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見えぬ処 心ひそかに 息を継ぐ @公認心理士化する西田哲学

 

心の広がりをめぐって──河合隼雄西田幾多郎が眺めていたもの

河合隼雄の誕生日にあたり、あらためて彼の仕事を振り返ると、日本の臨床心理学がいかに“制度として”形を与えられてきたかが見えてくる。
心理学を学ぶ場がほとんど存在しなかった時代に、臨床心理士という資格をつくり、国家資格化の道筋を描こうとした。その努力は、彼の死後、公認心理師という形で結実した。

しかし同時に、臨床心理学は「心理主義」という大きな潮流に巻き込まれつつある。
この問題は、実は西田幾多郎が『善の研究』で自ら反省したこととも響き合う。
ちょうど今週末、西田哲学会が開催される。
河合隼雄の誕生日と哲学会の時期が重なる今、臨床心理学と哲学が共有するこの問題を、あらためて考えてみたい。

1 河合隼雄の功績と、日本の臨床心理学が置かれていた状況

河合隼雄の仕事を振り返るとき、まず驚かされるのは、彼が活動を始めた当時の日本には、臨床心理学を体系的に学ぶ場がほとんど存在しなかったという事実である。心理学といえば、大学では実験心理学が中心であり、哲学や教育学の一部として扱われることが多かった。西田幾多郎が東京大学で学んだ心理学も、まさにこの「実験心理学」の時代である。

そうした状況のなかで、河合隼雄は臨床心理学を「学問として」「職能として」成立させるための基盤づくりに尽力した。ユング研究所での研鑽を経て、日本にも精神分析や分析心理学のような、しっかりとした訓練体系を持つ専門職を根づかせたいと考えたのである。

そのために、まず民間資格として臨床心理士制度を立ち上げた。これは、制度としては暫定的なものであったが、当時の日本においては画期的な試みであり、臨床心理学を「専門職」として社会に認知させる大きな役割を果たした。河合自身は、いずれ国家資格として整備されるべきだと考えていたが、民間資格を国家資格に格上げする制度は存在せず、道筋は容易ではなかった。

それでも、臨床心理士制度は日本の臨床心理学の発展に大きく寄与し、河合隼雄の死後、公認心理師という国家資格が誕生することになる。制度としての形は変わったものの、臨床心理学を社会に根づかせるという河合の構想は、一定の形で実現したと言えるだろう。

しかし、ここで一つの問いが生まれる。 河合隼雄が目指した臨床心理学の姿と、現在の公認心理師制度が示す方向性は、本当に同じものなのだろうか。 そして、臨床心理学が制度化される過程で、私たちは何を得て、何を見失ったのだろうか。

この問いは、臨床心理学の制度史を振り返るだけではなく、哲学側からの「心理主義」への警鐘とも深く関わっている。

 

2 心理主義の問題──宗教・心理療法・哲学の境界が曖昧になる時代

臨床心理学の制度が整えられ、専門職として社会的地位を得ていく過程は、確かに大きな前進であった。しかし、その一方で、臨床心理学は「心理主義」という大きな潮流の中に置かれるようになった。心理主義とは、宗教・倫理・哲学・社会の問題までもが、すべて「個人の内面の問題」として処理されてしまう傾向を指す。

この問題は、宗教哲学の側からも警鐘が鳴らされている。 たとえば、宗教が本来持っていた共同体的・儀礼的・歴史的な側面が弱まり、個人の内面へと収縮していく現象が指摘されている。宗教が「心の癒し」へと変質し、精神科医や臨床心理士が、かつて宗教者が担っていた役割を代替するような状況が生まれているというのである。

心理療法の出自が宗教と深く関わっていることはよく知られている。 しかし、現代の心理療法は、宗教的な由来を否定するかのように、個人の内面の問題としてのみ心を扱おうとする。宗教と心理療法が互いに近づきながら☯同時に互いの由来を否定し合うという、奇妙なねじれが生じている。

