イメージ表現の実際」カテゴリーアーカイブ

百尺竿 なお一歩の 風ひらく @村主章枝さんとポニョと道元と

私の直観がとらえたものの位置

私は

ジブリ作品『崖の上のポニョ』というタイトルに触れたとき

なぜか道元の言葉――「百尺竿頭一歩進めよ」を

直観的に思い起こしました。

この直観は

単なる連想ではなく

悟りの構造を言葉でイメージ化した

“普遍的概念”を捉えたものだったのだと

今日あらためて確信しました。

 

「百尺竿頭一歩進めよ」は

道元だけの言葉ではなく

禅の古典に広く見られる向上門の教えです。

 

しかし

道元はこの語を最も深く理解し

如浄の教えを受けて

日本の精神文化の中に伝承しました。

 

つまり

私がポニョのタイトルから道元を連想したことは

禅の普遍的原理を

現代の物語の中に看取した直観だったのです。

 

■ 普遍的原理は、時代が変わっても生きている

現代は

村主章枝さんのように

アメリカ人と結婚することが珍しくない時代になりました。

文化も価値観も大きく変化し

個人の生き方は多様化しています。

 

それでもなお

「一生懸命に生きると、次の段階が見えてくる」 という

向上門の原理は

変わらず人々の心に生きています。

 

村主さんが映像で語った内容

―― 「結果ではなく、努力の先に新しい未来が見える」 という言葉は

まさに禅の向上門と響き合っています。

 

時代がどれほど変わっても

人間の深層には

普遍的な原理が息づいている。

 

それを

ジブリは物語として描き

アスリートは身体で体験し

私たちは言葉として受け継いでいるのです。

 

■ ユング心理学が示す「普遍的な場所」

私がこの点にこだわる理由は

ユング心理学の視点から見ると明確になります。

ユングは

集合的無意識には、普遍的な“場所”がある と考えました。

 

それは

宗教・哲学・神話・芸術が 繰り返し到達してきた

深層の構造であり

人間が文化を超えて共有する原理です。

 

禅の向上門も

道元が伝えた「一歩進めよ」という教えも

ジブリが描く“生の躍動”も

アスリートが体験する“次の段階”も

すべてこの普遍的な場所に根ざしています。

私の直観がとらえたものは

この普遍的な場所の“日本的な表現”だったのだと思います。

ペン🖊と果実🍎 つなぎて踊る 夏の風 @PTSDの臨法心理学【ピコ太郎事変】

7月17日の出来事を眺めていて

飛び出したのはコレ!

小坂大魔王 もとい🤭 ピコ太郎のお誕生日も本日らしい?

 

イベント前を意識して

本日は

真面目に話します🙂‍↕️

 

戦後を越えてもなお、私たちが向き合い続ける課題

1880年に

7月17日

旧刑法と治罪法が公布されてから

日本の刑事法体系は

長い時間をかけて整備されてきた。

戦後には日本国憲法が制定され

1956年の『経済白書』は「もはや戦後ではない」と宣言した。

7月17日

 

しかし

 

経済が戦後を脱したとしても

社会や人の心が完全に戦後を抜け出したかといえば

そうとは言い切れない。

 

戦争、震災、疫病――日本という国を人格化して捉えるならば

PTSDのリスクを負うほどの出来事が幾度となく襲ってきた。

 

阪神淡路大震災や東日本大震災の記憶は深く刻まれ

コロナ禍は「見えない脅威」として社会全体の不安を揺さぶった。

こうした経験は

法制度や社会規範のあり方にも影響を与え続けている。

 

1970年の家永教科書裁判では

7月17日

東京地裁が教科書検定を「検閲に当たる」と判断し

原告全面勝訴の判決を出した。

 

国家の判断であっても

時に見直されるべきであるという姿勢が示された象徴的な出来事である。

 

そして1998年

7月17日

国際刑事裁判所(ICC)のローマ規程が採択され

国際社会は新たな視座を得た。

国家の枠を越えて「人類の正義」を問う仕組みが整えられたことは

国内の司法にも静かな影響を与えている。

 

