うた」カテゴリーアーカイブ

苦難より 天啓ひらき 魂立つ@ルソーのPTSD神隠し

本日は

ルソーのお誕生日です。

 

ジャン・ジャック・ルソー(1712-1778)と言えば

偉大な哲学者・思想家ですが

なかなか苦難の人生だったようです。

もはや法則のようなものらしい。

若いころから

露出癖や重度の被害妄想

奇行があり

自分も保護と放浪を繰り返したのに

— そうすると虐待など受ける。

 

5人の子供を孤児院に送るなど

— 告白』などに具体的に記されている。

生涯

精神的に経済的に安定していたことは一度もありませんでした。

 

そもそもが

生後9日にして母を喪ったことが大きく

裕福な一門の出で

賢さと美しさを具えていて

ルソーは

母からこうした美点を受けついで誕生というのは

光源氏みたいだと思えば

— 母親の影を追い続け人間そのものを見ていない。

やはり

恋愛観が特殊になった。

病弱で

敏感な子どもに育ち

統合失調症のようなものを発症する素地ができます。

さらには

10歳のころに

一家離散で

父が告訴され逃亡

— 元軍人貴族との喧嘩がもとで剣を抜いた。

兄は奉公に出されたまま行方知れずに

いわゆる神隠し

孤児同然となり

虐待され

不自由な寄宿生活のなかで

牧師の妹で未婚の40代女性から

身に覚えのない罪で度々折檻された。

奉公に出されても

日常的に虐待を受けるうちに

不良少年となり

虚言を語り

仕事をさぼって

悪事や盗みを働く

無気力になってしまいますが

読書だけは続けていたので

唯一の逃避場所なので

本を捨てられても

借りては仕事をさぼり読みふけった。

— もはや薬

読書力に救われることになります。

自己実現の秘訣は苦難の最中に磨かれる。

重要な影響を与えた人物が2人いて

最初の人物は司祭で

嘘をついて人に罪を着せたりするので

信用がなく

仕事も続かないルソーに対し

何度失敗しても励ましました。

— PTSDの試し行動のようなもの

—— ルソーは恩恵と『エミール』で回想

 

門限に遅れ

罰への恐怖から解離性遁走したあとは

本人も神隠し

放浪生活と保護生活を繰り返します。

入退院ではなく

2人目は

15歳の時に出逢った29歳の女性で

実母との関係が転移

最初は救世主のように

ほぼ宗教体験のように回想

2度目は母親のように思い

夫人はルソーの無事を喜び

母のようにルソーにキスをして撫で

「坊や」と呼び

ルソーは夫人を「ママン」と呼んだ。

ルソーは初めて幸福感を味わう。

母親から離れることができない子どものように

不登校で

公的な学校を卒業したことが一度もない。

~ 夫人はしかたなく姿を消す。

このとき

父と再会し

二人は涙を流して再会を喜んだのに

父親と暮らす意思はないことを伝えたのは

アジャセ的錯綜?

三度目に恋愛関係になったあと

ルソーは美男子だったので

女性たちの関心の的となり

夫人がルソーを護るうちに

恋愛関係に

しかし幸福ではなく「あたかも近親相姦を犯したような気持ちであった」と回想

虐待経験や

権力への意思

思考より感情を重視

放浪生活も悪いことばかりでなく

ひとびとの暮らしを内側から知ることにもつながり

「自然が美しい豊かな恵みを与えているのに

それを重税が破壊してしまう」様を目の当たりにし

宗教改革の素地ができた。

死の恐怖経験で

事故がおこり

一時生死をさまよう。

回復せず

身体の変調から死を感じるほど患い

残り僅かの人生だと覚悟してから

元々の読書力を駆使して猛勉強

 

