西田哲学」カテゴリーアーカイブ

名もなき歌 闇のまま抱き 光生む @ Let It BeのPTSD癒しの宗教哲学

 

ポール・マッカートニーが

作詞作曲

困難な時に

ビートルズ解散直前の不安定な時期

癒された夢を歌ったものだそうですが

普遍性があるので大ヒットしました。

つまり哲学的だということ

夢のなかに

わらしべ長者も

いきづまりお寺に忍び込んで眠りこけました。

亡くなったお母さんが出てきて

「Let it be(あるがままに)」と語りかけられたということですが

このシンプルな語の解釈が☯ムズカシイですが

イメージそのものとして感得できます。

— 説明はできない = 不立文字 わかるのに☯わからない。


「Mother Mary」が現れて

「知恵の言葉をささやく」といえば

聖母マリアを連想しますよね。

双方はとても関連の深い存在で

ユング心理学では

自分の母親と縁が薄い人は

グレートマザー(太母)と結びつくしかないと言いますし

『崖の上のポニョ』の母親は

グラン・マンマーレです。

智恵の言葉「Let It Be」も

日本人ならば


「どうにもならないことを無理に変えようとせず

あるがまま受け入れよう。

そうすれば、いつか答えや光が見えてくる」

無我の意味として

自我の思い通りにはならないもの

ウィトゲンシュタインなら

無駄なこと考えるな💢かな🤔

仏教的に聴こえます。

確かに

諦めた時に

なすすべがなくどうしようもないから

— 行動が変化している。

なにもしないとき

— こころも変化している。

実は明らめている。= 諦念

上手くゆくということはわりとありますよね。

覚った人は

通過儀礼(イニシエーション・洗礼)だったと感じる。

歌詞の中盤では

さらに

観音さまのように

お寺にあるようなピカピカした姿では

子どもが怖がるから

お母さんの姿になって現れるそうです。

『大丈夫だよ』

『心配しなくていいよ』とうたいあげます。

「心が傷ついた人たちも、いつか答えにたどり着くだろう」

「夜が雲に覆われていても、自分に差す光がまだある」

— 「今が暗くても☯必ず希望は残っている」 日にち薬

 

ジョン・レノンが離婚したときにも

息子さんのことを思って

「Hey Jude」を書きましたが


両親の離婚に傷ついていたジュリアンを励まし

「落ち込まないで」

「君ならこの悲しみを乗り越えられる」というメッセージ

世界中の人々のこころに寄り添い続けています。

 

「状況そのものを魔法のように変える」のではなく

ハッピー💊ドラッグのように

叱咤激励するのでもなく

認知行動療法のように

「傷ついた心に寄り添って

少しだけ前を向かせようとする」

— 具体的には非指示

やさしいまなざしで見つめられるのは

お母さんとの関係が

前記事チャイコフスキーらと対照的

まるで信仰のようだったから

母メアリーへの想いを込めた「Yesterday」

普遍性があるのでしょう。

 

1968年リリースの

オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」(Ob-La-Di, Ob-La-Da)が

ナイジェリア人のコンガ奏者の口癖

— 完成バージョンのメンバーには含まれていない。

どのような状態でも

こんな風に

淡々と

歌っていればいいというような歌

『幸せなら手を叩こう』のようだと思えば

1964年

この曲も

作詞家が

生命倫理学者

学生時代フィリピンボランティア活動をしていた際に

耳にした原曲を

帰国の途に着いた際に

旧約聖書の 詩篇47篇 を参考にして

 詞をつけたものが元になっているそうです。

しかも

仲間内の愛唱歌として歌われていたのを

偶然、坂本九が耳にし

いずみたくの元にうろ覚えのまま持ち込み

それを元にいずみが採譜してレコード化

全国的にヒットしたものだそうです。

 

うたのつくられかたにも

目に見えない現象学がありそうです。

フッサールのように

頭で考えて動かすのではない。

— 文学では三文小説と呼ぶ。

粋の風 遊廓すぎて 今に息む @AI時代の九鬼周造

本日は

九鬼 周造の命日です。

 