こうした歴史を振り返ると

法が正しく機能していても

なお救われない魂が存在するという現代の問題が浮かび上がる。

刑法と民法のはざまに落ちてしまう理不尽さ

 

訴訟詐欺まかり通る!@昨日記事

制度の網目からこぼれ落ちる痛み――それらは

 

令和のジャン・バルジャン @一昨日記事

戦後を越えた今もなお

私たちが向き合うべき課題である。

 

興味深いことに

今日誕生日を迎える古坂大魔王(ピコ太郎)の

お誕生日おめでとう!🖊🍎💐🍍🍰🍎🖊

「PPAP」が世界的にヒットした背景にも

日本的な感性が潜んでいるように思える。

 

ペン🖊とリンゴ🍎

よく使われる比喩2つ

青森出身らしいから身近にあるものでもある。

ペン🖊とパイナップル🍍――ただ二つのものを直結させただけの

日本における

🍍のイメージも随分変遷した

ナンセンスな歌が

ジャスティン・ビーバーの耳👂経由で

世界の耳を捉えた。

 

意味のないものに意味を感じる

あるいは「無」や「不思議」を笑いに昇華する感性は

日本文化の深層にある

一太極二陰陽のような世界観にも通じる。

 

複雑な問題を抱えながらも

どこかで軽やかに受け止める力。

それは

長い歴史の中で日本人が身につけてきた

精神の柔軟性なのかもしれない。

法制度が整備され

国際的な視座が広がり

戦後の経済が復興してもなお

私たちは

「根源に立ち返って判断する」必要に迫られている。

 

理不尽さに傷つく魂をどう救うのか。

PTSD発症リスク

制度の外側にある痛みをどう見つめるのか。

ジャン・バルジャンをどう救うのか?

歴史をたどることは

単なる知識の整理ではなく

今の時代に必要な視点を取り戻す作業なのだと思う。

神話のお勉強から

— 神隠しの場所

 

禅の夏 跳ぶひとすじの いのちかな@少年ジャンプと言えば!

雑誌キーワードは「友情・努力・勝利」。これは初代編集長の長野規の発案だった[5]

少年ジャンプといえば

 

 

泣きそうになりながら

限界を超えて頑張っていると

 

無意識からも外界からも

怖くもアル水魚といつもは認知症っぽいおばあさん

不思議な力が働くシーンです。

 

自力を尽くせば他力が働くということですね。

こんなお話にも通じる無意識の秘密です。

 

ジブリも今年は禅風です。

 

無骨さと 繊細の間に 風が泣く@ トラウマによる身体接触制限

 

事実はどうだかわかりませんが

男性側は

いっしょうけんめいまっすぐ武骨なところがあり

女性側は

トラウマをかかえた繊細なタイプなので

トラウマによる身体接触制限がなされていた

化学反応がおきてしまったという感じでしょうか。

女性は

死ぬかと思うほど恐怖を感じたでしょうが

男性は

ハラスメントとまで言われて驚いているのでしょう。

トラウマ制限について聞かされていない。

一番悪いのは

制作側ではないでしょうか。

安全管理には

PTSD理論

その背景に人文学ですね。

 

比喩表現も

過剰解釈され注意されるケースが増えている時代なので

対人関係が無機質化しないように願います。

相手や場を配慮するこころと

ユーモアを喪ってほしくない。

人文学の強化を主張する

投稿の観点からも

言葉の歴史的・心理的影響を学ぶことで

過度な自粛や対立を避けつつ

健全な議論を保てる可能性があります。

 

心理学や精神医学が

記号みたいに硬直している時代を映した事件じゃないですか?

