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見えぬ処 心ひそかに 息を継ぐ @公認心理士化する西田哲学

 

心の広がりをめぐって──河合隼雄西田幾多郎が眺めていたもの

河合隼雄の誕生日にあたり、あらためて彼の仕事を振り返ると、日本の臨床心理学がいかに“制度として”形を与えられてきたかが見えてくる。
心理学を学ぶ場がほとんど存在しなかった時代に、臨床心理士という資格をつくり、国家資格化の道筋を描こうとした。その努力は、彼の死後、公認心理師という形で結実した。

しかし同時に、臨床心理学は「心理主義」という大きな潮流に巻き込まれつつある。
この問題は、実は西田幾多郎が『善の研究』で自ら反省したこととも響き合う。
ちょうど今週末、西田哲学会が開催される。
河合隼雄の誕生日と哲学会の時期が重なる今、臨床心理学と哲学が共有するこの問題を、あらためて考えてみたい。

1 河合隼雄の功績と、日本の臨床心理学が置かれていた状況

河合隼雄の仕事を振り返るとき、まず驚かされるのは、彼が活動を始めた当時の日本には、臨床心理学を体系的に学ぶ場がほとんど存在しなかったという事実である。心理学といえば、大学では実験心理学が中心であり、哲学や教育学の一部として扱われることが多かった。西田幾多郎が東京大学で学んだ心理学も、まさにこの「実験心理学」の時代である。

そうした状況のなかで、河合隼雄は臨床心理学を「学問として」「職能として」成立させるための基盤づくりに尽力した。ユング研究所での研鑽を経て、日本にも精神分析や分析心理学のような、しっかりとした訓練体系を持つ専門職を根づかせたいと考えたのである。

そのために、まず民間資格として臨床心理士制度を立ち上げた。これは、制度としては暫定的なものであったが、当時の日本においては画期的な試みであり、臨床心理学を「専門職」として社会に認知させる大きな役割を果たした。河合自身は、いずれ国家資格として整備されるべきだと考えていたが、民間資格を国家資格に格上げする制度は存在せず、道筋は容易ではなかった。

それでも、臨床心理士制度は日本の臨床心理学の発展に大きく寄与し、河合隼雄の死後、公認心理師という国家資格が誕生することになる。制度としての形は変わったものの、臨床心理学を社会に根づかせるという河合の構想は、一定の形で実現したと言えるだろう。

しかし、ここで一つの問いが生まれる。 河合隼雄が目指した臨床心理学の姿と、現在の公認心理師制度が示す方向性は、本当に同じものなのだろうか。 そして、臨床心理学が制度化される過程で、私たちは何を得て、何を見失ったのだろうか。

この問いは、臨床心理学の制度史を振り返るだけではなく、哲学側からの「心理主義」への警鐘とも深く関わっている。

 

2 心理主義の問題──宗教・心理療法・哲学の境界が曖昧になる時代

臨床心理学の制度が整えられ、専門職として社会的地位を得ていく過程は、確かに大きな前進であった。しかし、その一方で、臨床心理学は「心理主義」という大きな潮流の中に置かれるようになった。心理主義とは、宗教・倫理・哲学・社会の問題までもが、すべて「個人の内面の問題」として処理されてしまう傾向を指す。

この問題は、宗教哲学の側からも警鐘が鳴らされている。 たとえば、宗教が本来持っていた共同体的・儀礼的・歴史的な側面が弱まり、個人の内面へと収縮していく現象が指摘されている。宗教が「心の癒し」へと変質し、精神科医や臨床心理士が、かつて宗教者が担っていた役割を代替するような状況が生まれているというのである。

心理療法の出自が宗教と深く関わっていることはよく知られている。 しかし、現代の心理療法は、宗教的な由来を否定するかのように、個人の内面の問題としてのみ心を扱おうとする。宗教と心理療法が互いに近づきながら☯同時に互いの由来を否定し合うという、奇妙なねじれが生じている。

この心理主義の時代において、臨床心理学は「心の専門家」として社会的期待を集める一方で、心を取り巻く文化的・歴史的・共同体的な文脈を見失いかねない危うさを抱えている。 心を個人の内側だけに閉じ込めてしまうと、心が本来持っている広がり──身体、歴史、共同体、宗教、文化──が見えなくなる。