この心理主義の時代において、臨床心理学は「心の専門家」として社会的期待を集める一方で、心を取り巻く文化的・歴史的・共同体的な文脈を見失いかねない危うさを抱えている。 心を個人の内側だけに閉じ込めてしまうと、心が本来持っている広がり──身体、歴史、共同体、宗教、文化──が見えなくなる。

この問題は、臨床心理学だけの問題ではない。 哲学の側にも、同じ危うさが存在している。

3 西田哲学との共通問題──心理主義への反省と、心理学との接点

臨床心理学が心理主義の潮流に巻き込まれているという問題は、実は哲学の側にも同じように存在している。西田幾多郎は『善の研究』を著した後、自らの思索が「心理主義に傾いていた」と反省している。 心の働きを哲学的に捉えようとしたとき、どうしても「個人の内面」に焦点が集まりすぎてしまう危険がある。その危険を、西田は早い段階で自覚していた。

西田が参照していた当時の心理学は、実験心理学が中心であり、心を科学的に測定しようとする試みが主流であった。西田はその内容を紹介し、若干の意見を加えるにとどめているが、心理学を哲学の基礎として積極的に取り込むことはしなかった。 しかし、心理学を完全に拒絶したわけでもない。むしろ、西田は心理学が扱う「感官」や「意識の働き」に強い関心を寄せていた。

近年、哲学館で修復が進められている西田の心理学ノートを読むと、彼が眺めていた心理学の全体像が少しずつ明らかになってきた。そこには、個人的意識を超えて、国家や文明の差異までも含む「人類それ自体(humanity itself)」の相を捉えようとする記述がある。 これは、ユングが集合的無意識を構想したのと同じ時代の空気を感じさせる。西田が「歴史的身体」と呼んだものと、ユングの集合的無意識のモデルは、異なる言語でありながら、どこかで響き合っているように思われる。

道元が譬え話として「古鏡」「火炉」「無縫塔」などのイメージを用いて、言語化しがたい感官の働きを示そうとしたように、西田もまた、個人の心を超えた広がりを捉えようとしていた。 その広がりは、心理主義が心を個人の内側に閉じ込めてしまうとき、最も見失われやすい部分である。

西田哲学会でも、近年は西田の思想をより深く理解するために、心理学との関係を視野に入れる試みが増えている。西田が生きた時代の心理学を丁寧に読み直し、哲学と心理学の接点を探る動きがある。 しかし、文献を並べて表面的に一致する部分を探すだけでは、西田の思索の内側には届かない。 西田と同じ時代に生き、ほぼ同じ問題を見つめていたユングの心理学を手がかりにすることで、初めて西田の「心の広がり」が立体的に理解できるのではないかと私は考えている。

臨床心理学と西田哲学は、どちらも「心」を扱う学問でありながら、心理主義に傾くと実態を見失うという共通の危うさを抱えている。 その危うさを乗り越えるためには、心を個人の内側だけに閉じ込めず、身体・歴史・文化・共同体・宗教といった広がりの中で捉え直す必要がある。

4 ユングとの同時代性──心の“広がり”を取り戻すために

西田幾多郎とユングは、互いに直接の交流があったわけではない。しかし、彼らが生きた時代の空気には、共通する問題意識があったように思われる。 それは、心を個人の内側だけに閉じ込めず、歴史・文化・共同体・宗教・身体といった広がりの中で捉え直そうとする試みである。

ユングは、個人的無意識の背後に、民族や文明の差異をも含む「集合的無意識」を構想した。 西田は、「歴史的身体」という概念を通して、個人の心が歴史的・文化的な文脈の中で形成されることを示そうとした。 両者は異なる言語を用いながら、心の構造を“個人の内側”に限定しないという点で、深い共通性を持っている。

心理主義が心を内面へと収縮させるとき、こうした広がりは最も見えなくなる。 心が「個人の感情や認知の問題」に矮小化されると、心が本来持っている歴史的・文化的・宗教的な層が切り落とされてしまう。 その結果、心はかえって理解しにくくなる。 心を狭く捉えるほど、心の実態は遠ざかるのである。

