🌿閑話休題:ネパールの街並みに触れたとき、私の内側で起きたこと
深層の臨床シリーズの途中ではありますが、今日は少し寄り道をしたいと思います。 最近、ネパール旅行の動画を見ているうちに、20年前に訪れたあの土地の感覚がふいに蘇りました。 そのとき私の内側で起きた「読み」を、短い閑話休題として記しておきます。
◆アーユルヴェーダの施術は、宗教哲学の身体技法だった
動画の中で映し出されるアーユルヴェーダの施術は、日本のエステとはまったく異なるものでした。 美容産業として切り出された身体ではなく、宗教哲学の世界観の中で扱われる身体。
- 身体
- 心
- 宇宙
- 時間
- 共同体
これらが分離されず、ひとつの連続体として扱われている。 仏教・ヒンドゥーの思想が生活の中に溶け込み、施術そのものが「祈りの延長」にあるように見えました。
20年前、私がネパールで感じた“身体が世界観の一部として扱われる感覚”が、再び立ち上がってきたのです。
◆古代の木彫り建築と、世界一混乱した電線
ネパールの街並みには、二つの象徴が同時に存在しています。
●古代の木彫り建築
- 何百年も積み重ねられた象徴体系
- 共同体の祈りの形
- 世界観の秩序
- 時間の蓄積
●混乱した電線
- 近代化の急激な流入
- 技術だけが先行する
- 情報の錯綜
- 世界観の乱れ
この対比を見たとき、私は最近考えている「宗教哲学の混乱(バベルの塔問題)」がそのまま街に露出しているように感じました。
古代の象徴体系の上に、近代の情報網が無秩序に重ねられている。 それはまるで、世界観の地層がむき出しになった風景でした。
◆20年前の記憶と、今の映像が重なる
私がネパールを訪れたのは20年ほど前。 その頃は今よりもずっと素朴で、しかし深い宗教哲学の気配が街全体に漂っていました。
今回の映像は、近代化が進んだネパールを映しながらも、 あの頃感じた「深層の秩序」がまだ息づいていることを思い出させてくれました。
- 古代の祈り
- 近代の混乱
- 身体技法としての宗教哲学
- 共同体の生活世界
これらが一つの場で同時に存在している。 その重なりが、私の内側で静かに響いたのです。
◆深層の臨床の“間(ま)”として
この読みは、シリーズの本筋とは少し離れています。 しかし、深層の臨床を語るうえで、こうした「外側の象徴を読む日」はとても大切です。
深層の臨床は、 書く日だけでなく、 読む日にも静かに働く。
ネパールの街並みは、 宗教哲学の秩序と混乱が同居する“深層の風景”として、 私の内側に再び現れてきました。
今日はそのことを、閑話休題として記しておきます。