月別アーカイブ: 2010年3月

『鶴の恩返し』 に学ぶPTSDにおける【身削ぎ表現】と【見るなの禁】の真の意味

にかかった
一羽の鶴が
助けてくれた老人に
恩返しをする
お話でしたね。

「絶対に
部屋を覗かないで
下さい」と言って
布に自分の羽根を
織り込んで
いたの
ですが

覗かれてしまい

空に帰って
ゆきました。

人間も
野生の鶴のように
生きていく中で
こころが
ワナにかかったり
怪我をしたりして
死にそうになることが
あることの
比喩
だと思います。

心的外傷
(トラウマ)なんて
一番の巧妙な
ワナではないですか?

鳥の顔が
人間には
なかなか見分けられないように

普通の顔して
凶悪なことをする
人間もおり

また鳥なみの
無知から
人にトラウマを
負わせることが
普通にあるのが
人の世です。

ワナにかかっても
とりあえず逃げることが
できたら

鶴のように
何らかの
【表現】を
し続けることが
重要
です。

その表現は
身を削るような
作業です。

身削ぎ(みそぎ)は
禊ぎで

もはや宗教的
作業なんですよ。

痛みを
美しい織物に
仕上げる。

痛みは痛み
織物は織物

しかし
氷が水蒸気になるような
大変化を
心理学では
【昇華】
と言います。

自我防衛機制の1つですが

日本人の場合は
トラウマは
昇華するしかない。

つまり
表現するしかないのでは
ないかと
いつも
感じています。

覗いてはいけない
という部分は

心理学では
【見るなの禁】
として
研究されてきました。


しかしあせる

宗教も哲学も関係なしの
素人分析ですから
見てはいけない目

と考えたんですね。

それで
私に
DV被害者に
箱庭療法をするなとか
言い出したわけです。

そういう人は
面接中に
なんと
瞑想
(見てはいけないから
クライエントさんから
背を向けて
目を閉じている)
したりするんですから

いやはや…
パロディーでしょ。

本当は
見てはいけないのではなくて

覚悟して観なさい。
普通の感覚で見てはダメですよ。
【象徴】として
観なさい
ということなのに
…ね。

老人に見るなと言ったのは

あなたの中の
古い感性・常識で
この異常事態を
判断しては
いけませんよ!

という無意識からの
メッセージです。

自分は悪い子だとか
生きる値打ちがないとか
そういうのが

自分のなかの
老人の視点なんです。
続きを読む

「やしゃご弟子」誕生の桂米朝さんと二世も難しい臨床心理士

落語家の桂米朝さん(84)に
31日
「やしゃご弟子」が
誕生しましたクラッカー

月亭天使(本名・福田和栄(かずえ))さん(35)