臨床心理学が制度化され、専門職として確立されることは重要である。しかし、制度が整うほど、心が「測定可能なもの」「技法で扱えるもの」として扱われやすくなる危険もある。 哲学の側でも、心を論理や概念の枠組みで捉えようとすると、個人の内面に焦点が集まりすぎる危うさがある。

だからこそ、今あらためて、西田とユングが見ていた“心の広がり”を思い起こす必要がある。 心は、個人の内側だけに存在するのではなく、身体・歴史・文化・共同体・宗教といった層の中で生きている。 その広がりを取り戻すことが、心理主義の時代において、臨床心理学と哲学が実態を見失わないための鍵になる。

西田哲学会が心理学との関係を再評価し始めていることは、こうした広がりを取り戻すための重要な一歩である。 臨床心理学と哲学が互いに閉じた領域として存在するのではなく、心の広がりを共有する学問として再び接続されるとき、心理主義を超える新しい視野が開かれるだろう。

5 心理主義を超えるために──臨床心理学と哲学が見失わないための視点

河合隼雄が臨床心理学の制度化に尽力したこと、そして西田幾多郎が心理主義への傾きを自ら反省したことは、いずれも「心をどう捉えるか」という根本的な問いに向き合った結果である。 臨床心理学と哲学は、異なる方法を用いながら、同じ問いの周囲を歩いてきたと言える。

心理主義が心を個人の内側へと収縮させるとき、心の実態はかえって見えなくなる。 心は、身体・歴史・文化・共同体・宗教といった広がりの中で生きている。 その広がりを切り落としてしまうと、心は「測定可能なもの」「技法で扱えるもの」として矮小化され、臨床心理学も哲学も、本来の対象を見失う危険がある。

その危うさを乗り越えるためには、心を広い文脈の中で捉え直す視点が必要である。 ここで、河合隼雄と西田幾多郎の思索が、静かに響き合う。

二人に直接の交流はなかった。 しかし、彼らが眺めていたもの──心の構造の広がり、個人を超えた歴史的・文化的な層、宗教的な深み──は、驚くほど似ている。 ユングが集合的無意識を構想したのと同じ時代に、西田は「歴史的身体」という概念を通して、心が個人の内側だけに閉じないことを示そうとした。

臨床心理学と哲学が心理主義に傾くとき、こうした広がりは最も見えなくなる。 だからこそ、今あらためて、河合隼雄と西田幾多郎が見ていた“心の広がり”を思い起こす必要がある。

臨床心理学は、制度として整備されるほど、心を技法や測定の対象として扱いやすくなる。 哲学は、概念や論理の枠組みで心を捉えようとすると、個人の内面に焦点が集まりすぎる危険がある。 どちらも、心理主義の時代には、心の実態を見失いやすい。

しかし、臨床心理学と哲学が互いに閉じた領域として存在するのではなく、心の広がりを共有する学問として再び接続されるとき、心理主義を超える新しい視野が開かれるだろう。 河合隼雄の構想と西田の反省は、そのための静かな道標となる。

心は、個人の内側だけにあるのではない。 心は、世界の広がりの中で生きている。 その広がりを取り戻すことこそ、心理主義の時代において、臨床心理学と哲学が実態を見失わないための鍵となる。

救いなき 光を求めて 夏の影 @いただき女子系ライバーPTSD殺人事件

地下アイドルが被害者となるような

ストーカー殺人事件も

今は

流行の詐欺師的女性が

いただき女子系

被害男性に殺害されるかたちが増えています。

250万円だましとられ

統合失調症と診断され

自殺未遂の後遺症もある男性にとっては

スマートフォンの向うは

宗教的な場所だったのではないか。

被害弁済してもらえるようにしたけれども

病気を抱えながら

ちゃんと国のルールに則って

ここまでできたのは凄いと思います。

支払ってもらえず

いただきりりちゃんと違い

— りりちゃんの弁済プロジェクトも頓挫中ですが…

お金のない人にも容赦なかった。

生活に困窮してしまったので

解離して

薬も飲んでいるから危険⚠

55回も刺すという

そのあと頭を蹴ったり動画に撮ったりしたことも

被害者の尊厳を踏みにじると指摘されました。

痛ましい事件を起こしてしまいました。

注目の事件は刑が重くなりがちだけれども

同情の余地があるとのことで

世論もそういう傾向

4年分の情状酌量となりました。

 

