ペン🖊と果実🍎 つなぎて踊る 夏の風 @PTSDの臨法心理学【ピコ太郎事変】

7月17日の出来事を眺めていて

飛び出したのはコレ!

小坂大魔王 もとい🤭 ピコ太郎のお誕生日も本日らしい?

 

イベント前を意識して

本日は

真面目に話します🙂‍↕️

 

戦後を越えてもなお、私たちが向き合い続ける課題

1880年に

7月17日

旧刑法と治罪法が公布されてから

日本の刑事法体系は

長い時間をかけて整備されてきた。

戦後には日本国憲法が制定され

1956年の『経済白書』は「もはや戦後ではない」と宣言した。

7月17日

 

しかし

 

経済が戦後を脱したとしても

社会や人の心が完全に戦後を抜け出したかといえば

そうとは言い切れない。

 

戦争、震災、疫病――日本という国を人格化して捉えるならば

PTSDのリスクを負うほどの出来事が幾度となく襲ってきた。

 

阪神淡路大震災や東日本大震災の記憶は深く刻まれ

コロナ禍は「見えない脅威」として社会全体の不安を揺さぶった。

こうした経験は

法制度や社会規範のあり方にも影響を与え続けている。

 

1970年の家永教科書裁判では

7月17日

東京地裁が教科書検定を「検閲に当たる」と判断し

原告全面勝訴の判決を出した。

 

国家の判断であっても

時に見直されるべきであるという姿勢が示された象徴的な出来事である。

 

そして1998年

7月17日

国際刑事裁判所(ICC)のローマ規程が採択され

国際社会は新たな視座を得た。

国家の枠を越えて「人類の正義」を問う仕組みが整えられたことは

国内の司法にも静かな影響を与えている。

 

こうした歴史を振り返ると

法が正しく機能していても

なお救われない魂が存在するという現代の問題が浮かび上がる。

刑法と民法のはざまに落ちてしまう理不尽さ

 

訴訟詐欺まかり通る!@昨日記事

制度の網目からこぼれ落ちる痛み――それらは

 

令和のジャン・バルジャン @一昨日記事

戦後を越えた今もなお

私たちが向き合うべき課題である。

 

興味深いことに

今日誕生日を迎える古坂大魔王(ピコ太郎)の

お誕生日おめでとう!🖊🍎💐🍍🍰🍎🖊

「PPAP」が世界的にヒットした背景にも

日本的な感性が潜んでいるように思える。

 

ペン🖊とリンゴ🍎

よく使われる比喩2つ

青森出身らしいから身近にあるものでもある。

ペン🖊とパイナップル🍍――ただ二つのものを直結させただけの

日本における

🍍のイメージも随分変遷した

ナンセンスな歌が

ジャスティン・ビーバーの耳👂経由で

世界の耳を捉えた。

 

意味のないものに意味を感じる

あるいは「無」や「不思議」を笑いに昇華する感性は

日本文化の深層にある

一太極二陰陽のような世界観にも通じる。

 

複雑な問題を抱えながらも

どこかで軽やかに受け止める力。

それは

長い歴史の中で日本人が身につけてきた

精神の柔軟性なのかもしれない。

法制度が整備され

国際的な視座が広がり

戦後の経済が復興してもなお

私たちは

「根源に立ち返って判断する」必要に迫られている。

 

理不尽さに傷つく魂をどう救うのか。

PTSD発症リスク

制度の外側にある痛みをどう見つめるのか。

ジャン・バルジャンをどう救うのか?

歴史をたどることは

単なる知識の整理ではなく

今の時代に必要な視点を取り戻す作業なのだと思う。

神話のお勉強から

— 神隠しの場所

 

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