「C.G,ユング」カテゴリーアーカイブ

『ラストサムライ』 ~二元論的危機イメージ

PTSD性の
アルコール依存症で
半ば狂った
トム・クルーズは

訓練中の兵士に

「自分を打て
打たねば殺す」と

無茶を言います。

兵士って言っても
さっきまで農民だった
純朴な人間ですから
戸惑って
気の毒です。

実は
これはトム・クルーズの
置かれた苦境です。

悪夢を打たねば
命がもたないのです。   ←死にたくなるし心身消耗するし
(【投影】です。
 自分が考えるべきことを
 難しいからと
 人に投げつけているのです。
 甘えです。)

また他国の兵士は
殺すか殺されるかの
二元論で生きてます。

C.G,ユングも
フラッシュバックに悩まされ

「その意味がわからないなら
おまえは
(机の引き出しにあるピストルで)
死ななければならない」と
内なる声に
追い詰められました。

トム・クルーズも
ユングも
内なる声に導かれ
自分の常識・哲学を更新し
生まれ変わりました。

机上論的な二元論は
危険です。
続きを読む →

『ラストサムライ』 ~二元論的危機イメージ

PTSD性の
アルコール依存症で
半ば狂った
トム・クルーズは
訓練中の兵士に
「自分を打て
打たねば殺す」と
無茶を言います。
兵士って言っても
さっきまで農民だった
純朴な人間ですから
戸惑って
気の毒です。
実は
これはトム・クルーズの
置かれた苦境です。
悪夢を打たねば
命がもたないのです。   ←死にたくなるし心身消耗するし
(【投影】です。
 自分が考えるべきことを
 難しいからと
 人に投げつけているのです。
 甘えです。)
また他国の兵士は
殺すか殺されるかの
二元論で生きてます。
C.G,ユングも
フラッシュバックに悩まされ
「その意味がわからないなら
おまえは
(机の引き出しにあるピストルで)
死ななければならない」と
内なる声に
追い詰められました。
トム・クルーズも
ユングも
内なる声に導かれ
自分の常識・哲学を更新し
生まれ変わりました。
机上論的な二元論は
危険です。

『ラストサムライ』 ~切腹にみられる2つのこころ

外国人の視線で切り取ると
何かと
わかりやすくなりますね。

切腹についても
気づきがありました。

自分で割腹した瞬間に
他人に首を切られます。

どちらか一方では
だめなんですね。

頭で考え
おなかで考えますからね。

自我とセルフ(真の自己)
でしょうか。

『十牛図』の
第八図
人牛倶忘の
無ですね。

坐禅でその境地になると
自我強化されますが

その根っこである2つを
断ってしまう発想でしょうね。

魂魄とも言いますしね。
続きを読む →

『ラストサムライ』 ~集合的無意識と禅定

冒頭で
『古事記』が引用された後

武士が瞑想してる
シーンが流れ出します。

過去の記憶が
イメージとして
脳裏に浮かび

恐ろしい
トラが出てきたかと思うと
武士は目をカッ!と見開いて
禅定から目覚めます。

なんと端的に
瞑想の意味を
示しているのでしょうか?!

【父母未生以前の面目】とか
【脚下照顧】なんて
言いますが、

瞑想の目的は
集合的無意識の観察と
そこから
本当の意味で開放され
自由になることです。

個人的無意識(常識・宗教・煩悩)
家族的無意識(常識・宗教・煩悩)
武士としての無意識(常識・宗教・煩悩)
人間としての無意識(常識・宗教・煩悩)
…
ずっと降りて行きますと
地球のマグマのような
恐ろしくもパワフルな
エネルギーに遭遇し    ←トラ
それを見方につけて
元気になって
目覚めます。

こうして無になれば
武術も上達します。

人種が違っても
仲良くなれます。

つまりは非暴力の哲学に
繋がっているのです。
続きを読む →

PTSD治療に進化も進歩も不要

世界自然遺産の
鹿児島県
屋久島に自生する
推定樹齢2千年の屋久杉が

PTSD研究家翠雨の日記

アンネ・フランクが
眺めていた木が

PTSD研究家翠雨の日記

倒れました。 ←これは数ヶ月前

「どこでもいい
人間の歴史から任意の千年、二千年を取り去っても
人間の本性に関する
私たちの知識は減りもせず
増えもしない。

…木の像が木を芽生えさせたように
作品だけが
時間経過のなかで
人間たちのあいだに
何かがたしかに生起したことの
証となってくれるのである」

着物を着てたのが
ジーンズをはくように
なっただけです。

しかし
環境がヒドイ…     ←危機意識(動物的カン)も問題だが…
PTSDを抱えて生きるには
平成日本はサイアクなのかも   ←デマがひどい…
しれません。

しかし
根っこ(存在のルーツである無意識)は
何もかわらないと
エレンベルガーが言っています。

まどわされず
シンプルな基本を
大事に
できることを続けましょう。
続きを読む →

キャラ弁文化と集合的無意識

楽しいお弁当ですね。

PTSD研究家翠雨の日記

しかし
画家の安野光雄さんが
危惧しておられる。

お母さんがいなかったり
いても作ってもらえない子が
どう思っているかと。

おもちゃみたいなお弁当だと。

うーん。
人生の悲哀を感じますね。   ←西田哲学の出発点
いいとか悪いとか       ←陰陽
一概に言えないけど
傷つく子は多いでしょうね。  
給食や制服って
そういう意味もあるんでしたよね。