なんともいえない話ですね。

PTSD予防教育がなく

こういう事件が起きてしまうということが

ひとしずく 悔恨の海へ 落つる音@特殊詐欺は魂の殺人だから出所後も銀行口座がつくれない凶悪犯罪

ミャンマーを拠点にした
国際的な特殊詐欺事件を巡り
「かけ子」として
現金をだまし取ったとして
詐欺罪に問われた男2人に
名古屋地裁は7日
懲役4年6月の判決を言い渡しました。
国内での特殊詐欺と違い
渡航した時点で
危険に気づいても
逃げられないのが気の毒ですが
実刑は免れないのでした。

 

コメントのなかに

特殊詐欺に関わった人たちは

出所しても

銀行口座&クレジットカードが作れないというコメントがあります。

 

理論上は

そんなことはないけれども

非常につくりにくくなるというのが事実

実際は

反社会的犯罪という性質上

つくれないと言っても

過言ではないそうです。

一般論としては誤りながら

「ほぼそうなるケースが多い」というニュアンスとして正しい

— 大手銀行は必ず断る。

信用情報のなかで

犯罪歴は直接の審査項目ではないけれども

特殊詐欺は

銀行にとって最も警戒される犯罪なので

「犯罪収益移転防止法」の重点対象

口座開設を極めて慎重にするというのは

考えてみれば当然のことですね。

 

司法は

犯罪者を罰するのではなく

更生するための支援をする方向に切り替えたのですが

警察は

反社同様

特殊詐欺についても

金融機関に対して情報提供をすることがあるのですね。

 

いわゆる普通のクレジットカード会社の方は

加入してほしいけれども

殊詐欺で服役した人は

そもそも審査に通らないということが多いようです。

既にブラックリストとか

収入が不安定等

詐欺は一応重罪扱いとはいえ

執行猶予がつかず必ず実刑とか

殺人とかと同レベルの重罪ではないのですが

しかも罪を償ったあと

 「被害者の心を壊す犯罪」 なので厳しく扱われるのだそうです。

高齢者が多い

長期的なPTSDを残す

家族関係が崩壊する

自殺に至るケースもある

経済的損失が甚大

社会的信頼を破壊する

つまり

「お金を奪う犯罪」ではなく

「人生を破壊する犯罪」 という性質を持っているのです。

「お金を失った」ではなく

「尊厳を奪われた」 という体験を生じさせる。

そのため

銀行・金融機関・行政・企業は

“反社会的勢力と同等のリスク” として扱います。

特殊詐欺は反社と同じカテゴリーに入る

組織犯罪

 

高齢者の場合は

認知機能の急激な低下により

認知症のように見えるかもしれないですね。

 

雨の寺 名を呼ぶ焔(ほむら) 師の影 @PTSD性不眠のことなど

雨の日が続けば☔

火事🔥の話題です。

なにやら『金閣寺』みたな放火事件で

師弟関係の難しさは

今も昔もかわらないのですね。

 

焼津では

家族関係のトラブルで

PTSDを発症し

睡眠薬を12錠飲んで自殺しようとした人の

自宅に放火したことになる。

裁判がありました。

 

薬は効くのでしょうが

効かないのでしょうか。

解離のせいでしょうか。

 

 

不眠は

脳の火災報知器なのだそうです。

 

なにか不思議にリンクしつづける

火事の話でした。

そういえばデヴィ夫人もこんなことをおっしゃったそうです。

 

声なき傷 雨の底より 息を継ぐ@訴訟詐欺事件と複雑性PTSD

解離行動というものは

デタラメなことを行っているようで

そこには

じゃんけんのような

✊ ✌ ✋  これしか出せない。

わかりやすくシンプルな法則があり

デタラメにはできないのです。

無意識が出鱈目ではなく

意識よりも

よく記憶し判断していることを映し出す。

その法則第一

解離すると

その立場で一番してはいけないことをするようになる。

さすがに大変化のトキ風の時代

とうとう哲学界までわざわざWEターン

— 根本

I  即 WE ? 絶対無 法華転法華 空華 とは? 

