雑技の訓練と勉強の
両立は
大変そうです。
雑技の黄先生は
最初に出会ったときは
確か美しい笑顔でしたが
いつの間にかそれは
幻となり
厳しさ一辺倒に大変身です。
注意されて
そのとおりに
直していこうと
努力するのですが
からだがなかなかついていきません。
そのうち
扇子で
パシッとたたかれます。
しかし
痛みと対応して
姿勢はどんどん
よくなっていきます。
鍼灸治療の
痛ギモみたいですね。
雑技も
陰陽の世界です。
6歳の小飛だけは
たたかれる前に
姿勢を直します。
まるで超能力みたいで
ちょっとねたまれてます。
DV被害者から
よく訴えられる話があります。
「身体的暴力でないと
そして
その結果としての
大怪我でも見せてもらわなきゃ
DVって言われてもねえと
言う人がいるけど
たたかれっぱなしって人は
そんなにいないですよ。
それは相当重症なDVで
普通は一日中びくびくしてて、
暴力が来るな!って察知したら
なんとかなだめようとしたりするし
いよいよだめなら
逃げますよ」
DVにさらされた精神的暴力による
恐怖感とストレスは相当なものです。
子どもたちも
同様で
雑技学校の小飛君みたいな子も
多いです。
日々鍛えられたんでしょうね。
ぴりっとした魅力にも
映りますから
妬みから
いじめられたりもします。
本人は非暴力ですからね。
ちょっとかわいそうです。
悲しい傷跡とも言えるけど
克服の暁には
きっと
アクロバットのような
ドラマチックな展開を
支えてくれる能力でもある
と思います。
投稿者「翠雨PTSD予防&治療研究所」のアーカイブ
お水取り こもりの僧は11人
東大寺
二月堂のご本尊は
十一面観音
お水取りは
11人のこもりの僧
さてなぜ11でしょう?
陰陽五行と言いますが
水・火・木・金・土 の5気に
それぞれ
1・2・3・4・5 の数字が
対応しています。
これが
【生数】
土気は他の陰陽を司るので
生数に5を足した
6・7・8・9・10
これが【成数】
陰陽五行説ではよく
【生数】と【成数】を合わせます。
1+2+3+4+5 =15
6+7+8+9+10 =40
15+40=55
5つの気は宇宙の構成要素なので
宇宙の数は55で表されます。
『源氏物語』が54帖から成るのは
宇宙の真理に1つだけ足りないだけ
(架空)のお話という意味だそうです。
単なるお話であって
現実ではないけれど
それは現実にほんの少し
足りないだけだという
式部の主張です。
故・吉野裕子先生から習いました。
PTSDとポニョやルパンを
一緒くたに研究する理由も
ここにあります。
では【生数】+【成数】で
11になるのは
どの気でしょうか
3+8 =11
3は木気ですね。
春の活き活きした
活気は【木気】です。
だから春が来るんです。
朝日新聞『聖なる怠け者の冒険』と心理療法
連載を終了した作者が
ふりかえっています。
サブタイトルは
「ぽんぽこ仮面に追われた私」で
最後はこう結ばれています。
「連載中
けっきょくのところ
ぽんぽこ仮面に追われているのは
小和田青年ではなく
自分なのではないかと
思いました。
勘弁してくれと思いました。
物語にしても
連載という行為にしても
終わるということが
何より
素晴らしいことです」
そして
このはちゃめちゃなお話を
思い出してもらえたら
うれしいとのことです。
PTSDの心理療法で
【否認】はいけないといって
トラウマ体験そのものを回想する
方法を泣きながら続けている
勇敢な人たちの存在を知り、
実は
大変心を痛めていました。
それを否定するつもりはないけど
ではどう説明したらいいのだろうと
思っていたら
作者に助けられました。
作者が言っているように
創作を通して
イメージの中で
影とつきあう方法があるのです。
しかし
小和田青年とは…
しかも聖なる怠け者でしょ?