大学院は中退して

お坊さんにしても

成功者には

こういう人が多い気がする。

ヨーロッパに8年留学

(若き)サルトルにフランス語を習い

☯ — サルトルの現象学に影響を与え

ハイデガーの現象学にも触れ

☯ — 高評価される。

いき」(粋)を

「いきとは、垢抜けして、張のある、色っぽさ」

現象学という西洋の哲学の手法で把握しようとしました。

日本の江戸時代遊廓における美意識を

考察の対象にしたということだけで

当時は驚きをもって迎えられた。

— 実存哲学の新展開

遊郭限定の話ではなく

一症例に普遍性が映し出されるというような

精神分析の話

日本人の精神構造の核となる原理です。

心理学ならこのあたり

本日はフロイトの誕生日でもあるらしい。

お父さんが官僚で

お母さんが元芸者

周造を妊娠中に

岡倉天心と恋におち

— 父親の部下

別居のち離縁

ご本人も

生みの父と

精神上の父

喪われた母

この3人のはざまで成長した

幼少期・青年期

— 訪ねてくる岡倉を父親と考えたこともあったと記している。

普通の人との結婚はすぐ破綻

芸者と結婚すると落ち着いたようです。

サルトルの現象学に影響を与えたと評されているが

独特の結婚観にも影響を与えた🤔

いわゆる現象学というものは

書物ではないところで

フッサールの現象学のように

頭であーだこーだと考えてじゃなくて

歴史的身体的に

深められてきたのかもしれません。

 

AI時代

イメージ表現は

今も陰陽五行説

いき風流が見直されているようですよ。

センス(感官)の問題だとも言っている。

猛獣の 影を鎮めて 緑雨ふる @宗教戦争のPTSD哲学

 

 

あなたもスタンプをGETしよう

本日はみどりの日ではありますが

天皇家関連ではある。

物騒な日です。

仏教の公伝から

538

約50年後

病身の蘇我馬子から

仏教擁護派

仏法を信奉する許可を求められた

天皇はこれを許可しましたが

この頃から疫病が流行しだし

守屋らが

仏教反対派

日本の神道におけるすべての神々をまつる立場

異国の神を信奉したためだとして

禁止を求めると

天皇は仏法を止めるよう命じたので

守屋は仏法に対し乱暴狼藉を働きます。

仏塔を破壊し

仏殿を焼き

仏像を海に投げ込ませ

馬子ら信者を面罵

女性と尼僧3人捕らえ

衣を剥ぎとって全裸にして

群衆の目前で鞭打ち…

— チベットみたい(>_<)

前記事の如く

法の前の猛獣のような守屋です。

大審問官と真逆の

天皇の私心のなさも善し☯悪し…

— アジャセコンプレックスの揺らぎと似ている不思議

人類の思考は

その独特の弁証法思考のなかで

判断のありかた

常に猛獣を必要とするのでしょうか。

見かけ上の

かたちは相当違いますが…

 

疫病が更に激しくなり

天皇も病に伏すと

馬子に

自らも病身のまま

再び仏法の許可を求められ

今度は

馬子に限り許し

馬子は三尼を崇拝し寺を営んだ。

飛鳥寺は日本初の本格寺院

— 当時の人は圧倒されたらしい。

鎮魂という名の

PTSD予防だったのですね。

ほどなくして

天皇は崩御しました。

葬儀中に

双方はいがみ合い

馬子の天皇への言葉に

守屋は「死にそうな雀のようだ」とあざ笑い

身を震わせて天皇にご挨拶する守屋に

馬子は「鈴をつければよく鳴るであろう」と笑う。

— 「由是、二臣微生怨恨」 『日本書紀』

馬子派の天皇が即位

守屋は敏達天皇の異母弟穴穂部皇子と結び

穴穂部皇子は後の推古天皇を犯そうとし

阻んだ人物を守屋に殺させる猛獣ぶり

病気になった天皇は

三宝(仏法)を信奉したいと言うようになり

無心のままきて

最期にセルフの声?