 無の場所 迷い子を包み 息を継ぐ@不思議の国のアリス

1862年の7月4日に生まれたお話で

同僚の次女(10)に話した。

翌年の同じ日に本になりました。

 

当時は

子どもの本といえば

作家にとって

子どもは教化の対象で

未完成な

知力も感受性もない存在で

無知や病苦、貧困とセットにして描かれることが少なくなかった。

旧弊な教訓物語しかなかったので

ピューリタン的な伝統の強いイギリスでは

子どものための本はあっても

それは知識を得させるため

信仰心や道徳心を植えつけるためのもので

「教訓」を内に含まない本は稀

子どもが愉しむ『アリス』の登場は

子どもたちは

ルイス・キャロルの

即興の物語が好きだったが

そのなかでも一番好き

画期的なもので

多くの創作物に影響を与えました。

聖書とシェイクスピアの次に多く翻訳・引用されながら

アリス自体もパロディ化されたりしつつ

さまざまにかたちを変えられながら生きている。

~ ジョイスや江戸川乱歩にも登場するアリス

 

不思議な国に迷い込むお話ですが

英国の不思議について説明した

思議されないこと

哲学的なお話という構造になっています。

 

子どもを自分と対等な存在として扱うということは

心理療法でも基本

実は大変難しいことで

言葉遊び、パロディ、ナンセンスの要素で

子どもを愉しませながら

子どもには難しい概念を

分かりやすい冒険物語の流れに組み込んだものです。

 

たしかに

物語は

川辺の土手で

アリスが

読書中の姉の傍で退屈を感じながら

当時の本は退屈という風刺

座っているところからはじまっています。

退屈だよね~と子どもの視座にたち

心理療法の自由にして保護された空間

~何を表現しても受容される。

 

そして

おどろくような不思議なことばっかりだよね~と

~ 王子さまは出会っためんどくさい大人をぶった斬る

共感的に

大人でもムズカシイ哲学を

子どもからすれば

大人だからムズカシイ

語りかけているわけです。

自分のペースを崩されて

忙しい大人時間にまきこまれ

— まずうさぎが現れる

自分の時間と居場所を失いながら

小さい自分をさらに小さくされたり

— 当時の本のなかの子ども

誇張されたりして

身動きがとれなくなると

泣きたくもなるよね~と共感しながら

ルイス・キャロルは

子どものとき受けた苦痛を覚えている。

今の子どもに聴いてもらっている構図は

神隠しの場所かも🤔

フツーの本に書いてある

教訓の意味をずらして

馬鹿馬鹿しい詩にして

多数のナンセンスな言葉遊び

教訓詩や流行歌のパロディ

茶化したり

詰め込み主義を風刺したりと

やりたい放題な

風刺を超えて

人間存在のかなり暗い内容まで盛り込まれている。

~ ちょっと毒吐きっぽいところが心理療法的

冒険はたのしくないハズがありません。

 

もともとのお話も

大学の同僚のこどもたちと

大学のそばの川辺へ

ピクニックに行くところから生まれたものです。

この大学には特に

そんな空気があったのかもしれないですね。

~ ある?

方位磁石 魂の北を 指し続け@アインシュタイン天才脳のつくられかた

あなたもスタンプをGETしよう

アインシュタインは

高IQの天才として知られているわけですが

IQテストの結果は残されていないが

脳組織の研究により

— 本人が反対していたのにどうしても知りたかった?

160〜190とされる。

 

言葉を話しはじめるのが遅く

3~5歳ごろまではほとんど話さなかった。

学校になじめず

内向的で

体を動かすことや

言葉でコミュニケーションを取ることは苦手

苦労したそうです。

 

言葉が遅いのを

理解しているが

言葉に乗せて表現することが困難

両親は心配しつつも

よく観察していたようで

エジソンの母親のように

父親が与えた方位磁石と

針の動きを見て科学に興味を持った。

— 宇宙を直観?