創発性の顕現? 

弁護士による

犯行時は

裁判官などになりすまして作文

訴訟詐欺事件が

預かり金1120万円を横領するため

判決文・陳述書などの偽造を繰り返した。

 

在宅起訴されたニュースが流れてきました。

犯行期間は

 2021年10月頃〜2025年3月頃で

複数の民事訴訟を放置

— 弁護士のアパシー

被害者(依頼者)からの告訴・相談

または弁護士会の懲戒手続きを通じて

過去にも

事件放置などで複数回の弁護士会懲戒処分を受けていたため

— 放置の確認しかしなかった⁈

それらがきっかけの一つになった可能性がある。

特捜部に情報が寄せられ

捜査が始まったと推測されます。

 

特捜部が関わるときには

 

事が重大

組織犯罪や大規模横領並みに

かつ

慎重になるので

警察・検察の非公開情報だらけで

「犯行が明らか」と思える事件でも

— 文書偽造・着服は証拠が比較的明確

在宅捜査の場合

任意聴取・資料提出に時間がかかる。

共犯関係の有無の確認は案外困難

時間がかかるものみたいですね。

起訴まで数年かかることが珍しくないらしい。

被害者からすれば

警察や検察は怠けているように感じても…

特に訴訟関連の詐欺・背任類似事件は激務なのです。

★ 証拠収集の難易度:偽造文書の真正性確認(原本との比較、作成経路)

★ 預かり金の流れ(銀行記録、依頼者・相手方との金銭授受の全容)

★ 複数の被害者・事件が絡む場合

  個別に立証が必要。訴訟記録や裁判所データも関わる。

 

否認事件が長引くという理由がわかりました💡

 

世間からすれば不自然なことも多々起こります。

 

とはいっても

被害者が複数で横領が巧妙だと長期化するなか

弁護士ではなく

もはや詐欺師なのに

弁護士会がこの程度では

「身内の犯罪にも推定無罪を…」という批判も真っ当

特捜は

— 被告人じゃないけど世間に対して

被害が積み重なってやっと動いたことへの正当性を

立証しなければならない。

被害にあった当事者たちは

被害に気づかず

まさかと思うようなことをするのが

PTSD解離性詐欺師

気づいて心配になった時からは

捜査の詳細はおろか進捗すら教えてもらえないなら

複雑性PTSD予防くらいは

検討すべきではないでしょうか。

在宅捜査中の容疑者にも

裁判を受ける権利を保障するために

リハビリ化した

刑務所の治療?を受けるためにも

必要かもしれません。

「被害者参加制度」等

後手後手なものしかない。

双方は

どんな夢をみるのでしょうか🤔

私の関心はそのあたり🎯です。

 

 

情報源: 訴訟放置し、判決文の写しを偽造か 弁護士を在宅起訴 名古屋地検(朝日新聞) – Yahoo!ニュース

むなしさに ひらくひとひら 音の芽よ @きたやまおさむと木村敏の時代

本日は

太宰治のお誕生日です。

もう🍒桜桃忌🍒とは呼ばないのですね。

 

 

人が変わるのは

生まれ変わるようなものですが

誕生日は意識されていたのでしょうか。

集合的無意識としては

格別意味のある日だったようです。

そして

きたやまおさむ先生のお誕生日です。

専門は臨床精神医学・精神分析学

日本精神分析学会会長

 

たくさんのヒット曲がありますね。

いま思えば

宗教哲学性があり

神さまのお言葉とか

命賭けてとか

再生とか

コブのない駱駝🐫とか

ペンネーム自切俳人(ジキルハイド)」

ピアノがお上手だったという木村敏先生に近いかもしれません。

15歳違いで

臨床心理学が元気だった頃にご活躍だったから

対談などもあったかもしれません。

 