上方落語の定席・天満天神繁昌亭の
スタッフから転身したそうです。

上方落語協会などでは
「記録に残る限り、
現役の落語家のやしゃご弟子は、
東西の落語界でも初めてでは」
と話しています。

米朝さんは
「天から降ってきた天使やな」と天使
喜んでおられたそうです。

古典落語は
やはり凄いです。

これからも
貴重な文献に
お世話になりますドキドキ

心理臨床家は
こうはいきませんから。

河合隼雄存命中は
二世もアリ!でしたが

今のままでは
ダメですね。

年間3万人のペースで
12年以上
無差別殺人の
片棒を担ぐ
旗を振る仕事をしていた
ミーハーだった
といって
孫子がいじめられますから…叫び

私は臨床心理士では
ないですよニコニコ
続きを読む

PTSDにおける表現の大切さを教えてくれたDV被害児たちと理解が遅い専門家

DVシェルターで
子どもたちに
箱庭をしていて
いつも思うのは

表現することで
人間は
活き活きとする

ということです。

「作ったろうか?」
って笑いながら入室する
やんちゃ坊主もいます。

あえて言葉にしなくても
その秘策を共有した
喜び

子どもなりに表現しているのです。

ラポールって言います。
心理療法の基本です。

子どもはどんどん
表現したい。
乾いたのどが
水を必要とするように
箱庭表現を
必要
としています。

私には
箱庭のほかに
書類を書いたり
会議に出たりする仕事があり
思う存分
箱庭をする時間をとれないのですが

それを理解するのは
子どもには
まだ難しいです。

「お仕事あるからね。
ごめんね」
と言うと、

「学生さんやろ?」
こんな年取った学生さんがあるか!
と思いつつ
「お仕事で、来てるよ」
「違うわ。学生さんや!」

他の職員とこんなに
違う態度は
学生さんということに
しなければ
理解不能なのでしょう。

同じ理解不能でも
こういうのは
ほほえましいものです。

こんな感じで
やってるのに
「偉そうに
何か教えてる」
という疑惑をもつ人も
専門家の中には
いました。

【投影】っていうんですけどね。
自分の中にある
認めがたいものを
私に映し出す無意識の
防衛機制です。

いろいろあって
学会で
表現の重要性を信じてもらうのに
5年くらいは
かかりました。

多くを語らなくても
察してくれる
数人の方々は
ありましたが

大半は
「無理にさせている」
「危険だ」

勉強しなおしてくるように
という人さえ
いました。

子どもたちは
みな表現の大切さを
身をもって知っていて

学会にくるような
専門家は
耳学問を
あてはめて
理解しようとしない。

しかし
これは5年前のこと

今は
そんなこと言う人
いません。
懐かしいです。

仏教との関係も
「お前に何がわかる!」
とは言われなくなりましたし、

陰陽五行も
ちょっと茶化して
関係を
修復しようとする人が
現れる段階まで
きました。

ありがたいです。

一番厄介なのは
逃げ回る人たちですね。

自分の過去の失敗
(知らずに
公の場で醜態をさらした
ショック)からの
回避・否認でしょう

昨年は
私の学会発表で
指定討論者が
なかなか決まらず

たらいまわしになり叫び

抄録集の印刷などが
遅れましたニコニコ

無事に発表でき
7年間学会で感じた
哀しみは理解して
もらえましたけどね。

継続は力なり
と信じます。

(信じていますとは
なかなか言えないですよ。
私も人の子ですから

みんな同じです。
迷いながら
時に絶望しながら
がんばりましょうねドキドキ
続きを読む

菊乃家〆丸氏死去 ちんどん屋はなぜちんどん屋なのか?

PTSD研究家翠雨の日記

菊乃家〆丸氏が
16日急性心不全のために
自宅で
亡くなったそうです。

92歳でした。

枝雀落語を聞いていたら

ちんどん屋さんに
惹かれて
ついていくうちに
迷子になってしまう

話があり

なんか自分のことの
ようで
(いろんな表現
観ているうちに
心がつい
遊んでしまうので)

興味深い
存在でした。

と・こ・ろ・でニコニコ

なぜ
ちんどんやと言うか
知ってますか?

やはり
陰陽五行説を
当てはめたもの
なんですよ。

PTSD研究家翠雨の日記

ちんは鉦(かね)の音
鉦は金気
方角では西

どんは太鼓の音
太鼓は木気
方角では東

鉦と太鼓が
ベースで
「とーざい(東西)
とーざい(東西)」

と呼び込みますねニコニコ

こんな当てはめは
ごくごく一例

京都のお寺の
鐘の音
だって

お寺のある方角と
四神(キトラ古墳にありますね)
を一致させて決めたり
していたそうですよ!

陰陽五行なんて
聞いたことなくても
(教科書にひっそり
書かれていますから)