会議を開かせますが

罵倒しあうだけ

天皇不在のなか

不調のまま

天皇は亡くなり

武力により決着がつきました。

丁未の乱物部氏は衰退ながら

年は陰陽五行説で表記

— 精神の方は永遠に決着がつかない。

嵐の前の静けさ考える

丁未(ひのとひつじ)

「穏やかな温かさ」☯火の前

~ 丙丁童子が火を求めてやってくる

 

確かに

一太極二陰陽

絶対矛盾的自己同一

世界は人格的ですね。

 

傷の音 聴きとる手より 道ひらく@ウィトゲンシュタインのPTSD現象学

ウィトゲンシュタインは

ケンブリッジ大学教授となり

言語哲学分析哲学科学哲学に強い影響を与えた人物ですが

4歳になるまで言葉を話すことができず

今の日本なら発達障害の診断ですが

言葉が遅かったからこその自己実現?

その後も

重度の吃音症を抱えていたので

あいだ(人間関係)の病

両親の考えで

小学校に通いませんでしたが

兄弟も多く

8人兄弟の末っ子(兄が4人、姉が3人)

刺激に満ちた家庭環境で育ち

明るい意味では

ロダンやハイネなど

多くのハイカルチャーの名士たちを招き

庇護を受けたクリムトは

姉マルガレーテの肖像画を描いた。

暗い意味では

うつ病自殺の傾向がある家系

4人の兄のうちパウルを除く3人が自殺しており

本人もつねに自殺への衝動と戦っていた。

音楽に傾倒したこともあって

最もラディカルな特徴は「メタ哲学」です。

哲学的著作には

しばしば音楽の例や隠喩が用いられる。

木村敏系

のちに学校に通うようになり

同じ学校の生徒にはアドルフ・ヒトラーがいた

信仰を喪失

ユングなども

宗教的な問いから研究へ

姉から

哲学書を読むように勧められ

学びたいと思った人物のいる大学に進学しようとすると

その人は自殺してしまい

いわゆる哲学の道に入ることを

セルフ(自己)が回避?