母親が習わせたバイオリンが

学校での成績が振るわず

勉強が向いていないのではないかと考えた。

最初は興味がなかったが

モーツァルトを聴いて

— モーツァルトを分析すると何かわかるかもしれないと思う。

自分も弾いてみたいと思うと猛練習しだした。

— 内向性の強い子どもあるある

天才を開花させる素地となったようです。

興味のある分野は突き詰めて考える傾向があり

独学で難解な学問を学ぶなど

将来有名な物理学者となる片りんを見せていた。

今の時代ならば

言語発達のアンバランスさが異常視されるのでしょうが

発達障害の時代

脳の働きはよく

脳の構造自体に特筆すべき点はなかったが

「グリア細胞」が多かった。

ニューロン以外の神経系細胞で

神経細胞を支持しつつ

栄養供給・情報伝達の調節・免疫防御などを担う細胞群

野生の思考が優位だったようで

レヴィ=ストロース

思考のレヴェルに

— 頭の中で扱っている情報の抽象度や複雑さが高すぎて

言語という道具の側が追いついていない

— 年齢相応の語彙や文法では「うまく表現できない」状態

未熟というより

負荷がかかっている状態です。

両親は

感覚モードとして

視覚イメージとして考え

— 方位磁石

身体リズムとしてとらえる傾向を見抜いていた。

— ピアノよりバイオリン

—— 母親はピアニスト

ユングのタイプ論でも

思考と感覚は真逆の方向

イメージ優位の人が

意外にも

まずは数字に興味をもつことは多いのですが

 

アインシュタインも

河合隼雄とか

西田幾多郎とか

だんだんと哲学的思考になってゆき

思想についても

人類を宇宙に連れてゆきました。

相対性理論には

— @時間と空間

特殊相対性理論」と「一般相対性理論」とがある。

— 重力のある☯なし

—— 重力=時空の歪み

 

宗教のように

— おおもとの教え

応用されて

科学が分化発展したが

光に関する理論の方が功績らしく

— LEDライトや半導体技術で現実にも生かされている。

花とも融合

— 植物学者が発表した花粉の動きを数式化

熊楠の裏側?

華厳的曼荼羅世界

— 花を飾る =華厳

 

平和についても考え

友だちとともに

核兵器や戦争の廃絶を訴える呼びかけ

ユングも戦争の夢をみた

 

理論や理論が生まれた過程について言葉にもしました。

自己実現に関する秘密

言葉も残しています。

神はサイコロを振らない

失敗をしたことがない人間は挑戦をしたことがない人間である

6歳の子どもに説明できないようでは理解しているとはいえない

アインシュタインのようなひとなら

無名だったので

認められるのが遅れた。

批判されないと思うけど

もはや必要がなく

ありのままで

ロックスター☄なんてよばれないほうがよいですね。

 

名の光 影を速める 学の道 @哲学界のロックスター✨

あなたもスタンプをGETしよう

 

夢中になってるアーティストは誰ですかとお訊ねです。

今は推しというのでしょうか。

 

アイドルや俳優

キャラクターなどの中で

「特に好きで積極的に応援したい存在」を指す若者言葉

~ 「推す=推薦する」という意味から派生

ビートルズは熱狂的に迎えられたそうですね。

サルトルとボーヴォワールも

現代の

空海はスーパースターと呼ばれている✨

哲学の世界にもスターがいるとは知りませんでした💦

 

国際的な

英語圏・ドイツ語圏・スペイン語圏などでも

「rockstar of philosophy」「Rockstar am Philosophenhimmel」といった表現が

メディアで使われている。

 

プロモーション戦略一環としてのパフォーマンスのようです。

多層的な「意味の場」を設計し

客観的現実に基づく感情的な響きを生み出すことで

新市場を開拓しているもの

 

デマゴーグとまでは言えないかもですが

事実に基づかない誇張を宣伝用に広めたあとに

(呼び名は)定着しているとの正当化には無理がないですか?

~ マッチポンプ

哲学分野では

人気を狙ったキャッチーな表現が

学術的厳密さと相容れず

倫理的な懸念を持つ人もいます。

実際にそう呼ぶ人は少なく

書籍や講演でのキャッチフレーズ的な使われ方が多い。

「哲学界のロックスター」という呼び名は虚構で

出版社やメディアが考案・普及させた宣伝文句であり

学者同士が日常的に使うわけではなく

学界では「人気の公的知性」や「新実在論の提唱者」として知られています。

人の認識は

現実的な感覚で形成される。

— メディア露出が多い実在論の人

—— 電波哲学芸人

倫理観を重視する哲学でも

必要悪とされることはありますが

ジジェクら他の哲学者にも似た戦略が見られ

思想普及を優先する戦術として一定の役割を果たしているとされている。

現在は「WEターン」を提唱しているのですから

これが新しい実在論の実際🤔

何をかいわんやです。

このニックネームがかえって

批判的議論の結論を先取りしてしまう可能性が濃厚ではないでしょうか。

学界では29歳で最年少教授となった実績や

新実在論で知られる一方

批判も存在している。

 