この問題は、臨床心理学だけの問題ではない。 哲学の側にも、同じ危うさが存在している。

3 西田哲学との共通問題──心理主義への反省と、心理学との接点

臨床心理学が心理主義の潮流に巻き込まれているという問題は、実は哲学の側にも同じように存在している。西田幾多郎は『善の研究』を著した後、自らの思索が「心理主義に傾いていた」と反省している。 心の働きを哲学的に捉えようとしたとき、どうしても「個人の内面」に焦点が集まりすぎてしまう危険がある。その危険を、西田は早い段階で自覚していた。

西田が参照していた当時の心理学は、実験心理学が中心であり、心を科学的に測定しようとする試みが主流であった。西田はその内容を紹介し、若干の意見を加えるにとどめているが、心理学を哲学の基礎として積極的に取り込むことはしなかった。 しかし、心理学を完全に拒絶したわけでもない。むしろ、西田は心理学が扱う「感官」や「意識の働き」に強い関心を寄せていた。

近年、哲学館で修復が進められている西田の心理学ノートを読むと、彼が眺めていた心理学の全体像が少しずつ明らかになってきた。そこには、個人的意識を超えて、国家や文明の差異までも含む「人類それ自体(humanity itself)」の相を捉えようとする記述がある。 これは、ユングが集合的無意識を構想したのと同じ時代の空気を感じさせる。西田が「歴史的身体」と呼んだものと、ユングの集合的無意識のモデルは、異なる言語でありながら、どこかで響き合っているように思われる。

道元が譬え話として「古鏡」「火炉」「無縫塔」などのイメージを用いて、言語化しがたい感官の働きを示そうとしたように、西田もまた、個人の心を超えた広がりを捉えようとしていた。 その広がりは、心理主義が心を個人の内側に閉じ込めてしまうとき、最も見失われやすい部分である。

西田哲学会でも、近年は西田の思想をより深く理解するために、心理学との関係を視野に入れる試みが増えている。西田が生きた時代の心理学を丁寧に読み直し、哲学と心理学の接点を探る動きがある。 しかし、文献を並べて表面的に一致する部分を探すだけでは、西田の思索の内側には届かない。 西田と同じ時代に生き、ほぼ同じ問題を見つめていたユングの心理学を手がかりにすることで、初めて西田の「心の広がり」が立体的に理解できるのではないかと私は考えている。

臨床心理学と西田哲学は、どちらも「心」を扱う学問でありながら、心理主義に傾くと実態を見失うという共通の危うさを抱えている。 その危うさを乗り越えるためには、心を個人の内側だけに閉じ込めず、身体・歴史・文化・共同体・宗教といった広がりの中で捉え直す必要がある。

4 ユングとの同時代性──心の“広がり”を取り戻すために

西田幾多郎とユングは、互いに直接の交流があったわけではない。しかし、彼らが生きた時代の空気には、共通する問題意識があったように思われる。 それは、心を個人の内側だけに閉じ込めず、歴史・文化・共同体・宗教・身体といった広がりの中で捉え直そうとする試みである。

ユングは、個人的無意識の背後に、民族や文明の差異をも含む「集合的無意識」を構想した。 西田は、「歴史的身体」という概念を通して、個人の心が歴史的・文化的な文脈の中で形成されることを示そうとした。 両者は異なる言語を用いながら、心の構造を“個人の内側”に限定しないという点で、深い共通性を持っている。

心理主義が心を内面へと収縮させるとき、こうした広がりは最も見えなくなる。 心が「個人の感情や認知の問題」に矮小化されると、心が本来持っている歴史的・文化的・宗教的な層が切り落とされてしまう。 その結果、心はかえって理解しにくくなる。 心を狭く捉えるほど、心の実態は遠ざかるのである。

臨床心理学が制度化され、専門職として確立されることは重要である。しかし、制度が整うほど、心が「測定可能なもの」「技法で扱えるもの」として扱われやすくなる危険もある。 哲学の側でも、心を論理や概念の枠組みで捉えようとすると、個人の内面に焦点が集まりすぎる危うさがある。

だからこそ、今あらためて、西田とユングが見ていた“心の広がり”を思い起こす必要がある。 心は、個人の内側だけに存在するのではなく、身体・歴史・文化・共同体・宗教といった層の中で生きている。 その広がりを取り戻すことが、心理主義の時代において、臨床心理学と哲学が実態を見失わないための鍵になる。