航空工学への興味から

宮崎駿系

機械工学や数学への関心を経て

哲学に進むようになるも

この頃には

— 遣唐使時代の空海と似たエピソード

哲学について専門の教育をまったく受けていなかったのに

ラッセルは

少し話しただけで

即座にウィトゲンシュタインの類い稀な才能を見抜いた。

但し

見知らぬドイツ人が現れた。頑固でひねくれているが、馬鹿ではないと思う。

学界では学問にならないと感じ

学者たちに囲まれたなかでは

最も根源的な問題に到達できない。

ノルウェーの山小屋に隠遁

研究に没頭する日を送ったけれども

学位論文が書けず

先行研究の引用がないなど

論文の規定を満たさない。

学位も友人も失い

才能を見込んで間にはいってくれた友人に

「どうしてそんなくだらない規定があるのか」
「地獄へ落ちたほうがマシだ」
「さもなければあなたが地獄へ落ちろ」と罵倒

取り戻すのは15年後

兄が重傷を負ってピアニスト生命を絶たれたと聞いては

共感能力があるのかないのか微妙な人物

「こんなときに哲学がなんの役に立つのか」との疑問に陥り

しばしば自殺を考え

トルストイによる福音書の解説書や

ニーチェの『アンチ・キリスト』などに救われたりしながら

信仰の念を強める。

小学校の教師や

庭師をしたり

絶望の淵にあって

修道僧になって世捨て人として生きようとしたが

動機としては不純であると諭された。

家を建てたりして

建築業者泣かせの無理な注文

ユングも晩年に塔を建てながら瞑想した。

精神を回復させる人生だったようです。

当事者研究@臨床心理学

学界となじまず

「いま何時ですか?」と聞かれれば答えやすいが

「時間とは何ですか?」との問いは

— 事実上の答えがない。

問題たりえておらず

哲学者がかかずらうべきほどの問題ではないから

そういう議論は意味がないと拒絶

生前に出版された著書も少ないのですが

学問的体裁が整いにくい…

生き方に浮かび上がる哲学が支持されているのではないでしょうか。

例えば

小学校の教師時代は

教師というより

本人が

不適応を起こしたまま

— 暴力教師

子どもたちのこころの傷から

深く学んでいます。

紙の上の知識よりも

子供たちが自分で好奇心をもって見聞を広めることを重視

理科の授業では

猫の骸骨を生徒と集めて骨格標本を作ったり👀

夜に集まって天体観測をしたり

顕微鏡で道端の植物を観察させたり

銅鉱山や印刷所、あるいは古い建築様式をもつ建築物のある

ウィーンなどへの社会科見学もたびたび行なった。

無骨なまでに

きわめて厳格で

覚えの悪い生徒への体罰をしばしば行なう

トラブルメーカーで

狂人扱いののち辞職に追い込まれる。

現象学的に生きたようです。

ある女の子に対し

いつものように体罰を加え

字を誤った理由を問いただしたが

黙ったままなので

「病気か」と尋ねると

女の子は「はい」と言った。

ようやく現象のなんたるかに気づき

女の子に涙を流して許しを請うた

— アジャセ王みたい…

自己治癒の生涯から得た

哲学者は

哲学的命題を扱う職人であるよりは

むしろ苦悩や混乱を解決するセラピストのようであるべきなのだ」との

メタ哲学は

現代臨床心理学が取り入れるべき

現象学ではないでしょうか。

田辺元のみた

フッサールの現象学じゃなくて

虚に満ちて 老子の象は 息を継ぐ@伊藤若冲白象のPTSD哲学

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本日は

1729年

日本に初めて象が来た日だそうです。

『ぞうさん』♪

『かわいそうな象』など

象にも1つのイメージがあります。

集合的無意識

星の王子さまとなると

こんなところに象を観ます。

普通には見えないものが観えると

気になって仕方なくなるんですね。

心理学でも

反転図のなかにそういうものがあることを教えています。

なかなか見えないけど

一度見えると

そのようにしか見えなくなる。

— 以前の見方は消えてしまう。

—— トラウマ理論もそういう類のものでは⁈

若冲の象も独特です。

こういう風に見ていたということでしょう。

— 一面的ではないけど👇まずは正面からのイメージ

他の動物と違う存在です。

かと思えば横向きのもあって

海ではクジラに相当するようです。

海の王者と陸の王者とがエールを交換

勢いよく潮を吹く鯨と

うずくまって鼻を高々とあげた象

白と黒

優しそうな目の

怒ると恐ろしい…

象の背中を

崖から伸びた牡丹の花が撫でているそうで

華厳経が入ってますね。

お釈迦さまが生まれるまえに

お母さんは白象の夢を観た。

普賢菩薩の乗り物も白象で

仏法を護る霊獣のひとつ

最初の象は

象と言えば鼻なのに

外隈で表された輪郭線のない鼻は垂れていて

己を空しくする

自己否定

この絵と対応しているのでしょうか。

内実のパワフルさを示す。

老いて童心をますます強めた若冲は

80歳になって描いた絵

星の王子さまと仲良しでしょうが

日本人なので

表現の原理は

陰陽五行説と仏教の習合です。

禅僧のような人生なので

若冲は

相国寺からもらった居士号

— 禅宗

絵を描くこと以外

世間の雑事には全く興味を示さなかった

謎の人物

哲学的となりました。

黒鯨もまた

若冲なのでした。

老子』45章の「大盈若沖(沖は「虚しい、空っぽ」)」

意味は「大いに充実しているものは☯空っぽのようにみえる」

毒杯や 影より深き 問いひとつ  @PTSDの現象学的方法

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本日は

ソクラテスが毒杯をあおって刑死した日だそうです。

ソクラテスの妻が悪妻と言われていることから

「悪妻の日」とも

哲学は命懸けであり

崖の上のポニョ @如人千尺懸崖上樹

生の哲学

苦難が哲学者をつくるということですね。

悪妻が哲学者をつくる

トラウマケアは

哲学的忍耐力を要求する。

フッサールの亡くなった日でもありますが

黎明期の本邦臨床心理学が

臨床心理学にも

さまざまな立場があるが

あらゆる学派に共通する基本原理の1つとして

重視したのは

フッサールの現象学的方法でした。

事象そのものへ

いかなる前提や先入観形而上学的独断にも囚われずに

現象そのものを把握して記述する方法を求める。

— 心理療法の傾聴の方法論 として採用

当時は

心理主義批判の時代で

心理学そのものがいけないというのではなくて

— まだ黎明期でどういう学問かまだあいまい

ヴントらの心理学についてのもの

 