JAROってなんJARO

苦難より 天啓ひらき 魂立つ@ルソーのPTSD神隠し

本日は

ルソーのお誕生日です。

 

ジャン・ジャック・ルソー(1712-1778)と言えば

偉大な哲学者・思想家ですが

なかなか苦難の人生だったようです。

もはや法則のようなものらしい。

若いころから

露出癖や重度の被害妄想

奇行があり

自分も保護と放浪を繰り返したのに

— そうすると虐待など受ける。

 

5人の子供を孤児院に送るなど

— 告白』などに具体的に記されている。

生涯

精神的に経済的に安定していたことは一度もありませんでした。

 

そもそもが

生後9日にして母を喪ったことが大きく

裕福な一門の出で

賢さと美しさを具えていて

ルソーは

母からこうした美点を受けついで誕生というのは

光源氏みたいだと思えば

— 母親の影を追い続け人間そのものを見ていない。

やはり

恋愛観が特殊になった。

病弱で

敏感な子どもに育ち

統合失調症のようなものを発症する素地ができます。

さらには

10歳のころに

一家離散で

父が告訴され逃亡

— 元軍人貴族との喧嘩がもとで剣を抜いた。

兄は奉公に出されたまま行方知れずに

いわゆる神隠し

孤児同然となり

虐待され

不自由な寄宿生活のなかで

牧師の妹で未婚の40代女性から

身に覚えのない罪で度々折檻された。

奉公に出されても

日常的に虐待を受けるうちに

不良少年となり

虚言を語り

仕事をさぼって

悪事や盗みを働く

無気力になってしまいますが

読書だけは続けていたので

唯一の逃避場所なので

本を捨てられても

借りては仕事をさぼり読みふけった。

— もはや薬

読書力に救われることになります。

自己実現の秘訣は苦難の最中に磨かれる。

重要な影響を与えた人物が2人いて

最初の人物は司祭で

嘘をついて人に罪を着せたりするので

信用がなく

仕事も続かないルソーに対し

何度失敗しても励ましました。

— PTSDの試し行動のようなもの

—— ルソーは恩恵と『エミール』で回想

 

門限に遅れ

罰への恐怖から解離性遁走したあとは

本人も神隠し

放浪生活と保護生活を繰り返します。

入退院ではなく

2人目は

15歳の時に出逢った29歳の女性で

実母との関係が転移

最初は救世主のように

ほぼ宗教体験のように回想

2度目は母親のように思い

夫人はルソーの無事を喜び

母のようにルソーにキスをして撫で

「坊や」と呼び

ルソーは夫人を「ママン」と呼んだ。

ルソーは初めて幸福感を味わう。

母親から離れることができない子どものように

不登校で

公的な学校を卒業したことが一度もない。

~ 夫人はしかたなく姿を消す。

このとき

父と再会し

二人は涙を流して再会を喜んだのに

父親と暮らす意思はないことを伝えたのは

アジャセ的錯綜?

三度目に恋愛関係になったあと

ルソーは美男子だったので

女性たちの関心の的となり

夫人がルソーを護るうちに

恋愛関係に

しかし幸福ではなく「あたかも近親相姦を犯したような気持ちであった」と回想

虐待経験や

権力への意思

思考より感情を重視

放浪生活も悪いことばかりでなく

ひとびとの暮らしを内側から知ることにもつながり

「自然が美しい豊かな恵みを与えているのに

それを重税が破壊してしまう」様を目の当たりにし

宗教改革の素地ができた。

死の恐怖経験で

事故がおこり

一時生死をさまよう。

回復せず

身体の変調から死を感じるほど患い

残り僅かの人生だと覚悟してから

元々の読書力を駆使して猛勉強

 