西田哲学会が心理学との関係を再評価し始めていることは、こうした広がりを取り戻すための重要な一歩である。 臨床心理学と哲学が互いに閉じた領域として存在するのではなく、心の広がりを共有する学問として再び接続されるとき、心理主義を超える新しい視野が開かれるだろう。

5 心理主義を超えるために──臨床心理学と哲学が見失わないための視点

河合隼雄が臨床心理学の制度化に尽力したこと、そして西田幾多郎が心理主義への傾きを自ら反省したことは、いずれも「心をどう捉えるか」という根本的な問いに向き合った結果である。 臨床心理学と哲学は、異なる方法を用いながら、同じ問いの周囲を歩いてきたと言える。

心理主義が心を個人の内側へと収縮させるとき、心の実態はかえって見えなくなる。 心は、身体・歴史・文化・共同体・宗教といった広がりの中で生きている。 その広がりを切り落としてしまうと、心は「測定可能なもの」「技法で扱えるもの」として矮小化され、臨床心理学も哲学も、本来の対象を見失う危険がある。

その危うさを乗り越えるためには、心を広い文脈の中で捉え直す視点が必要である。 ここで、河合隼雄と西田幾多郎の思索が、静かに響き合う。

二人に直接の交流はなかった。 しかし、彼らが眺めていたもの──心の構造の広がり、個人を超えた歴史的・文化的な層、宗教的な深み──は、驚くほど似ている。 ユングが集合的無意識を構想したのと同じ時代に、西田は「歴史的身体」という概念を通して、心が個人の内側だけに閉じないことを示そうとした。

臨床心理学と哲学が心理主義に傾くとき、こうした広がりは最も見えなくなる。 だからこそ、今あらためて、河合隼雄と西田幾多郎が見ていた“心の広がり”を思い起こす必要がある。

臨床心理学は、制度として整備されるほど、心を技法や測定の対象として扱いやすくなる。 哲学は、概念や論理の枠組みで心を捉えようとすると、個人の内面に焦点が集まりすぎる危険がある。 どちらも、心理主義の時代には、心の実態を見失いやすい。

しかし、臨床心理学と哲学が互いに閉じた領域として存在するのではなく、心の広がりを共有する学問として再び接続されるとき、心理主義を超える新しい視野が開かれるだろう。 河合隼雄の構想と西田の反省は、そのための静かな道標となる。

心は、個人の内側だけにあるのではない。 心は、世界の広がりの中で生きている。 その広がりを取り戻すことこそ、心理主義の時代において、臨床心理学と哲学が実態を見失わないための鍵となる。

光輪や 無意識の底 神は乗る @UFOとWEターンの現象学

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UFOは存在するか☯存在しないか…🤔といえば

存在するとユングは言いました。

ただし

架空に於いてです。

色即是空 空即是色

物理的実在の有無ではなく
集合的無意識に於いて

 

 

ユングがUFOを“集合無意識の象徴”と見たのも、このズレを示唆していたのかも。

ユングは

UFO(空飛ぶ円盤)を

集合無意識の象徴(またはその投影)として解釈しました。

『空飛ぶ円盤 ― 空に現れるものの現代神話』

Flying Saucers: A Modern

Myth of Things Seen in the Skies

人類の投影によると

冷戦期の

核の脅威や分裂した世界情勢という

不安定な時代背景があり

人々の意識が脅かされるなか

 

集合無意識が

補償的に「全体性」のイメージを空に投影した。

— 世界の自己表現

UFOの円盤状の形は

マンダラ(mandala)で

古代から普遍的に見られる

「全体性・統合・自己(Self)の象徴」

宇宙人ではなく

商業化されたエイリアン船イメージでも

神のイメージでもなく

モノとして

物とこころ

色即是空

乗り物としてのUFOや

神は乗り物を必要とする。

光などを観るのは

伝統的な宗教体験(特に神や天使の顕現)と共通

神(セルフ)のアーキタイプ(元型)と重なります。
救済と恐怖の☯両義性

時代は変わっても

人間というものは

原初的なイメージ(primordial images)を

宗教家でなくても自然に「観る」

根源的に宗教的な存在なのですね。

個人の経験を超え

人類共通の深層に刻まれたもの

さて

令和のUFOですが…🤔

ヒラメかな 水に映るは 深淵の闇 @PTSD性白い巨塔

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ヒラメ族でしょうか?