ユング

— 心理主義とのそしりを免れない… と予防線

西田幾多郎

— 心理主義的に書いてしまっていた…とプチ反省

— 心理学者からの批判を真摯に受けて自覚についてさらに深めた。

—— 批判が正鵠を得ていたという意味でもないが自己否定即肯定の人なので

 

フッサールもその洗礼を受けて

批判され

出版した著書の第二巻が断念され未完となった後

心理学主義に徹底した批判を加えるようになると

心理学主義とは

心理学という「一つの理論」を前提とする立場

あらゆる対象の基礎を

心理的な過程に基づけようとする試みでは

現象そのものを直接把握することができないとフッサールは考えた。

対象に関するすべての判断や理論を禁止する(エポケー)ことで

意識を純粋な理性機能として取り出す方法を提唱した。

好評を博し

若手心理学者たちがこれを読んで

フッサールのもとへ走り

「ミュンヘン現象学派」が形成されました。

決裂することになるが

— フロイトとユングのように

かのハイデッガーが助手となるほどの勢力

次第に洗練されてゆき

純粋意識まで論じられるようになったのですが

西田幾多郎は

フッサールの現象学ではまだ不徹底と断じていました。

フッサールの現象学の世界も一種の直観的世界ではあるが、此世界が果たして氏
の云ふ如く純粋記述の世界であろうか。〔……〕余は氏の如き方法によつて、直接
流転の世界に於ける関係を表すは不可能であると思う。フッサールは分析の精細な
るに似ず、深さにおいて欠けていると思ふ。フッサールは分析の精細なるに似ず、
深さに於て欠けて居ると思ふ。余は現今哲学の重要なる問題は此処にあると思う
(旧1.366)。

フッサールはそれをどう考えたのかということですが

日本からの留学生に

ドイツに留学していた田辺元

その思想を説明させながら

『自覚に於ける直観と反省』についてですが根本は1つでしょう。

現象そのものに向き合わず

理論に遁走してしまう傾向があり

ちっとも現象学的でなかったのでは…と想像してしまいます。

 