完璧に暗示してますね。
これは日本の【象徴的】な物語だと思います。
PTSDは
うつとか適応障害とか性格の悪さとか
怠け者とか誤診されて
瀕死の状態です。
適応障害というのは
【適応論】という
能力が欠けているので適応できない
だから、そこを指導する立場で
失礼極まりない見立てです。
本人は【自己実現】の問題を抱えているから
【冒険】しないといけないんです。
作者が書いているように
それは【一寸先は闇】の不安な作業です。
しかしそれしか道がない。
それを
「危険だから」と冒険させないで
薬漬け&指示
そして
1つ忘れるところでした
そういうスタイルに見せかけて
それでは埒があかなかったので
【自力】への期待…
そんな感じで
専門家のプライドを保っているのが
今の日本の現状です。
朝日新聞論説委員室から 「心の感染」防止の提案
昨日の
朝日新聞夕刊【窓】のタイトルを見て
思わずにやっとしてしまいました
フランスの
カミュの傑作
『ペスト』の一節から
新型インフルエンザの話になっているのですが…
【心の感染】とは
これを指しています。
「このいまいましい病気め。
かかっていない連中まで
心は感染している」
登場人物の一人が
嘆く。
町は疫病発生で封鎖
じわじわと恐怖感が広がり
町は息を潜め
人々の心もとげとげしく…
中世ヨーロッパ人の命を
3割以上奪った黒死病ペストですね。
死の恐怖から
急性ストレス障害が多発
死の舞踏という
集団ヒステリーに発展しました。
メメント・モリ
(死を想え)が
合言葉になったんでしたね。
今の日本の問題も
【PTSD】という名の
【ヒステリー】の蔓延により
年間3万という死を思う状態です。
【PTSD】は
ヒステリーですから
被暗示性が高く
流行に敏感ですから
無意識のうちにツラレて
車輪下にうずくまったりします。
記事では
インフルエンザ発病を隠す人が
増えるのではとの懸念がなされていますが
【PTSD】の
被暗示性の怖さも【否認】され
隠されています。
『精神科治療学』最新号は
自殺の原因で問題なのは
実はうつ病ではなく
PTSD周辺の問題だと
ぼんやり示したわけですし…
無意識は正直ですね。
表向きは
書かないようにしていても
こころの奥底で引っかかっていることを
【暴露】してしまいました!
以上
記者の無意識の翻訳をまとめますと
3万人の自殺の原因は
【PTSD】による
心的感染にあります。
かぐや姫を救え!
摂食障害とかぐや姫には密接な関係があることが知られているわけですが、
摂食障害に苦しむ人は
『私はかぐや姫かあ』
と知っても少しもうれしくない。
ましてや
【わがまま】【知的障害】扱いされて
適応指導されるなんて…
『私はアリスか?』
病院にはトランプの女王とか時間厳守の車掌とか(ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』より)
わけわからないのばかりいて
多数に無勢
負けそう!
実はかぐや姫も現実で結婚(現実でみんなと同じように適応)させられそうになり
『ダメかも…』と気弱になるシーンがあります。
気弱になってもあきらめないことが大事ですね!
牛島定信『神経性無食欲症にみるかぐや姫コンプレックス』(季刊精神療法 1987)を紹介しましたが、かぐや姫と摂食障害の関係について知られてからもう20年が経過しています。
もうそろそろかぐや姫の本心を誰か理解してあげないと…
古典のかぐや姫も摂食障害に苦しむ人たちも
もうこれ以上待てません!
摂食障害とかぐや姫イメージ
摂食障害とかぐや姫には密接な関係があることが知られています。
牛島定信『神経性無食欲症にみるかぐや姫コンプレックス』(季刊精神療法 1987)なんかに書かれています。
食べないというより
食べられない…。
なぜでしょうか。
ゆっくり考える必要があります。
たとえば…
人間は食べなくては生きられないという常識の一方で
【断食】する人々もいます。
世界三大宗教の開祖はみな
断食をすることで
新しい宗教を創造しました。
それで修行や通過儀礼ではよく断食をします。
1つの【魔法】みたいな【秘儀】なんですね。
われわれの無意識は経験したことだけでできているわけではなく
(呼吸の仕方を習ってから生まれてきましたか?)