上ばかり見ている鮃

俗に言う鮃族(ひらめぞく )は

上ばかりを気にする出世指向の人たちのこと

ヒラメは回遊魚

よく泳ぐのですが

おいしい餌に出会ったときは

つい嬉しくて

よいこともストレスになります。

解離することもあるのでしょうか。

猿が木から落ちるなら

魚も水(アニマ)に溺れる…🤔

— 風呂it先生のお言葉エスが動くのは金・色・権力

これから解離の治療が始まりますが

素材としては

偽のファンタジーの修正から入るとよいでしょう。

トラウマは事実ではないお話をでっちあげて

その人を守ろうとする。

— 症状即自己治療

白い巨塔がうかびあがり

まだあった…

— 永遠の今の神隠しの世界

大学も大変です。

KO負けてるよ🤭

発達障害じゃないので

幼稚園で習う道徳が未修だけど…

解離として

PTSD

ユング心理学的に治療することになります。

伊東市長選@2025雑感

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新しい市長が誕生してよかったですが

票が割れて

選挙やり直しの恐れもあったらしい。

前市長は相変わらずで

4000人もの人が前市長に投票したという…

再選されたら…という想像は当たらずとも遠からず…

— 田久保劇場が映し出す民度…

いよいよ終幕ですね。

次の舞台でも

人格(演出?)はそのままでしょうか🤔

やめるやめる詐欺やめない詐欺

9月1日は

宮崎駿が引退宣言した日だそうです。

1つの事件として記録されるような出来事ですが

口癖のようなものであるとのこと

ご自分をどこまでも追い込んで

死と再生

百尺竿頭一歩進めよ      如人千尺懸崖上樹

創作する原動力だったのですね。

伊東市長の引退はすでに避けられない状態でしたが

不屈の精神は歴史に残るでしょう。

刑事告発されることが決まりました。

裁判所での第二幕いつ開演でしょう?

いろいろな映画の「つづく」のイラスト | かわいいフリー素材集 ...