さて

Wikipediaには

心理主義は今日ではあまり支持されてはいないと

書かれていますが

我が国の心理学や精神医学は

心理主義の権化です。

発達障害が流行しているという

— 心理療法じゃなくて薬物療法が有効

大前提に立って

クライエントを見てはいけない…のに

擁護派の

「新しい論理学はそれなしにはやっていけない」という

立場に属しているのでしょうか。

土の息 弁証法より 影あがる @黒沢 明『七人の侍』のPTSD哲学

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日本らしい映画とされる

世界で最も有名な日本映画のひとつ

『七人の侍』には

生きることについての哲学がありそうです。

生の哲学とは

人間や世界を

「理性や概念」よりも

「生きられている生命の流れ・衝動・感情」から理解しようとする

近代哲学の潮流

生きる』の撮影中に発案されたもので

「『七人の侍』の息が長いのは

演出スタイルが華麗であるからではなく

皮肉なスタイルを交えながらも

人生と人間らしい心を強く肯定したメッセージが

高らかに宣言されているからである」

ロサンゼルス・タイムズ紙のケヴィン・トマス英語版

複数カメラや望遠レンズの効果的使用

ジブリはDolby Visionの映像など

緻密な編集技法などを駆使しながら

前半部と後半部の間に

5分間のインターミッション(途中休憩)を含む上映形式

前半部では主に侍集めと戦の準備が

後半部では野武士との本格的な決戦が描かれるが

「侍集め」、「戦闘の準備(侍と百姓の交流)」、「野武士との戦い」が

時間的にほぼ均等であり

3部構成のような2部構成

ジブリ作品もモノローグで区切られた

神隠しの時間

既存の考えられた時代劇の

哲学界における

考えられた哲学に相当

— フッサールの現象学やカントの捉え方

安易なつくりかたを排し

歌舞伎の影響を強く受けており

殺陣は

歌舞伎的に立回りの形を美しく演じるもので

衣装や風俗なども歌舞伎で美化されて変形されたものが多かった。

役者も「時代劇の演技をするな!」と徹底的に指導された。

— 時代劇はこういうものだというイメージを壊す。

歴史的身体に忠実に

今の時代劇で一番いけないのはあの「形式」です。

あれはみんな歴史的な事実を無視し変形した

カブキからの型なんだ。

動作も服装も小道具も

カツラの形までみんなコシラエものなんだ。

あれは一度

正確なものを考え直すことが必要だね。

— 黒澤明「私の作品」

これまでにはない徹底したリアリズムを確立したことが評価されました。

「本物の時代劇」を作ろうと考えた

リアリズムといえば生活ですから

最初は

城勤めの下級武士の平凡な一日を描く

侍の一日という作品を構想したのですが

特に食生活が把握できずに断念し

現在は

今の食生活と全く違うために

驚異的な心身を保っていたことが判明している。

— 断食で読める神隠しの世界

浪人が

全国を旅して回る雲水のような立場

「宿泊先の道場や寺院がない場合は

百姓に雇われて飯と宿を与えてもらう代わりに

盗賊などから村を守っていた」という史実をつかみ

百姓が侍を雇うという無茶ブリ風とみえたストーリーの根幹が誕生

この関係も一枚岩ではないことを示し

— さらには代官やプロが役に立たないという普遍性まで

長年にわたる双方の感情をぶつからせる

ダイナミックな弁証法

脚本執筆は

黒澤を含む3人の弁証法的な方法での

Aが初稿を書き

AとBが根本的に書き直し

同じシーンを書いたものを

Cが判定して良いところだけを取り完成すると

次のシーンに移るという形

真剣勝負の連続だったそうです。

鬼気迫る

緊迫感は

お茶を運びに来た女中も怖くて部屋に入れないほど

黒澤が愛読した

トルストイの長編小説『戦争と平和』と

アレクサンドル・ファジェーエフの長編小説『壊滅』

ドヴォルザークの「新世界より」の影響を受け

撮影期間中に何度もこの曲を聴いて

野武士が襲来するシーンなどのイメージを膨らませていた

アメリカ西部劇のスタイルを意識していたそうです。

馬が駆けるシーン

人魚姫がポニョに

矢の羽の撮影には苦心したようですが

時間論の哲学の比喩によく使われる。

アニメでは簡単でしたね。

主役は二人で

そのうちのひとりのトラウマ克服物語ともなっていて

名前や身分を偽って参戦したが

トリッキーな活躍をし

クライマックスで

赤ん坊のいのちを救いながら

出自を語り号泣

『源氏物語』等同様

十牛図の哲学

ラストは主人公なき

何事もなく

一大事なのに

なにも変わっていないような

トラウマが癒えたあとの感慨

ただもとに戻っただけ…に見える だけ

日常あるのみです。

つちくれが4つと

陰陽五行説的象徴を置く。

数秘ゆれ 夢の井戸より 光立つ @パウリの物理とユング心理学の共時性

 

ヴォルフガング・エルンスト・パウリ

アインシュタインに推薦され

ノーベル物理学賞を受賞した物理学者ですが

精神不調に悩んだことから

みんなここから

 

カトリック教会を脱退してまで

— 離婚予定だったのか🤔宗派が違っていたのか…

結婚したのに

1年足らずで破綻

まもなく

— ニュートリノの仮説を提唱する直前でもあった。

深刻な精神的不調に悩まされた。

ご近所の

チューリッヒ近郊

ユングに遭いました。

分析という

心理学というより

— 知識

魂の学びの過程に入る。

— 弁証学

さすがは物理学者で

モノとこころ

色即是空 の哲学

すぐに自分の「元型夢」の解釈を始めるようになり

難解とされるユングの最高の生徒となりつつ

ほどなくして

ユング理論の認識論について科学的な批評を加え

直す者と直される者

教える者と教えられる者の

二元論ではない。

ユングの思想

特にシンクロニシティの概念についての

説明を与えるようにまで昇華すると

二人が行なった議論が

— 共同研究

パウリ=ユング書簡として記録され

Atom and Archetype(『原子と元型』)というタイトルで出版されている。

精神的不調は

いつのまにか消えており

社会的には再婚しています。

子どもは生まれなかったので

業界では

ユング(のような人)に会う前後に離婚するとか

— 共時性

子どもを残すか業績を残すかだとまことしやかに語られる。

 