ちょうど

共時性

夫人が18歳の男性と同居するようになったので

自立することが叶い

23歳の女中と恋に落ち

教養がなく

文字の読み書きも満足にできない

素朴さに惹かれた

「決して捨てないし結婚もしない」という条件で

生涯添い遂げます。

すべてのわが子を孤児院に入れたことは

『エミール』を書くときに強い後悔の念をもたらすことになる。

転機となった出来事は

最初の夫人に出逢ったときのように

天啓的です。

生活に困窮しているときに

懸賞論文の募集を知った。

— 「学問及び芸術の進歩は道徳を向上させたか、あるいは腐敗させたか」

突然の閃きが生じて

三十分にわたり精神が高揚して動けなくなってしまった。

「これを読んだ瞬間、わたくしは他の世界を見た。わたくしは他の人間になってしまった。」

不遇な状態は一変

以後次々と意欲的な著作・音楽作品を創作するようになったわけですが

『エミール』が出版される運びとなっても

パリ高等法院から焚書とされ

逮捕状が出る始末

亡命しようと選んだ土地でも迫害がはじまり

居場所はどこにもなくなりつつありました。

人々が好意的で助けてくれたのが救い

精神状態は悪化の一途を辿り

迫害の恐怖に恐れおののき

正気を保てなくなってゆきました。

 

 

 

作詞者は不詳で

ほかにも讃美歌・唱歌・軍歌まであるらしい。

ルソーのオペラ「村の占い師」は

ルソーだから残っているとも

両片思いの男女から

「冷たくなった」

「避けられているようで不安」

個別に相談された占い師が

まさかふたりとも来るとは思わず

「あなたも冷たくしなさい」

「本心を正直に告げなさい」とアドバイスし

 

大団円💕というシンプルなお話です。

 

死を覚悟して猛勉強し始めたころの作品でしょうか。

断たれし径 学の影ゆく WEターン @宗教哲学における複雑性PTSD現象学

本日は

エードゥアルト・シュプランガーが生まれた日です。

Eduard Spranger

1882‐1963

現在では

ユングのタイプ論などがよく知られていますが

最終貯蔵庫

シュプランガーも

6つの類型に分類していました。

人がどの領域に文化的価値をおいているかにより

  • 理論型 – 理論が通じることや真理に価値をおく。論理的に理解することで真理を追究する。
  • 経済型 – 金銭的・社会的地位に価値をおく。利己主義的で、経済的観点から物事を捉える。
  • 審美型 – 美的なもの、楽しいことに価値をおく。ものごとを感情を通して考える。
  • 宗教型 – 神を崇め、信仰に価値をおく。博愛的で、人生を見つめ、道徳的に生きようとする。
  • 権力型 – 他人を自分の意のまま従わせることに価値をおく。権力掌握に満足感を覚える。
  • 社会型 – 社会への奉仕活動や福祉にかかわることに価値をおき、人の役に立つ行動をとる。

 

シュプランガーの類型論だと私はなんだろう

— しぐれ🍀 (@CherishChieri) June 17, 2026

 

来日し

ヒットラーに批判的なので

頭を冷やさせるためだったとか

80近くの大学や研究所に足を運び

講義や講演を行ったとのことですから

日本人に与えた影響は大きそうです。

もしや…💡

 

田辺元が西田哲学との対決姿勢を打ち出したのも

「西田先生の教を仰ぐ」(1930)

この時代の話ですから

批判の核心も

6つの類型すべてを抱合するたった1つの場所という

複数で表現されることも多いけど

意識野は1つというのが今は普通の考え方

硬質な哲学にアレルギーを起こしたものかもしれません。

 

なにより

WEターンで

「哲学で世界は変えられるのか」をテーマにしているのも

歴史を振り返ってみると

良くも悪くも哲学は強く現実に影響を与えてきたのに

「抽象的な議論を展開しているだけにみえて嫌だった?