シルクロードの日より国際PTSD問題も映し出す砂漠

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1900年(明治33年)の

3月28日に

シルクロードの古代都市

楼蘭(ろうらん)が発見されたことから

「シルクロードの日」となったそうです。

シルクロードは夢のある場所ですが

死を意味する砂漠を

タクラマカン砂漠

タクラマカンとは

ウイグル語で「死」や「無限」などを意味する合成語で

昔は一度入ったら出られない死の砂漠と捉えられていた。

通過しなければなりません。

死と再生

ワレヲ学ブ者ハ死ス

何もない場所は

食べ物も水もない 砂や瓦礫 たまに💀しゃれこうべ

投影三昧で

通りかかったお坊さん(法顕)によれば

「砂漠の中はしばしば悪鬼、熱風現れ

これに遭えばみな死んで

一人も無事なものがいない。

空には飛ぶ鳥もなく

地には走る獣もいない。

見渡す限りの砂漠で行路を求めようとしても拠り所がなく

ただ死人の枯骨を標識とするのみである・・・」

幻覚すら見えます。

西遊記のキャラクター | かわいいフリー素材集 いらすとや

西遊記も孤独な三蔵法師の幻想

それは、まあこんなところだろうと作者が空想したもの

蜃気楼も見えるというものですが

遠くに水辺が見えるが

いくら歩いてもたどり着かない。

楼蘭の蜃気楼的なイメージは特に

人間のこころを惹きつけてやまないようです。

オアシスは50か所はあったのに

楼蘭をシルクロードの代表のように扱う。

楼蘭がルートの端にあった

タクラマカン砂漠の南寄りルートは使われなくなり

北側ルートを使うようになっても

観光で注目され

小説として読まれ…

かつて確かに

遺跡がある。

砂漠の乾燥地帯で

木材や絹、お札からミイラまで残っているので

手がかりがわりとある。

繁栄した国なのに

特に仏教を篤く信仰していて

お坊さんが4千人もいたことが重要

突如として消え

オアシスとなった湖も

ロプノールという塩湖

― ロヒプノールの塩基解離定数と誤読しそう💦

蜃気楼のように

さまよえる湖と呼ばれた。

消えたり現れたりするからでしょう。

探検家ヘディンは

不思議でもなんでもなくて

地理によるものだと気づいて

湖に流れ込む川の川床に

砂などがたまると川筋が変わる。

「今はここにはないが

いずれロプノールはまたこの場所に戻ってくる」と明言できたのですが

さまよえるという意味が

明言は予言と感じられた。

いつのまにか変質してしまったのは

そういう幻想的な物語にしておかないと

人々の投影が破られてしまうからでしょう。

幻想に生きて

夢を見ていられない。

事実

中国からみた歴史書と欧米からみた書物は

地名も解釈も

同じ場所とは思えないほど違います。

欧米人によるある一冊には

クロライナ王国は

清朝@中国 末期に発見された

「中国の辺境の見捨てられた地域」で

思想的に豊かで栄えたが

攻め込まれてからは

― 駐屯していた異人種のミイラや貨幣がある。

―― 一時的に避難するつもりだった形跡にも見える。

傀儡国家として存在していた。

「現在は核実験の跡地」とあるそうで

チベットなど自治区を認めず

― 「新疆ウイグル自治区」の新疆は「新しい国土」

周辺もすべて中国と考えている中国は

ヨーロッパ人によって「発見された」という箇所は嫌だろう。

アメリカ原住民が住んでいた土地が

― インディアン虐待の時代劇(西部劇)は封印された。

コロンブスによって「発見された」というようなものだから。

歴史をさかのぼって捉えなおせば

ビミョーなお話になることって

辺境を意味する土地を巡る国際問題

よくある普遍的な問題みたいですね。

砂漠は

心理学的には

そういうことを映し出す

占い師のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

スクリーンみたいなものです。

忘れた頃にやってくるトラウマ警察🚓に怯えるクロの毎日

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警察の隠語にクロがあります。

「ホシ」 ~犯人の目

「牛の爪」 ~割れている

「太夫さん」 ~三河万歳より

万歳とは|安城の三河万歳

uh070-葛飾北斎 三河万歳 | 絵葉書資料館

「太夫」が唄って、「才蔵」が合いの手を入れる。

― 「唄う」=「自白する、自供する」

~ なかなか分析心理学的な日本の警察

取調室の心理学 - 平凡社

臨法心理学の出番ですよ💡

― 誰かの造語

例えば…

マリオ探偵「犯人はきっと現場に戻るはず!!」 - マリオメーカー ...

犯人は現場に戻る」をApp Storeで

Android 用 犯人は現場に戻る APK のダウンロード - 最新バージョン

1 犯行の結果や経緯が見たい。

2 証拠を残してないか心配。

3 自分が犯人と、まだバレていないか確認がしたい。

4 捜査がどこまで進んだか知りたいなど

色々な心理が働くようです。

フツー(小心者)の場合で

平気症@PTSD のツワモノは現場に戻らないかも

― サイコパス級PTSDか向精神薬依存症

これってシロ?クロ? 身近な法律の135の事例集 / 高橋 ...

トラウマも

ちょっと遅れて(忘れた頃に)戻ってきます。

天災は忘れた頃にやってくる」(てんさいはわすれたころに ...

内なる天災

― 犯罪の場合は天罰 

―― 神さまは見ています。

閻魔大王の正体とは。舌を抜く言い伝えや、本当は優しいという説 ...

― 閻魔帳にもクロとメモがある⁉

流行の詐欺事件の

捜査は長期に及ぶため

しっかり証拠を固めてから逮捕状請求

発覚から逮捕されるまでに

数週間・数か月以上の時間がかかることはめずらしくもなく

 事件を起こして1年以上がたってから

ドン・ファン事件は6年で初公判の日が決定

おはよう逮捕とは?曜日は?前兆は?流れについても解説 | 逮捕 ...

朝の挨拶をしないとおはよう警察に逮捕される時代」(2016年11月 ...

突然自宅に警察官がやってきて逮捕されるケースもあるそうです。

1つ1つの事件は大変な心理学ドラマらしく

出所者のブログはたくさん存在する。

松岡正剛『心とトラウマ』森田療法的PTSD予防

たくさんの書評をされた方ですが

松岡正剛千夜千冊 / 松岡正剛 - 紀伊國屋書店ウェブストア ...

PTSD関連のご著書もありました。

千夜千冊エディション 心とトラウマ - 松岡正剛 - ビジネス ...

うつ病と診断される人が増えた頃に

「鬱が蔓延している。社員の17%が鬱と診断された会社もあるという。もはやひとごとではない…」

『心とトラウマ』というタイトルで

PTSD理論

脳🧠科学の問題に焦点を当てながら

「…意識や精神はどこにあるのか。脳と心は別ものなのか。自分の中に別人がいる感覚や、鏡の中に自分がいる感覚。だれもが持ちうる違和感に焦点をあてる…」

台頭してきたDSM思考を批判し

DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル | 書籍詳細 | 書籍 ...