パウリは

実験が下手で

その立場で一番大事なことが苦手とは

陰陽論的に

よくできています。

よく実験装置を壊していたので

無意識が

物理だけに集中するのではなく

心理にも親和性をもたせようと導いたのでしょう。

パウリが実験装置の近くにいるだけで

装置が壊れるという伝説が広がり

この奇妙な能力に対して

パウリ効果という名称がつけられていたそうで

まさに共時性の時間を生き

ユダヤ系のため

一時アメリカに亡命するなどあって

すい臓がんを発病し

お見舞いに来た助手に

「部屋の番号を見たかね?」

研究のなかに

【場所】病室の番号は 137

【自覚】生涯を通じて

微細構造定数

1/137 に近い値を持つのは何故かと

考え続けてきた。

58歳で没しました。

ユングとの共著のみならず

モノとこころの弁証学

パウリは論文より手紙のやりとりを好みながら

コピーや回覧で伝わっている。

現代化学の基礎となっている

パウリの排他律などを発見しました。

完璧主義なので

研究者は

「パウリのご裁可(sanction)を得る」

自己否定も徹底していて

自分が欠点を見つけた理論は

どんなものでも ganz falsch(完全な間違い)とレッテルを貼って酷評

しかも

[この論文は、間違ってすらいない

(正しいとか間違えているとかという次元にさえ至っていない)]」

AI時代を予測した

ジョークまで生み出したのは

「パウリは死後、天国で神への拝謁を許される機会を得た。パウリは神に、なぜ微細構造定数は 1/137.036… という値をとるのかと尋ねた。神はうなずいて黒板に向かい、すさまじい勢いで数式を書き殴り始めた。パウリは非常に満足げに神の様子を眺めていたが、しばらくして突然頭を激しく振り始め言った「全然まちがっている」…。」

ユング的ですが

元型のようなイメージが先行しているという見解の源流は

プラトンの思想からで

もともととても哲学的なのでした。

世の東西を問わず古くから

多様性を超越して

一体性を体験しようとする神秘主義があった。

西洋哲学一辺倒の時代に

ユングとともに

この二極が相補的であることを認める必要があるとして

「ケプラーの科学的理論構築に与えた元型的イデアの影響」を

記しています。

友人の物理学者のヴェルナー・ハイゼンベルクの著書

『限界を超えて』の第3章に要約されている

体験したデータから自然法則が引き出せるという経験主義ではなく

もっと純粋経験的に

ユングの元型の論の中に見出そうとしていたわけです。

古地図抱く 学界いまだ 影の国@カント読む 眼は閉ざされて 光見ず

哲学といえば

この頃には

宮崎駿の子どもの頃

カントなんかがよく読まれたのではないかと思います。

デカルト・カント・ショーペンハウアー 

通称デカンショ と夢見で一年が終わる ってことじゃないですか?