ちょうど

共時性

夫人が18歳の男性と同居するようになったので

自立することが叶い

23歳の女中と恋に落ち

教養がなく

文字の読み書きも満足にできない

素朴さに惹かれた

「決して捨てないし結婚もしない」という条件で

生涯添い遂げます。

すべてのわが子を孤児院に入れたことは

『エミール』を書くときに強い後悔の念をもたらすことになる。

転機となった出来事は

最初の夫人に出逢ったときのように

天啓的です。

生活に困窮しているときに

懸賞論文の募集を知った。

— 「学問及び芸術の進歩は道徳を向上させたか、あるいは腐敗させたか」

突然の閃きが生じて

三十分にわたり精神が高揚して動けなくなってしまった。

「これを読んだ瞬間、わたくしは他の世界を見た。わたくしは他の人間になってしまった。」

不遇な状態は一変

以後次々と意欲的な著作・音楽作品を創作するようになったわけですが

『エミール』が出版される運びとなっても

パリ高等法院から焚書とされ

逮捕状が出る始末

亡命しようと選んだ土地でも迫害がはじまり

居場所はどこにもなくなりつつありました。

人々が好意的で助けてくれたのが救い

精神状態は悪化の一途を辿り

迫害の恐怖に恐れおののき

正気を保てなくなってゆきました。

 

 

 

作詞者は不詳で

ほかにも讃美歌・唱歌・軍歌まであるらしい。

ルソーのオペラ「村の占い師」は

ルソーだから残っているとも

両片思いの男女から

「冷たくなった」

「避けられているようで不安」

個別に相談された占い師が

まさかふたりとも来るとは思わず

「あなたも冷たくしなさい」

「本心を正直に告げなさい」とアドバイスし

 

大団円💕というシンプルなお話です。

 

死を覚悟して猛勉強し始めたころの作品でしょうか。

むなしさに ひらくひとひら 音の芽よ @きたやまおさむと木村敏の時代

本日は

太宰治のお誕生日です。

もう🍒桜桃忌🍒とは呼ばないのですね。

 

 

人が変わるのは

生まれ変わるようなものですが

誕生日は意識されていたのでしょうか。

集合的無意識としては

格別意味のある日だったようです。

そして

きたやまおさむ先生のお誕生日です。

専門は臨床精神医学・精神分析学

日本精神分析学会会長

 

たくさんのヒット曲がありますね。

いま思えば

宗教哲学性があり

神さまのお言葉とか

命賭けてとか

再生とか

コブのない駱駝🐫とか

ペンネーム自切俳人(ジキルハイド)」

ピアノがお上手だったという木村敏先生に近いかもしれません。

15歳違いで

臨床心理学が元気だった頃にご活躍だったから

対談などもあったかもしれません。

 

メンバーの加藤和彦さんの自死については

病を食い止めるべき精神科医としての無念を記し

「加藤君には2人の人間がいた。

1人は楽しく明るく前向き。もう1人は厳しく完全主義で怒ると怖い人。

今回はそのもう1人が自分を殺してしまったんだと思う。

曲を制作する時は人の意見も聞いてくれたんだけど、最後の幕引きでみんなの意見を聞いてくれなかった」と精神分析

九州大学を定年退職して以降は

最終講義のほかに

さよならコンサートで

新作を発表

2曲のうちの一曲「七色の光の中で」は

加藤さんの死から受けた感情をしたためた歌

坂崎幸之助が作曲

一医師としての臨床活動及び後進の指導を始められたそうです。

木村敏先生の哲学の継承は…と

危惧される今日この頃ですが

きたやま先生はご活躍中で

秋には

第57回『日本芸術療法学会』の学術大会でご講演

テーマは芸術と創造性 

テーマの

 むなしさは先の無念さ@ポイエシス に通じる普遍性のあるものですよね。

お能の亡霊など参照

そして!

 

 

気になったのは…

募集中の事例研究のシンポジストがお二人だけという点で

しかもおひとりは司会者兼務

よく読むと…

こんなことになっていたとは知らなかった…けど

さもありなんな直精のご時世(>_<)

ワークショップと事例検討は

今回小さなチャレンジとして組み込んだとのことです。

なにやら復活の兆し?

善い風が吹いているのやも🤔

恩寵は 旋律となり 魂照らす @PTSD鎮魂歌『ジュピター』

 

平原綾香さんの『ジュピター』は

ホルストの原曲に

第4楽章「木星」の中間部Andante maestosoの旋律

千足学園の学生であった平原綾香さんから

“私の両手で何ができるの?”

“ありのままでずっと愛されている”

“いつまでも歌うわあなたのために” などの

歌詞をつけることを依頼された先生が作詞

平原綾香さんが歌う。

ロングセラーで

こころのケアにも貢献しています。

大震災の時に

ラジオ局などでよくリクエストされる。

Every day I listen to my heart

ひとりじゃない

深い胸の奥で つながってる

果てしない時を越えて

輝く星が

出会えた奇跡 教えてくれる

Every day I listen to my heart

ひとりじゃない

この宇宙の御胸に 抱かれて

私のこの両手で何ができるの?