万人を精神病と診断することが目的

一億総うつ社会 (ちくま新書 896) | 片田 珠美 |本 | 通販 | Amazon

一億総ガキ社会~「成熟拒否」という病~ - 片田珠美 - ビジネス ...

排除されてしまった精神分析や

フロイトを筆頭にユングやラカン等

森田療法について書いています。

日本人の考えた精神分析的心理療法

①内観療法 ②森田療法 ③動作法

ベースとなった

森田療法の第一人者の死に立ち会った記録は

PTSD予防そのものでした。

生と死の境界線 「最後の自由」を生きる 岩井寛 | 古本よみた屋 ...

精神科医である口述者が

松岡正剛に依頼し

ガンに犯された自身の病状、思索、回想などを

死の直前まで記録させたテープをもとに構成

“本書は告白録ではない。闘病記でもない。むしろ実験書とでもいうべきもの、かつてどのような記録にもあてはまりようのない実験報告集なのである。ただ私は、それが何の実験だったのかを正確に言えるものをもちえない”(「はじめに」より)

東洋人の場合は

小冊子 まとめ

死ぬ瞬間 : 死とその過程について(E・キューブラー・ロス 著 ...

ゴロ】キューブラー・ロスによる死の受容 | ゴロナビ〜薬剤師 ...

キューブラー・ロス理論とは

本人も死を前にちょっと違う(こんなものではない)…と苦悩したらしい。

だいぶ違っているみたいですね。

ぶーふーうー

1933年の本日

アニメ三匹の子ぶた (1933) が公開されたそうです。

グリム兄弟が採集したおとぎ話をもとに

三匹の子豚 - Wikipedia

ディズニーが[su_animate type=”swing” duration=”2″ delay=”3″ inline=”yes”]アニメ化[/su_animate]し

公開したところ

― メインは別の長編映画

公開後何ヵ月にもわたり上映され続けるなど

驚異的な成功を収め

1934年のアカデミー賞短編アニメ賞受賞

成功の秘訣は

見た目はよく似た豚🐷🐷🐷さんたちを[su_animate type=”swing” duration=”2″ delay=”3″ inline=”yes”]人格化[/su_animate]させたことにあるようです。

「(アニメで)キャラクターに命を吹き込んだのは

あれが初めてだった。

見た目はそっくりで

行動は違う3人のキャラクターだった」とアニメーター

怖いオオカミ🐺から身を護るために

家を建てるというのは

自我境界についてのたとえ話だと思うのですが

カウンセラー自我境界 (現代精神分析双書 第2期第7巻) - 人文/社会

Amazon.co.jp: 自我境界 (現代精神分析双書 第 2期第7巻) : B ...

3匹のうち2匹🐷🐷は軽薄で無頓着

簡単に建てて音楽を楽しむ。

アリとキリギリス – にほんごたどく

最後に出てくるぶた🐷さんは用心深く真面目 ですから

その名もプラクティカル・ピッグ🐷

現代心理学のテキストのようでもあります。

童話自体が教訓めいたものですが

公開されたホールは

ロックフェラーが建設中(1930~)のもので

世界恐慌🐺は1929からで    

悪影響が消えるのは戦後

1939にやっと完成したという事情があり

テーマソングはアメリカ人の応援歌にもなっていたそうです。

海外ではヒトラーを揶揄するのにも貢献した。

物語の

後日談は日本の子どもに大人気となります。

3匹のうちの2匹が

どらえもんと黒柳徹子さんとは

― 同格?

時代を感じる(^^♪

オオカミが行商人に化けて出現するシーンが

マコト on X: "前にWOWOWでシリーシンフォニーの作品をいくつか ...

赤ずきんちゃんのオオカミ🐺みたいに

ユダヤ人的であるとして

抗議を受け

その時は変更に応じませんでしたが

同胞や親友にユダヤ人もおり

差別的な意味などない。

戦後笑えない事情が明確となり

二元論ではわりきれない

― よいとか☯わるいとか

ユダヤなるものというイメージがある。

少しマイルドに変更することがあったそうです。

議論ではなく事情が物事を変えることもある。

イスラエル、ガザ最南部ラファ侵攻辞さず 周辺国は休戦交渉迫る ...

今年はどうでしょう⁉

無意識的表現は時に予言的でさえある…