古地図抱く 学界いまだ 影の国@カント読む 眼は閉ざされて 光見ず

哲学といえば

この頃には

宮崎駿の子どもの頃

カントなんかがよく読まれたのではないかと思います。

デカルト・カント・ショーペンハウアー 

通称デカンショ と夢見で一年が終わる ってことじゃないですか?

人がどう生きるかを考えるうえで

考えていないともいえないし☯考えているともいえない

その平和論や

人類の最高善 = 永遠平和の実現

— 世界の恒久平和はいかにしてもたらされるべきか

法論の

『人倫の形而上学』

悪の問題に関すると思う

空論の根拠としての

#純粋理性批判 』の

認識に関して

経験的なるものと

— 病気なら精神病

先験的(ア・プリオリ)なるものを区別し

— 病気ならPTSD

先験的認識の妥当する範囲と限界を明らかにした。

— 精神科や心理学は純粋精神批判もできてない。

批判をしたのが日本の哲学です。

「コペルニクス的転回」の転回

— コペル君

カントの哲学や

当時の心理学を並べ立てる研究は

もうとっくの昔にオワコンで

西田幾多郎が観ていたものを扱わなければ

何も見えてこず

『君たちはどう生きるか』の作品分析もできないということです。

今年は

『地理学』より

カントは

ケーニヒスベルク大学で

1765年から自然地理学の講義を担当

地理学と歴史学の違いを

場所的記述を行うのが地理学で

時間的記述を行うのが歴史学であるとした

人種論を紹介することで

「道徳地理学」の講義

立証してみましょう。

地理的環境が異なれば倫理や道徳も異なると説いたのは

日本と

日本では子の家族もろとも極刑に処される。

ラップランド

— 働けなくなった父を殺すことは母が子を扶養するならば許される。

父親殺し

ユング心理学的にグローバルですが

人種理論(人種学)については

白人至上主義などの問題点を指摘され

フロイトの限界と似ている。

科学的人種主義の父祖の一人とみなされています。

1764年の『美と崇高との感情性に関する観察』において

アフリカの黒人と白人種との差異は

— 白人種のような独創的な製品、芸術、科学を作り出せない。

本質的な差異であると論じたうえで

アラビア人

東洋で最も高貴で「アジアのスペイン人」ながら

冒険的なものへ退化した感情を持っている。

ペルシア人

典雅で繊細な趣味を持っており

「アジアのフランス人」といってよい。

日本人

極度の強情にまで退化しており

沈着、勇敢、死の軽視といった点で

「アジアのイギリス人」といってよい。

インド人

宗教において異様な趣味を持っており

中国人は太古の無知の時代以来の風習を保持しており

畏怖すべき異様さを持つ。

続けて

東洋人は人倫的な美についての観念を持たないと論じる…

あまりにひどい内容に

これ以上読み続けることができなくなりましたが(´;ω;`)ウゥゥ

純粋経験以前の考えられた哲学であったことは

確認できました。

なぜこんな風に考えるようになったのかですが

フーコーに続き

カントの作られ方

規則で生徒たちを縛り上げる

厳格な教育方針で知られた学校に入学し

その教育方針を身をもって経験

後に

この学校の教育方針について批判を記したことが

啓蒙の哲学者カントのはじまりと書いてあります@Wikipedia

本当なのか未だに信じられない…(>_<)

純粋理性批判はできたとしても

長年にわたり条件づけられた

これはきつかったようで

素行の悪さの故に従僕を解雇したあと

新しい従僕になじめず

「(従僕の名前)は忘れ去られるべきである」と書きつけた。

— 記憶からも消してしまわねば混乱する。

パンクチュアルな人格は生涯不変で

規則正しい生活習慣で知られた。

あまりに時間に正確なので

人々はカントの姿を見て時計の狂いを直したとか

いつもの時間に散歩に出てこないと大騒ぎになったとか

— 神隠しの時間だった。

エミール」を読みふけってしまっていた。

— 自己治癒力が作動していた

『美と崇高の感情に関する観察』への『覚書』にて

「わたしの誤りをルソーが正してくれた。

目をくらます優越感は消えうせ

わたしは人間を尊敬することを学ぶ」と書いた

天啓的治療の時間

感情的なので

講義では

旺盛な知的好奇心を持ち

豊かな話題をいきいきと語る

熱心な教師であったが

— 感情のポジティブな面

—— 自他をつなぐ才能はある。

論敵からの

ウィットに富む談話や世界の最新情報以外の

哲学的な話には露骨に嫌な顔をした。

— 感情のネガティブな面

—— つまり末那識の故障

生涯独身を通しました。

ニュートンの場合のように

仕事に忙殺され恋愛の暇がなかったのではなく

女性と距離を置いていた

あるいは

AI級かもしれないがロボット🤖のような

人格に合わせられる女性がいなかったという

可能性が高いと思う。

木村敏先生のあいだ論を読めば

完治したかも🤔

 

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古地図抱く 学界いまだ 影の国@カント読む 眼は閉ざされて 光見ず」への4件のフィードバック

  1. ドラゴン

    カント哲学は、どことなく外側から主体性に接近する感じで、ひたすら自己主張の強いドイツ人的思考展開を維持させるだけのよーな……

    ドラゴン🐲もなんとなーく西洋心理学を齧って、日本の西洋心理学者に落胆を覚え、そこから仏教概念を齧ってからトラウマそのものに行って来て、精神分析に辿りつき、フロイトがただのマザコン白人移民だったという事に気がついたら、フランス人のラカンに同情してるって感じです。

    なぜ、日本人治療者や患者は、そこに気が付かないのか?って不思議に思います。

    返信
    1. 翠雨 投稿作成者

      純粋理性批判が、純粋理論から批判されることになるとは実によくできていましたね。
      無意識はそれを予知していたということで、それがカントの純粋経験だったのかな🤔

      精神分析の根拠となる哲学がどうも不徹底ということで、足もとからぐらっときたショックで、強制水泳実験のネズミみたいに空転しているうちに(うつ病みたいになって)思考能力を失ったのでしょう。
      気づきたくないから、魂売って、公認心理士法下で薬漬け加担業務に従事することを誓いました。

      返信
  2. ドラゴン

    何処のスレッドでやり取りしたかは定かではありませんが、今の課題論文書いてて漸く先生に聞かれた質問「何故、向精神薬とAIが同等なの?」に漸く応えられる事が出来ます。でも、今は、提出の締め切りが迫っているので、日本行きの飛行機の中でゆるゆるなマインドステイトの中で書きますね。少しお待ちください。

    返信

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