いだけが、 どこか遠くの場所から私を呼んでいた。

その呼び声は、教育実習で「これは私には無理だ」と悟った瞬間に、 ひとつの方向を指し示した。 そして、申請期限を過ぎているのに「どうしてもこのゼミに入りたい」と言った私を、 ヨガと瞑想を研究する先生が受け入れてくれた。

そこから始まった道のりは、 私自身が理解できないまま進んでいく“深層の導き”だった。 臨床心理学の黎明期、井上亮のもとに送られ、 「頭で考えてはいけない」「観察を信じなさい」と言われ続けた日々。

私はいつも「これは普通ですか」と尋ねていた。 そのたびに先生は笑いながら「(あんたは)とくしゅ~」と言った。

今朝、その言葉の意味がようやく腑に落ちた。 特殊とは、一般と個物の問題であり、 西田哲学の核心そのものだったのだ。

旧友のブログタイトルが「こころの臨床」であることに気づいたのも、 その気づきの延長だった。 私はずっと「深層の臨床」という場所で呼応していたのだ。

そして、ふしぎなことに── 夢の中に井上亮が現れた。 近くにいるのに、私はその姿を見落としていた。 先生は、私が変化したことを静かに告げるように、 ただそこに立っていた。

夢の中の私は、ストレートヘアのおかっぱ頭だった。 天然ソバージュロングヘアの私とはまるで違う姿。 それは、自己像の変容の予兆であり、 深層が動き始めたときに現れる象徴的な変化だった。

今朝、私はようやく理解した。 長年の逡巡は、深層が開くための準備だったのだと。

そして、今日── 旅は静かに始まった。

 

そして、ふとした身体の記憶──
天然の髪のまま生きてきた私の「野生の思考」が、
どこかで静かに目を覚まし始めていた。

深層へ降りる前夜 気配 On the eve of descent, a presence stirs.

 

河合隼雄@ご当地生まれ

カルト・カント・ショーペンハウアー の 哲学的臨床学的意味 を唱えた歴史上の人物

臨床心理学という学問が、まだ「臨床心理学」と呼ばれていなかった時代がある。 その頃、私は偶然にも、河合隼雄の弟子でありながら、どこか異端めいた先生のもとで学ぶことになった。 いま振り返れば、あの出会いが私の臨床のすべての源流だったのだと思う。

しかし、この出自を語ることには、ずっと抵抗があった。 自分でもうまく言葉にできず、語れば語るほど「特別扱いされているようで嫌だ」と感じてしまう。 旧友たちは「あなたは恵まれていた」と言ってくれるのに、私はその言葉を素直に受け取れなかった。

けれど、最近になってようやく気づいた。 私が長いあいだ言語化できなかった領域── 臨床の深層、瞑想的理解、行為的直観、哲学の言葉を知らないまま哲学していた日々── それらはすべて、この出自から始まっていたのだと。

だから、いまここで、ようやく語り始めようと思う。 臨床心理学がまだ存在しなかった頃の空気と、 その源流が私の臨床をどのように形づくったのか。

これは、私自身の物語であると同時に、 臨床心理学がどこへ向かうべきかを考えるための、ひとつの手がかりになるはずだ。