そう言えば
私は戦争や貧困を体験してませんが
中学校のとき
お弁当半分覆って食べてました。
すると周囲の人たちも
そんな感じになって
先生が神妙に笑ってましたよ。  ←なんとなくわかるんでしょう…

隠さねばならないような
お弁当食べてる子は
いませんでしたから

あれは無意識的に           ←国民的無意識
そうなったのでしょう。

親がそうしなさいと言うはずもなく   ←家族的無意識
(キャラ弁にははるかに及びませんが
 結構自信作のつもりだったハズ)

今でも
人前で自前のお弁当広げるとき
少し抵抗ありますよ。

いろんな人がいるから
自慢に見えたらいけないから
気にしたらいけないから

これだけ自分勝手に
いろいろ書く人間でも
そこは気にしてるものなんですね目
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『ラストサムライ』 ~切腹にみられる2つのこころ

外国人の視線で切り取ると
何かと
わかりやすくなりますね。
切腹についても
気づきがありました。
自分で割腹した瞬間に
他人に首を切られます。
どちらか一方では
だめなんですね。
頭で考え
おなかで考えますからね。
自我とセルフ(真の自己)
でしょうか。
『十牛図』の
第八図
人牛倶忘の
無ですね。
坐禅でその境地になると
自我強化されますが
その根っこである2つを
断ってしまう発想でしょうね。
魂魄とも言いますしね。

『ラストサムライ』 ~集合的無意識と禅定

冒頭で
『古事記』が引用された後
武士が瞑想してる
シーンが流れ出します。
過去の記憶が
イメージとして
脳裏に浮かび
恐ろしい
トラが出てきたかと思うと
武士は目をカッ!と見開いて
禅定から目覚めます。
なんと端的に
瞑想の意味を
示しているのでしょうか?!
【父母未生以前の面目】とか
【脚下照顧】なんて
言いますが、
瞑想の目的は
集合的無意識の観察と
そこから
本当の意味で開放され
自由になることです。
個人的無意識(常識・宗教・煩悩)
家族的無意識(常識・宗教・煩悩)
武士としての無意識(常識・宗教・煩悩)
人間としての無意識(常識・宗教・煩悩)
…
ずっと降りて行きますと
地球のマグマのような
恐ろしくもパワフルな
エネルギーに遭遇し    ←トラ
それを見方につけて
元気になって
目覚めます。
こうして無になれば
武術も上達します。
人種が違っても
仲良くなれます。
つまりは非暴力の哲学に
繋がっているのです。

PTSD治療に進化も進歩も不要

世界自然遺産の
鹿児島県
屋久島に自生する
推定樹齢2千年の屋久杉が
PTSD研究家翠雨の日記
アンネ・フランクが
眺めていた木が
PTSD研究家翠雨の日記
倒れました。 ←これは数ヶ月前
「どこでもいい
人間の歴史から任意の千年、二千年を取り去っても
人間の本性に関する
私たちの知識は減りもせず
増えもしない。

…木の像が木を芽生えさせたように
作品だけが
時間経過のなかで
人間たちのあいだに
何かがたしかに生起したことの
証となってくれるのである」
着物を着てたのが
ジーンズをはくように
なっただけです。
しかし
環境がヒドイ…     ←危機意識(動物的カン)も問題だが…
PTSDを抱えて生きるには
平成日本はサイアクなのかも   ←デマがひどい…
しれません。
しかし
根っこ(存在のルーツである無意識)は
何もかわらないと
エレンベルガーが言っています。
まどわされず
シンプルな基本を
大事に
できることを続けましょう。

キャラ弁文化と集合的無意識

楽しいお弁当ですね。
PTSD研究家翠雨の日記
しかし
画家の安野光雄さんが
危惧しておられる。
お母さんがいなかったり
いても作ってもらえない子が
どう思っているかと。
おもちゃみたいなお弁当だと。
うーん。
人生の悲哀を感じますね。   ←西田哲学の出発点
いいとか悪いとか       ←陰陽
一概に言えないけど
傷つく子は多いでしょうね。  
給食や制服って
そういう意味もあるんでしたよね。
そう言えば
私は戦争や貧困を体験してませんが
中学校のとき
お弁当半分覆って食べてました。
すると周囲の人たちも
そんな感じになって
先生が神妙に笑ってましたよ。  ←なんとなくわかるんでしょう…
隠さねばならないような
お弁当食べてる子は
いませんでしたから
あれは無意識的に           ←国民的無意識
そうなったのでしょう。
親がそうしなさいと言うはずもなく   ←家族的無意識
(キャラ弁にははるかに及びませんが
 結構自信作のつもりだったハズ)
今でも
人前で自前のお弁当広げるとき
少し抵抗ありますよ。
いろんな人がいるから
自慢に見えたらいけないから
気にしたらいけないから
これだけ自分勝手に
いろいろ書く人間でも
そこは気にしてるものなんですね目