痛みに触れさせて そっと目を閉じて

夢を失うよりも 悲しいことは

自分を信じてあげられないこと

愛を学ぶために 孤独があるなら

意味のないことなど 起こりはしない…

 

ホルストも

孤独な子ども時代を過ごし

8歳になるまえに母親と死別

3年後に来た継母は

神智学に傾倒し

— ある意味宗教二世

家庭内の物事にあまり関心を示さず

異母兄弟も含めて「良性のネグレクト」に晒された。

ホルストは神経過敏で哀れであった。

視力が弱かったにもかかわらず

彼が眼鏡の着用を必要としていることに誰も気がつかなかった。

生まれつき病弱で、喘息と弱視に加えて神経炎に苦しみ

それによってピアノの演奏が困難となった。

彼は上手く動かない腕について

「電気を過剰に流されたゼリーのよう」だと述べていた。

修行僧のような生活に導かれ

一部には倹約のため

また一部には生来の性向により菜食主義者、禁酒家だった。

経済的困難は若干和らげられても

自ら課した厳格な規律を守った

 

占星術に関心をもつようになり

メスメルもこんな感じでしょう。

表現がムズカシイのです…

文学などから霊感を得たうえで

当時流行のインド神話

ヒンドゥー教の心霊主義

イングランドの民謡の影響

39歳のときに『惑星』の着想を得たとのことで

 

普遍性が感じられる

どの時代にどの民族が耳にしても…

ローマ神話の最高神は

ギリシャ神話のゼウス

天皇なら北極星(太一)  君が代♪と似た重厚感?

≠ 皇帝

『地球儀♪』もこの系統かな🤔

瞑想的な曲になるというものです。

 