何か行き詰ったら断食せよ!とあらかじめインプットされているのです。
整形逃亡の果てに逮捕された市橋容疑者は2週間も食を拒否しました。
食べなかったのではなく
食べられなかったのですね。
【急性PTSD(ASD)】です。
逮捕されたのがショックだったんですね。
食べ方がわからないのではなく、PTSDという原因があって、【解離】のために食べられなかったのです。
摂食障害の心理治療は個性化の過程として取り扱われるべきですが、
残念ながら市橋容疑者同様【わがまま】扱いがまかり通っています。
(もちろん犯罪はいけませんが、
現在の本人の行動までがすべて間違っているわけではありませんね)
せっかくかぐや姫のイメージが表現されて
『先生、私はかぐや姫なんです』
と打ち明けても、
本来あるべき静かに輝く月の世界に返してもらえない(個性化されない)で
知的障害・適応障害に嵌め殺される。
『食べ方くらい知ってますよお!』
『わがままじゃないですよお!』
叫ぶ声が聞こえてきます。
そういうわけで摂食障害の人たちはあんまり病院に行かないのです。
死にたくないからです。
見えないものに橋をかける
美智子さまの御著書『橋をかける』のサブタイトルは…
『子供時代の読書の思い出』
一方『崖の上のポニョ』のパンフレットにある監督企画意図の最後は
こう結ばれています。
『少年と少女、愛と責任、海と生命、
これ等初源に属するものをためらわずに描いて、
神経症と不安の時代に立ち向かおうというものである。
宮崎 駿』
見えないものにも
橋は架かります。
それ(ラポート)は
奇跡を呼ぶ魔法でもあります。
監督企画意図にも書かれています。
『魔法が平然と姿を現す世界。
誰もが意識下深くに持つ内なる海と、
波立つ外なる海洋が通じ合う』
誰もが持つ無意識の世界での現実について描かれているのです。
特殊な人の特殊な話ではありません。
絵空事ではありません。
皇后美智子さま 『橋をかける』
まっすぐな男と曲げられない女が基本
『崖の上のポニョ』は
5歳の少年宗介が、さかなの子ポニョと出会い、心を通わせる物語です。
5歳に何ができる?!と
思われるかもしれません。
しかし宗介がまっすぐさを貫くことが
ポニョのまっすぐさとリンクすると、
お母さんのリサや
デイケアセンターのおばあちゃんたちなど
周囲の人が変化し
応援してくれるようになりました。
それは嵐を呼ぶような大変化で
なんとポニョのお父さんフジモトまで改心させました。
まっすぐな【橋】が1つ架かると
いろんなものにつながり
それらの力も得ながら
大きく変化してゆけるのだと思います。
宗介ひとりの力ではないけど
宗介ひとりの力です。
最近のTVでも
『まっすぐな男』と
『曲げられない女』が
別のテレビ局で同時進行中です。
こころが通うと魔法が使えるようになる
『崖の上のポニョ』のストーリは…
海沿いの崖の上に住む5歳の少年宗介が、さかなの子ポニョと出会い、心を通わせる物語です。
ポニョは家出しようとしますが、一度は成功しても、すぐ父フジモトに海へと連れ戻されてしまったりして容易ではありません。でもあきらめないでいると、「魔法」が使えるようになって、願いが叶いました。
【ラポート(心を通わせる)】で【魔法】が使えるようになります。
魔法とは何か。
ブリュンヒルデという名前から、ポニョという名前に変わることです。
生まれ変わるんですね。
もちろんこの世で!
昔の日本人はよく名前を変えたようです。
子どもから大人になる時や襲名、僧籍に入るとき、あるいはそれを踏襲したのでしょうが、
茶道や華道、書道など【道】のつくようなお稽古事にもそれは見られます。
【翠雨】もそんな名前です。
【無我】っていうのはそういうことのようですね。
難しいことではなく、その場その場で生まれなおす。
それが本当に生きているということです。
一日のなかでも自分のことを
「私が」と呼んでいるかと思えば、
携帯に出るとたちまち「俺?」
家に帰ると「お父さんはねえ」
というように、ころころ変わります。
日本人特有ですね。
相手にあわせ、立場にあわせ、状況にあわせ…
なかなか凄い芸当です。
自分の誕生を祝福してくれ、名前をつけてくれた親には感謝するけれど、
そのときこめられた願い(第一の名前)だけで生きていくには
人生は長すぎる。
そして『崖の上のポニョ』って名前は【公案】でしたね。
魔法といってもありもしない魔法ではなく
難しいけど、答えのある問題を解くことなんです。
PTSDに罹患すると、お坊さんでなくても【公案】に取り組むようになります。