同根ではないかと思うのです。

トラウマがそのままになり

— 必ず思考が脱線する。

時空を超えて集合が

複雑性PTSD状態になっている🤔

20世紀ドイツを代表する教育学者ですが

学問もまだまだ未分化な時代で

臨床心理学などありませんが

— 宗教や哲学が担っていた。

必要とされていました。

哲学者で心理学者でもありました。

対象は同一

師のディルタイ

Wilhelm Christian Ludwig Dilthey

1833‐1911

ドイツの哲学者・心理学者・思想史家

牧師の家に生まれ

主に学んだのは神学で

主著『精神科学序説』第1巻を刊行

退官まで

精力的な教授活動を行い

自然科学隆盛の時代に

基礎づけを試みたのは

精神科学」で

この問題領域の学的方法論への寄与を目した

数多くの論文を発表しています。

田辺元も

日本で最初に

“宗教的実存の変容”を哲学の中心に据えた人物とされる。

— 歴史のなかで個人が生死を超え成長する臨床心理学モデル

どちらかといえば

精神史家としての名声を得ており

シュライアーマッハーの生涯』

『ヘーゲルの青年時代』

— 人物の分析

『体験と創作』

『ドイツの偉大な創作と音楽』

— 「体験」の語は当時の流行語に

—— 西田哲学でなじみのある概念の萌芽

——— ギリシアから雑食性ですが

心理学においても

記述的・分析的心理学を標榜し

その流れは了解心理学として心理学のひとつの流れをつくり

精神病理学カール・ヤスパースに続く。

その哲学的な解釈

哲学的解釈学としても知られています。

これを方法論として

当時流行の現象学に接木したものが

マルティン・ハイデッガーの『存在と時間

フッサール『厳密な学としての現象学』他にて行なった

ディルタイ批判が

その後の哲学の文脈におけるディルタイ評価を決定したという事実や

学問の世界あるある

フロイトとユングみたいな

時代背景などもあり

特に戦争への関与はどの哲学者も問われている。

田辺元は

種の論理を踏まえて

— 種より類

京大の学生の戦意を高揚させる演説をしてしまったが

— その実、自らこそが頭で考えた哲学だったことがわかっている…

生死の哲学の過程に起きたことで

— 未だ完成形にない難問

フロイトの理論を不徹底とするようなもの

— フロイトも友人を死なせた…

再検討が必要であるとされていることが

要するに大昔からの重要な命題が

— 哲学を臨床心理学に超越させる。

— 臨床心理学を哲学に超越させる。

解かれないままになっている

WEターン問題として

再燃しているように見えてしかたないのです。

解決策は…

PTSD予防学を基礎づけること

似て非なる WEの影より 場所は立つ @田辺元への嘆き再び

ジブリの哲学について

長らく考察してきたものですが

ジブリは

このたび

との関係についての展覧会を2つほど

開催するそうです。

禅的なものに通底していると明言されてますね。

白隠さんと言えば

イメージ&アロマテラピーのハシリです。

— 未だこの組み合わせはあまりないかも🤔

ご自分の禅病を癒すために考案されました。

 

スーパー歌舞伎もまた👀

 

なのに…

哲学界では

本家本元

WEターンって?

AIの抬頭で

人類が

なにかと無力感を再認識させられているからといって

Iモードから

WEモードにシフトしましょうって🤔

昔から東洋思想にある

人間は生かされてるってことを思い出せば充分じゃないですか?

ひとりでは何もできない。

とくに赤ちゃんはそうなので

いままでどのくらいの好意のリレーで

生かされているか

有難いか

再認識することで

断食瞑想くらいの効果が期待できるのが

内観療法

 

道元や西田哲学を引き合いに出していますが

なにげに善って書いてるし…

どちらも

どうしようもなさにザブンと沈むことはあっても

どんぐりころころ♪を案じて河合隼雄少年は泣いたらしい。

法華転法華

WEにつながろうなんて発想はありません。

これは悪しき現代心理学の立場じゃないでしょうか。

西田幾多郎が

田辺元を嘆いた

道元論と重なります。

学習効果なし@歴史的身体

 

人類は衰退しました

人類が物質文明の哀れな末路を辿り始めて早数世紀

人類よりも遥かに高度な文明を持つ新たな人類

『妖精さん』が誕生した。

「わたし」は祖父の仕事を継ぐために調停官となり

妖精さんと旧人類との間を取り持つ役目を負うこととなる。

そんな中

クスノキの里では奇妙な出来事が起こり始める。

妖精なども

妖怪学@井上円了 とか

イメージなど心霊上の事実

共存する世界を相手にということでしょうか。

 

アニメで哲学してきた若い人たちはお見通し?

感覚で身についているところが凄い。