水底より 呼び合う影の 鍵の音 @2人のPTSDピアノ・マン

ビリー・ジョエルは

1949・5・9 ~

ユダヤ系ですが

ナチスから逃れるため

ドイツ南部からスイスを経て

アメリカに亡命した父親と

イギリス系ユダヤ人の母親とのあいだに

ニューヨークで生まれた。

ユダヤ教徒ではないそうです。

どのような宗教哲学で

創作表現してきたのでしょうか。

探ってみたいと思います。

少年時代から繊細で

スポーツよりピアノを好むのは

出自によるものでしょう。

いじめられたり

自衛のために習ったボクシングは

強かったが

鼻の骨を折られて断念

不適応を起こしたりしながら

バーでピアニストとして働いていたために

英語の単位を落とし

高校中退

ミュージシャンになっても

最初は売れずに

うつ病に悩まされ

極度の精神衰弱で精神病院に入院

大ヒットを出してからも

70万枚売れても

前作が100万枚売れたなら

鬱状態になる。

常に精神的不調に悩まされてきたようです。

そういったストレスに

ストレス性ですからPTSDですね。

対人関係の問題が加味されたりすると

ソロ・デビュー曲が

不本意な内容に改ざんされた挙句

— 録音速度をあげて別人のような歌声に

ヒットしなかったので

人間不信から鬱病が悪化

自宅に引き籠りがちになってしまったりし

『ストレンジャー』のヒット以降

順調に見えだすと

今度は

外因ではなく

オートバイ事故を起こして重傷を負い

活動ができなくなり

マネージャーとして支え続けてきた妻との関係も拗れて離婚

アルコール依存症やうつ病で

入院したあとも

3度の交通事故を起こすようになりました。

阪神・淡路大震災時には

1995

大阪のホテルに宿泊していて

「死を覚悟した」ほどのショックを受けながら

ライブの中止や帰国を勧められた。

翌日の大阪公演に臨んでいます。

「人々を勇気づけよう」という気持ちから

常にこういう状態で活動してきたようですが

ガラスのこころを抱えながら活動

「俺はコロンビア大学に行くんじゃなくて

コロムビア・レコードへ行くんだから

実際にコロムビア・レコードと契約できた。

高卒の資格なんか必要ない」と言い放ったビリーは

中退から25年後

エッセイを提出して

卒業資格を認定された

コロンビアの脳神経外科医がみつけた

1965

正常圧水頭症での治療に専念するために

2025年5月23日から

2024年1月

16年ぶりの来日公演を東京ドームがラストに

活動中止中です。

2部作のドキュメンタリー『Billy Joel: And So It Goes』が発表された。

水頭症

器質的な脳の病ですが

認知症と似ていて

「治る認知症」と呼ばれることもあり

認知症ではない。

誤解を招きやすい病だそうです。

ピアノ・マンみたいな数奇な運命です。

2005年4月にイギリスの海岸で発見された

びしょ濡れの黒いスーツとネクタイ姿の

20代から30代の男性

ドイツ人と判明したが

深層は藪のなか

① 大衆紙は本人の芝居でピアノは弾けないと報じる。

② 両親は記憶喪失だったしピアノは上手と証言

ドイツに帰国した

ピアノ・マンの脳裏には

ビリー・ジョエルがいたのでしょうか🤔

名もなき歌 闇のまま抱き 光生む @ Let It BeのPTSD癒しの宗教哲学

 

ポール・マッカートニーが

作詞作曲

困難な時に

ビートルズ解散直前の不安定な時期

癒された夢を歌ったものだそうですが

普遍性があるので大ヒットしました。

つまり哲学的だということ

夢のなかに

わらしべ長者も

いきづまりお寺に忍び込んで眠りこけました。

亡くなったお母さんが出てきて

「Let it be(あるがままに)」と語りかけられたということですが

このシンプルな語の解釈が☯ムズカシイですが

イメージそのものとして感得できます。

— 説明はできない = 不立文字 わかるのに☯わからない。


「Mother Mary」が現れて

「知恵の言葉をささやく」といえば

聖母マリアを連想しますよね。

双方はとても関連の深い存在で

ユング心理学では

自分の母親と縁が薄い人は

グレートマザー(太母)と結びつくしかないと言いますし

『崖の上のポニョ』の母親は

グラン・マンマーレです。

智恵の言葉「Let It Be」も

日本人ならば


「どうにもならないことを無理に変えようとせず

あるがまま受け入れよう。

そうすれば、いつか答えや光が見えてくる」

無我の意味として

自我の思い通りにはならないもの

ウィトゲンシュタインなら

無駄なこと考えるな💢かな🤔

仏教的に聴こえます。

確かに

諦めた時に

なすすべがなくどうしようもないから

— 行動が変化している。

なにもしないとき

— こころも変化している。

実は明らめている。= 諦念

上手くゆくということはわりとありますよね。

覚った人は

通過儀礼(イニシエーション・洗礼)だったと感じる。

歌詞の中盤では

さらに

観音さまのように

お寺にあるようなピカピカした姿では

子どもが怖がるから

お母さんの姿になって現れるそうです。

『大丈夫だよ』

『心配しなくていいよ』とうたいあげます。

「心が傷ついた人たちも、いつか答えにたどり着くだろう」

「夜が雲に覆われていても、自分に差す光がまだある」

— 「今が暗くても☯必ず希望は残っている」 日にち薬

 

ジョン・レノンが離婚したときにも

息子さんのことを思って

「Hey Jude」を書きましたが


両親の離婚に傷ついていたジュリアンを励まし

「落ち込まないで」

「君ならこの悲しみを乗り越えられる」というメッセージ

世界中の人々のこころに寄り添い続けています。

 

「状況そのものを魔法のように変える」のではなく

ハッピー💊ドラッグのように

叱咤激励するのでもなく

認知行動療法のように

「傷ついた心に寄り添って

少しだけ前を向かせようとする」

— 具体的には非指示

やさしいまなざしで見つめられるのは

お母さんとの関係が

前記事チャイコフスキーらと対照的

まるで信仰のようだったから

母メアリーへの想いを込めた「Yesterday」

普遍性があるのでしょう。

 

1968年リリースの

オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」(Ob-La-Di, Ob-La-Da)が

ナイジェリア人のコンガ奏者の口癖

— 完成バージョンのメンバーには含まれていない。

どのような状態でも

こんな風に

淡々と

歌っていればいいというような歌

『幸せなら手を叩こう』のようだと思えば

1964年

この曲も

作詞家が

生命倫理学者

学生時代フィリピンボランティア活動をしていた際に

耳にした原曲を

帰国の途に着いた際に

旧約聖書の 詩篇47篇 を参考にして

 詞をつけたものが元になっているそうです。

しかも

仲間内の愛唱歌として歌われていたのを

偶然、坂本九が耳にし

いずみたくの元にうろ覚えのまま持ち込み

それを元にいずみが採譜してレコード化

全国的にヒットしたものだそうです。

 