メンバーの加藤和彦さんの自死については

病を食い止めるべき精神科医としての無念を記し

「加藤君には2人の人間がいた。

1人は楽しく明るく前向き。もう1人は厳しく完全主義で怒ると怖い人。

今回はそのもう1人が自分を殺してしまったんだと思う。

曲を制作する時は人の意見も聞いてくれたんだけど、最後の幕引きでみんなの意見を聞いてくれなかった」と精神分析

九州大学を定年退職して以降は

最終講義のほかに

さよならコンサートで

新作を発表

2曲のうちの一曲「七色の光の中で」は

加藤さんの死から受けた感情をしたためた歌

坂崎幸之助が作曲

一医師としての臨床活動及び後進の指導を始められたそうです。

木村敏先生の哲学の継承は…と

危惧される今日この頃ですが

きたやま先生はご活躍中で

秋には

第57回『日本芸術療法学会』の学術大会でご講演

テーマは芸術と創造性 

テーマの

 むなしさは先の無念さ@ポイエシス に通じる普遍性のあるものですよね。

お能の亡霊など参照

そして!

 

 

気になったのは…

募集中の事例研究のシンポジストがお二人だけという点で

しかもおひとりは司会者兼務

よく読むと…

こんなことになっていたとは知らなかった…けど

さもありなんな直精のご時世(>_<)

ワークショップと事例検討は

今回小さなチャレンジとして組み込んだとのことです。

なにやら復活の兆し?

善い風が吹いているのやも🤔

誤認の闇 哲学なき 治療(てらい)@スラップ虚偽告訴で餓死した福祉スタッフの悲劇

あなたもスタンプをGETしよう

知的障害者支援施設も大変なことになっているようです。

支援学級等関連施設総じて

現場は手に負えない…(>_<)

病院での殺人事件も珍しくないわけですから

隠ぺいしようとした経営者の逮捕も

施設でも

利用者が他の利用者に噛みついたりすることがあるようです。

当然スタッフは止めに入るわけですが

4か月も経ってから突然

逮捕されてしまい

証拠もなく

本人は否定

現場には35人もいたのに

— 逮捕状が出ていた不思議

虐待の疑いを相談した利用者1人だけに確認して連行

— 亡くなった後に「オーバーに言ってしまった」と謝罪

—— 核心はいまだ解決しない陰湿ないじめ問題

脅迫まがいの取り調べにショックを受けて

自白を迫る。

拒食症になり

餓死してしまいました。

 

女性は

まだ16歳

どうも知的障害があるようで

家族が経営する施設で働いていました。

「彼女は障害のある子たちが大好きで

あの子たちがいるときの彼女が一番キラキラしていました」

一生の仕事にすることを夢見て

難しい資格も取っていたと母親

「拘禁反応」で

繊細なタイプらしく

ショックに強く反応してしまう。

食べられなくなり

釈放後に

医師の指導通りに食事を取っても

体に吸収されずに低栄養状態に陥り

体重は20㎏にまで減ってしまい

PTSD・心的外傷後ストレス障害と診断されたそうです。

警察官は傷害罪の疑いですね。

【母親】

「いきなりの逮捕でショックを受けて

それのトラウマがひどくて。

『怖い、やめて』ずっと毎日毎日叫んで涙流して。

それでも

『ここにおる利用者、障害の子たちとは一緒におりたい、頑張りたい』

そう言って、ずっと車椅子の上にいながら

病院に助けてもらいながら、そうしてました」

娘さんを亡くした施設

目撃した利用者たち

女性を陥れた利用者

取り調べの警察官…

こころのケアが必要ですね。

お母さんは事件について広く知ってほしいので

提訴するとともに

何が起きていたのか明らかにしたい。

敢て娘さんの写真を公開することを選んだそうです。

 

娘さんが取得したムズカシイ資格はなんでしょう。

当事者が取得することも多い得て公🐒心理師ではないでしょうね。

臨床心理士は学歴が届かない。

ストーカー加害者の相談をさせることにしたという

昨日のニュースが蜃気楼のように空しく映ります。

 

 