日本人の無意識には
陰陽五行説が
流れています。

仏教とも平気で
習合しているんですよ。

でも
心理療法では
そこまで扱えないから

見た目で
【発達障害】とか
【人格障害】と
素人判断して

クライエントさんを
内面から理解することを
避けるのです。

専門家が無意識まで
観てるハズなのに
素人判断と変わりないからドクロ

絶望して
窮地に追い込まれるという
二次被害は
甚大

です。
続きを読む

朝日新聞『獅子頭』第三十一話 崖の上のポニョという名の冒険

今や
寝ても醒めても
夢見る
獅子頭
それを
頼まれもしないのに
もっと言えば
チャンスや温情を利用して
有名料理長に
味見してもらいました。
叱られる覚悟でしたが
料理長は
自分用にも
もう1つ作って頂戴と
オーダーしました。
気になる
試したい
知りたい
ことがあるなら
いくら怖くても
命を懸けて
試さなくてはならない
そんな時期が
人間には
あるのではないでしょうか?
崖の上から
飛び込めば
飛び込まれた人は
それを
無視なんて
とても
できないのでは
ないでしょうか。
如人千尺懸崖上樹
崖の上のポニョ
の精神が冒険
です。

韓ドラ『風の絵師』から 【人を呪えば穴2つ】の真の意味と否認させるワナとしての誤認

ドラマの中で
肖像画を描くとき
大事なこととして
「三停五岳」
強調されてました。
「三停」とは
顔を上下に三部分に分け
①髪の生え際から眉毛までの間(上停)
②眉毛から鼻の下まで(中停)
③鼻の下からあごの下線まで(下停)
この3部分がバランスが取れているのが良い。
中でも一番大切な部分は
「中停」
ここをしっかり描く。
さらに
その人の特徴を
最も示す部分は
「目」とのこと。
「両の目は天下をわかち見る。
人情深いこと殷殷たり」から
描いた肖像画の目は
なんと
「両方の目が外斜視」の老人
です。
将に天下をわかち見ている
ということらしいです。
私は
心理学研究の鬼門
【見るなの禁】
を想いました。
君子は凡人のような
常識的な狭い見方を
しないのでしょう。
斜視の人は
少なくないですが
両方が外に向かっている人は
珍しいでしょう。
絵と生きた役者との
両方を同時に見せて
くれるので
【象徴】と【具体例】
ありがたい研究になりました。
「五岳」
顔のなかで盛り上がってる部分を山に見立てた
東・西・南・北・中の5箇所
東―左頬骨
西-右頬骨
南―額の真ん中(眉間)
北―唇の下のあごの中心
中―鼻の天辺
ですが
中の鼻はやはり
重視され
豊隆なのがよいそうです。
孔2つですからね。
陰陽でしょう。
スサノヲとの
兼ね合いで
興味深かったです。
そういえば

閃きました!
「人を呪えば穴2つ」
いつも気になってましたが

呪うのは
是か非か
ではなく
そのおおもとを
たどって
再生する!
ってことではないでしょうか?
やはり
【一太極二陰陽】です。
韓国ドラマにまた
教えられました!
私に
職場のモラ・ハラ
(モラルハラスメント
ですが
セクハラも横行していますよ)を
【否認】させようとする知人は
穴は墓場では?と
脅すように
言ってました。
なんで
そんな嫌な言い方を
するのかしら?
と疑問に
思っていましたが
問題を認めたら
自分は精神的に
死んでしまうと
思っていらっしゃるんでしょうね。
善良市民なんですが
善良市民ゆえに
【否認】しなくては
生きてゆけないんでしょう。
人の世は
一筋縄ではいきません。
しかし
クライエントさんへの
二次被害は
即否定しますよグー

『鶴の恩返し』 に学ぶPTSDにおける【身削ぎ表現】と【見るなの禁】の真の意味

にかかった
一羽の鶴が
助けてくれた老人に
恩返しをする
お話でしたね。
「絶対に
部屋を覗かないで
下さい」と言って
布に自分の羽根を
織り込んで
いたの
ですが
覗かれてしまい
空に帰って
ゆきました。
人間も
野生の鶴のように
生きていく中で
こころが
ワナにかかったり
怪我をしたりして
死にそうになることが
あることの
比喩
だと思います。
心的外傷
(トラウマ)なんて
一番の巧妙な
ワナではないですか?
鳥の顔が
人間には
なかなか見分けられないように
普通の顔して
凶悪なことをする
人間もおり
また鳥なみの
無知から
人にトラウマを
負わせることが
普通にあるのが
人の世です。
ワナにかかっても
とりあえず逃げることが
できたら