うたのつくられかたにも

目に見えない現象学がありそうです。

フッサールのように

頭で考えて動かすのではない。

— 文学では三文小説と呼ぶ。

杞憂より 芽ぶく声あり 春の底 @忌野清志郎版『君たちはどう生きるか』

本日は

忌野清志郎さんが亡くなった日です。

大変カリスマ性のあった人らしく

その存在が神隠しの場所のようになっています。

— 再生のために☯退行して考える時空を超えた場所

 

死後も

ファンの哲学を更新させ

話題のAIについても語ってくれているようにみえます。

お母さんの心配は

18歳の時

① 寝坊で学校に遅刻する。

② バンド活動でプロになるから進学しないと言う。

杞憂だったわけですが

一般には

もっともなことで

やらせてみるとよいとはなかなか言えないものです。

正論であり

やってみなければわからないが…

 

回答者(男性)は

歴史家にして参議院議員の父親と

社会活動家の母親に育てられ

大局的にものを見る。

幼少期は

のんびり屋の動物好きで

母方の祖父母が創立した自由学園小学校すら

よくサボっては

近くの林で昆虫観察をするのが日課だったけれども

両親も放任主義

記者生活を経て

学園には

小学校の卒業証書しかないので

最終学歴は小学校卒業

映画監督になりました。

相談者(忌野清志郎の母親)と

実際に面談しているわけではなくても

忌野清志郎青年を

内からみて

科学的には見えません。

よく眠るのは

学校を休んだ日は一日寝ている。

不安と闘っているからだと

過眠 即 治癒

見抜いています。

本人が一番不安なのに

外から追い打ちをかけ

反発して

自分を見失ってしまうよう仕向けるのは

甘やかしだと指摘

— 不安に耐える力が育とうとしているのをスポイル

行と瞑想で

バンド活動と過眠

お顔に絵を描いて

美大に行かないと言い出した。

自己実現したのですね。

RCサクセション

— The Remainders of the Clover succession(クローバーからの継続)

「King of Rock」「King of Live」の異名をとる。

悲しみは ビスケと消える 再生へ @カント発達障害論

あなたもスタンプをGETしよう

子どもの発達について

ピアジェの前操作期:2~7歳ころ

自分の視点や感情を中心に考え

— 他者の反応に無頓着

モノの量や数は見かけの変化に関わらず

一定であるという概念を理解できていない状態

 

例に挙げられる歌ですが

たとえ話であると考えると

ユング的に意味を探ると

深い哲学があるようにも聴こえます。

 

 

ビスケットが

2度焼く

— 陰陽・火気

たべもの

— 取り入れるもの

あるとても大切なおおきなものの象徴と考えると

こころです。

歴史的世界は

『古事記』の神代

1つのものから

破壊と再生を繰り返します。

一柱の神が亡くなると

神々がわらわらと増えてきた

そんな不思議なポケット♪はあるのです。

思議を超えた大事な世界に

スタップ細胞もこんな感じのモノ

不思議なことに

双子のぎんさん

そして

哲学とその現象学が呼応

カントが亡くなった日です。

詩も書き換えられようとしているとは奇遇👀

日本人は

カント風じゃなくて

考えることで人間や社会は変容・発展

西田哲学風にとらえるのです。

日本版ユング心理学

 

考えることでは解決できない

矛盾を抱えた人間というものが

歴史を通じて問いとして顕になってくる。

— 矛盾を解決しようと考えるのではない。

カントが説明する

 精神分析のようなこころのモデル =形而上学

——— 一般論ではないのは承知の上で敢て!