脅迫の 影を越えゆく 真の罪  @独裁者(チャップリン)PTSD理論と西田哲学

本日は

暴君化した

ネロが自殺した日です。

 

PTSDを発症するような

子ども時代を過ごし

セネカのような哲学者が

まるで家庭教師のように伴走していても

より善く生きることができなかったばかりか

師を死に追いやりました。

しかし

教えは

死に追いやらねばならないほど

音源を物理的に破壊しなければ苦しい。

実際的なものとしてその精神に深く浸透していました。

まちがったことをしており

その報いは

脳内で否定しても消えるものではないという

自覚がある。

たましいの基盤を失い

自らも死ななければならなくなりました。

自分が決めるものなので

 

西田幾多郎も

ヒトラーについて

力をもってしても💪

無理は通せないことになっている。

そんなことを書いています。

悲惨な末路が待っているもの

そして

同じ日の手紙に

手紙が好きな人だ(笑)

苦難の時こそ

創造性の基盤が築かれるものだとも書いています。

 

有島武郎も本日亡くなりました。

不倫はいけませんが

相手の夫に脅迫されての

裁判所を介しての

慰謝料請求以上のことをしては

犯罪です。

心中であったところが

自らに課した

死ななければならないほどの

重すぎる罪悪感が

好きな人を死なせるという

本当の罪をつくった。

大問題です。

生死にかかわると

不思議に陰陽☯混合

相手の夫は

地下アイドルに対する

殺人ストーカーみたいなものですね。

強迫のありようは同等と思う。

令和なら

そのようなニュースになります。

水音に 影のとほりて 夏祓 @日本人のPTSD予防イメージ療法神事

よい季節の到来です🪄

夏越の大祓もまた

「夏越神事」「夏祓」「六月祓」などとも呼ばれる。

12月のものは「年越の祓

宮中祭祀が

大宝元年(701年)の

大宝律令』によって

正式な宮中年中行事

— その施行細則は『延喜式』に定められた。

慣例として

皇室での大祓では参列する皇室の範囲を成年男子の親王に限っていたのが

平成26年(2014年6月10日

宮内庁より

男性皇族が実質少なくなったことを理由に

以降の大祓への参加を成年女性の皇族にまで範囲を広げると発表された

— 皇位継承の話もこうならないとは限らない🤔

 

民間におりてきた風習です。

拾遺和歌集』に「題しらず」「よみ人知らず」として

「水無月のなごしの祓する人はちとせの命のぶというふなり」

毎年の

犯した罪や穢れを除き去るための除災行事ですが

イメージ行動療法🤔

その方法が

多くの神社で行われる

茅の輪潜り(ちのわくぐり)」とユニーク

参道の鳥居の葉を建てて

注連縄を張った結界内にで編んだ

直径数 m ほどの輪を建て

ここを氏子が正面から最初に左回り

次に右回りと 8 字を描いて計3回くぐる

~ 茅などを持ち帰るのが流行ったこともあるがよくないらしい。

~~ 他人の落とした厄を拾うことになるという

~~~ 妖怪学?

スサノヲ由来で

釈日本紀逸文の『備後国風土記』に記されている

素盞嗚神社蘇民将来伝説に由来

武塔神の指示により

茅の輪を腰につけたところ災厄から免れ

武塔神は自らを速須佐雄と名乗り去っていったと書かれている。

どこまでも陰陽五行説です。

お菓子は水無月

田に水を引く時期であり

— 我田引水ではなくて(笑)

三角形なのは暑気払いで

— 火気

氷を模したすがた

小豆が悪霊払いを意味する。

— 火気

 

日本の文化に意味のないものはなく

かなり理屈っぽく

言葉やイメージ遊びの洪水で

主語となって述語となりにくい構造

生活そのものが

日常の食事も

お祭りも

神事であり

間違うと

バチがあたると想う

茶道のような

おかしひとつとっても茶事のようで

季節に呼応しながら

— ミクロコスモスとマクロコスモス

一緒にお茶を飲む。

宗教哲学なのに

その自覚もない瞑想状態をフツーに生きています。

無心はよいこと

— よい解離状態