鶴のように
何らかの
【表現】を
し続けることが
重要
です。
その表現は
身を削るような
作業です。
身削ぎ(みそぎ)は
禊ぎで

もはや宗教的
作業なんですよ。
痛みを
美しい織物に
仕上げる。

痛みは痛み
織物は織物
しかし
氷が水蒸気になるような
大変化を
心理学では
【昇華】
と言います。
自我防衛機制の1つですが
日本人の場合は
トラウマは
昇華するしかない。
つまり
表現するしかないのでは
ないかと
いつも
感じています。
覗いてはいけない
という部分は
心理学では
【見るなの禁】
として
研究されてきました。

しかしあせる
宗教も哲学も関係なしの
素人分析ですから
見てはいけない目
と考えたんですね。
それで
私に
DV被害者に
箱庭療法をするなとか
言い出したわけです。
そういう人は
面接中に
なんと
瞑想
(見てはいけないから
クライエントさんから
背を向けて
目を閉じている)
したりするんですから
いやはや…
パロディーでしょ。
本当は
見てはいけないのではなくて
覚悟して観なさい。
普通の感覚で見てはダメですよ。
【象徴】として
観なさい
ということなのに
…ね。
老人に見るなと言ったのは
あなたの中の
古い感性・常識で
この異常事態を
判断しては
いけませんよ!
という無意識からの
メッセージです。

自分は悪い子だとか
生きる値打ちがないとか
そういうのが
自分のなかの
老人の視点なんです。

「やしゃご弟子」誕生の桂米朝さんと二世も難しい臨床心理士

落語家の桂米朝さん(84)に
31日
「やしゃご弟子」が
誕生しましたクラッカー
月亭天使(本名・福田和栄(かずえ))さん(35)
上方落語の定席・天満天神繁昌亭の
スタッフから転身したそうです。
上方落語協会などでは
「記録に残る限り、
現役の落語家のやしゃご弟子は、
東西の落語界でも初めてでは」
と話しています。
米朝さんは
「天から降ってきた天使やな」と天使
喜んでおられたそうです。
古典落語は
やはり凄いです。
これからも
貴重な文献に
お世話になりますドキドキ
心理臨床家は
こうはいきませんから。
河合隼雄存命中は
二世もアリ!でしたが
今のままでは
ダメですね。
年間3万人のペースで
12年以上
無差別殺人の
片棒を担ぐ
旗を振る仕事をしていた
ミーハーだった
といって
孫子がいじめられますから…叫び
私は臨床心理士では
ないですよニコニコ

朝日新聞『獅子頭』第三十話 今はなき自己実現の物語に必須の冒険

有名レストランで働く
チャンスドキドキ

さらには

従業員のまかないを
一人で作らせてもらう
チャンスドキドキ

ありがたいことです。
感謝しなければなりません。

しかし

陰陽の法則から言うと
1つのワナも叫び
あります。

みえないワナだから
たくさんの人が
そこで
自己実現の物語を
終了してしまいます。

西洋の物語なら
ハッピーエンドで
すむのですが

わが国では
ユングの自己実現
(個性化の過程)は
【道】ですから

終了したら
肉体は生きているかも
しれませんが

精神的には
生ける屍です。

PTSDの場合は
吸血鬼や
ゾンビとして

さらに厄介な存在に
なります。

後進に
嫉妬し
あきらめさせたりする
存在になるのですドクロ

夢を毎晩見ますね。
精神は生涯夢を観続けているのです。

ニーチェなんかは
東洋思想を
学び

道を【橋】
表現していますよ。

どうすれば
夢を観つづけられるか?

道を歩き続け
橋を渡り続けることが
できるか?

それは
冒険し続けることです

タブーを破ること。
前例を破ることです。

二順の場合は
メニューにないものを
作りました。

恋人の雲紗が
そそのかしたのです。

アダムとイブみたいですがドキドキ

料理長に怒られるかどうか
明日のお楽しみです。

心理療法では
いつも書いてますがしょぼん
冒険させてもらえないのが
普通です。

人生の醍醐味も
命も
奪うなんて
悪魔だ!
続きを読む