意識野に

意識一般 (誰でもない自己)が見ている。

見ているものもいつかどこかで見たその類のモノ(記憶)

その人自身がいて

真の自己、映す自己

記憶(昨日の自分と今日の自分)なども眺めていて

矛盾を解決する継起として

行為的直観などの働く

絶対矛盾的自己同一の場所があるということが

理論のはじまりなのです。

 

AI西田幾多郎に続き

カント風のものの考え方こそ

ピアジェの前操作期:2~7歳ころ

 

発達障害的なのかもしれないですね(^_-)-☆

次の

具体的操作期になって初めて

具体的な事物や状況に基づいて

論理的に考えたり解決策を見つけたりしようとするようになる。

ビスケットは1つということを疑い出す頃に

こんな歌詞が浮かぶのやも🤔

— 作詞家は映す自己・真の自己

祝う日 誕生歌が 紡ぐ愛 @PTSD世界の情景

本日は

中島みゆきさんのお誕生日だそうです。

PTSD案件の世界を

内側から歌ったものがたくさんあり

多くの文学同様

こころのケアにご貢献です。

日本には

精神科医も

得て公🐒心理師も要らない。

愛子さまが生まれた時の会見で

生まれてきてくれてありがとう…と

言葉がつまってしまった雅子さまと天皇陛下

印象的でしたね。

どうしてこんなに感動的な曲を書き続けられるのでしょう。

AIも叶わない哲学的場所論

嘆き越え 句と哲学に 我が道探る @おらが春のPTSD予防

 

おらが春』が詠まれた日だそうです。

「目出度さもちう位也おらが春」

小林一茶

幼い頃に母を失い

継母との関係が悪すぎるので

引き離すため

15歳で江戸に奉公に出され

非常に苦しい生活をしていたが

25歳ころから

俳諧師として頭角を現すようになる。

— 個性化の過程

57歳のときの

一年間の出来事を詠んだものが

素朴に詠んだものを

— 生まれたばかりの長女の死去など

作品にしようと推敲中に亡くなる。

没後25年に刊行されたものです。

こころのケアの作用があった

苦難のなか俳諧と出会って

その表現のなかで自己実現

俳諧ですが

当時の俳諧師は

修業中に俳諧行脚するなど

雲水のようであり

俳諧や古典

そして当時の風俗や文化を貪欲に学ぶ。

— PTSDのお勉強

とても宗教的です。

浄土真宗他力本願への

帰依が中心を占めているといわれている。

よく知られた代表的な句は

おおらかな童話のようなイメージですが

名月を取ってくれろとなく子哉

這へ笑へ二ツになるぞけさからは

雀の子そこのけ/\御馬が通る

ゆうぜんとして山を見る蛙哉  …などなど

俳諧師となっても

40代に入るまでは生活は不安定なままで

51歳の時になってようやく定住することになり

俳諧師としても全国的に名が知られるようになった。

52歳にして結婚を果たしても

初婚の妻との間の4人の子どもは全て夭折

妻にも先立たれ

再婚相手との結婚生活は早々に破綻

身体的には中風の発作を繰り返し

脳血管障害(脳卒中)の後遺症

64歳の時に3度目の結婚をするものの

65歳で亡くなる数カ月前には火事で自宅を焼失

故郷でも受け入れられず

本人も故郷に対して被害意識を最後まで持ち続けたといいます。

俳句にも

2万句以上という多作は

こころのケアとしての意味の

切実な必要性を物語る。

苦労続きの人生が反映された

生活苦や人生の矛盾を鋭く捉えた句が多く

反動としての

童謡を思わせる子どもや小動物を詠んだ句

— 宮沢賢治的に

一茶の俳句は「生」をテーマとしていると言われています。

継母との関係は進化した現代的テーマ

故郷の柏原(長野県信濃町)と言えば

記念館も建設されている。

西田幾多郎が晩年に講演した地と

どこまでも西田哲学的なのには

逆に

センセイ曰く驚愕ではない…

驚きしかありません。 

 

きよしこの夜🎄@2025

あなたもスタンプをGETしよう

本日初披露された

1818年

オーストリアの教会にて

「きよしこの夜」は

なんとギター🎸伴奏だったそうです。

クリスマス・イヴの前日に

オルガンが壊れてしまい

ネズミ🐭が齧って音が出なかった説など

一晩で完成させたとのことで

しかもミサが始まる数時間前

キリスト教もなんだかジャズです。

ギターの讃美歌なんて

— というよりはクリスマス・キャロルかな

誰も関心を持たないと思いながら作曲されたものが

歌い継がれている。

詩は2年前にはできていたようですが

詩も慌てて作ったものと言われていたが

こちらはまちがいと分かった。

ドイツ語から

英語を経て

日本語になった『きよしこの夜』の詩は

海外よりキリスト教的ですね。

まったく抹香📿臭くない