人がどう生きるかを考えるうえで

考えていないともいえないし☯考えているともいえない

その平和論や

人類の最高善 = 永遠平和の実現

— 世界の恒久平和はいかにしてもたらされるべきか

法論の

『人倫の形而上学』

悪の問題に関すると思う

空論の根拠としての

#純粋理性批判 』の

認識に関して

経験的なるものと

— 病気なら精神病

先験的(ア・プリオリ)なるものを区別し

— 病気ならPTSD

先験的認識の妥当する範囲と限界を明らかにした。

— 精神科や心理学は純粋精神批判もできてない。

批判をしたのが日本の哲学です。

「コペルニクス的転回」の転回

— コペル君

カントの哲学や

当時の心理学を並べ立てる研究は

もうとっくの昔にオワコンで

西田幾多郎が観ていたものを扱わなければ

何も見えてこず

『君たちはどう生きるか』の作品分析もできないということです。

今年は

『地理学』より

カントは

ケーニヒスベルク大学で

1765年から自然地理学の講義を担当

地理学と歴史学の違いを

場所的記述を行うのが地理学で

時間的記述を行うのが歴史学であるとした

人種論を紹介することで

「道徳地理学」の講義

立証してみましょう。

地理的環境が異なれば倫理や道徳も異なると説いたのは

日本と

日本では子の家族もろとも極刑に処される。

ラップランド

— 働けなくなった父を殺すことは母が子を扶養するならば許される。

父親殺し

ユング心理学的にグローバルですが

人種理論(人種学)については

白人至上主義などの問題点を指摘され

フロイトの限界と似ている。

科学的人種主義の父祖の一人とみなされています。

1764年の『美と崇高との感情性に関する観察』において

アフリカの黒人と白人種との差異は

— 白人種のような独創的な製品、芸術、科学を作り出せない。

本質的な差異であると論じたうえで

アラビア人

東洋で最も高貴で「アジアのスペイン人」ながら

冒険的なものへ退化した感情を持っている。

ペルシア人

典雅で繊細な趣味を持っており

「アジアのフランス人」といってよい。

日本人

極度の強情にまで退化しており

沈着、勇敢、死の軽視といった点で

「アジアのイギリス人」といってよい。

インド人

宗教において異様な趣味を持っており

中国人は太古の無知の時代以来の風習を保持しており

畏怖すべき異様さを持つ。

続けて

東洋人は人倫的な美についての観念を持たないと論じる…

あまりにひどい内容に

これ以上読み続けることができなくなりましたが(´;ω;`)ウゥゥ

純粋経験以前の考えられた哲学であったことは

確認できました。

なぜこんな風に考えるようになったのかですが

フーコーに続き

カントの作られ方

規則で生徒たちを縛り上げる

厳格な教育方針で知られた学校に入学し

その教育方針を身をもって経験

後に

この学校の教育方針について批判を記したことが

啓蒙の哲学者カントのはじまりと書いてあります@Wikipedia

本当なのか未だに信じられない…(>_<)

純粋理性批判はできたとしても

長年にわたり条件づけられた

これはきつかったようで

素行の悪さの故に従僕を解雇したあと

新しい従僕になじめず

「(従僕の名前)は忘れ去られるべきである」と書きつけた。

— 記憶からも消してしまわねば混乱する。

パンクチュアルな人格は生涯不変で

規則正しい生活習慣で知られた。

あまりに時間に正確なので

人々はカントの姿を見て時計の狂いを直したとか

いつもの時間に散歩に出てこないと大騒ぎになったとか

— 神隠しの時間だった。

エミール」を読みふけってしまっていた。

— 自己治癒力が作動していた

『美と崇高の感情に関する観察』への『覚書』にて

「わたしの誤りをルソーが正してくれた。

目をくらます優越感は消えうせ

わたしは人間を尊敬することを学ぶ」と書いた

天啓的治療の時間

感情的なので

講義では

旺盛な知的好奇心を持ち

豊かな話題をいきいきと語る

熱心な教師であったが

— 感情のポジティブな面

—— 自他をつなぐ才能はある。

論敵からの

ウィットに富む談話や世界の最新情報以外の

哲学的な話には露骨に嫌な顔をした。

— 感情のネガティブな面

—— つまり末那識の故障

生涯独身を通しました。

ニュートンの場合のように

仕事に忙殺され恋愛の暇がなかったのではなく

女性と距離を置いていた

あるいは

AI級かもしれないがロボット🤖のような

人格に合わせられる女性がいなかったという

可能性が高いと思う。

木村敏先生のあいだ論を読めば

完治したかも🤔

 

あなたもスタンプをGETしよう

影負いて situation へと 身を投ぐる @サルトルのPTSD現象学

1966年9月18日

サルトルの来日は

ビートルズ来日に匹敵する熱狂を呼びました。

哲学が「生き方」そのものを問うていた時代

——その生涯と思想を辿ります。

 

 

この作品の主人公の孤独とも重なります。

あなたもスタンプをGETしよう

子どもにありがちな行動について

サルトルは自分の醜さと痛感

家族も心配…

しかしそのさなか変化への兆しがあったようで…

— スサノヲらのような貴種流離譚

読み直してみたいサルトルです。