青森県『カラマーゾフの兄弟』殺人事件(1953)

本日は

青森県新和村一家7人殺害事件が発生した日ですが

本県の犯罪史上最も凶悪な殺人事件

— 地元紙『陸奥新報』

舞台となった村からはバスで約100人が傍聴

精神医学界も変えた一事例

—「稀に見る特異な事件」として研究対象とし

—— 日本精神病理学会)のテキストに掲載中

精神鑑定を変えた。

— 専門家の知識も今一つで未熟さが大きかったと取材者の著書にある。

なんだか

『カラマーゾフの兄弟』みたいな事件です。

ドストエフスキー版を読んだときは

解離ぶりはロシア特有と感じたものですが…

— 津軽版 だっただけ

今では

無差別大量殺人事件についても

カラマーゾフは父親一人なのでした。

— 要するにカラマーゾフを超えている。

広く知られるようになり

銃乱射事件も多発しているし

「杉沢村伝説」は都市伝説と融合

岡山の津山三十人殺し

— 当時は東北人の気質が大きいとみられていた。

—— ややロシアに近いところがあるのかもしれないが

解離心理の実際についても周知のものとなってきました。

この事件は

やまゆり事件や元首相暗殺事件についての

— 解離すれば人間にはかなりのことが出来る。

—— 犯行時間は多く見積もって2分未満

——— 怖いくらいの臨場感伝わる@Wikipedia

陰謀論説も払しょくする。

まずは

カラマーゾフの兄弟と言えば

父親殺しですが

村民たちの間では容疑者に同情する声も多く

— 減刑嘆願の署名が一週間で800人

遺族も

「事件は父親が悪い」by実母

「容疑者は良い兄だった」 by実妹

検事すら背景をよく見て情状酌量すべきとの見解

— (殺人についての)無罪判決に対し最高裁に上告はせず

— そりゃ解離もすると認めた。

リンゴ園農家の三男(当時24歳)は

1929年(昭和4年)11月10日

8人兄弟(3男4女:兄2人・姉3人・妹1人)の

三男(第7子)として生まれ

事件の第一審判決後に釈放され

— 次兄とリンゴ栽培 

—— やっと新民法どおりに遺産相続?

事件から48年後の2001年12月に

交通事故死(72歳没)

小学校を卒業してから家業(農業)を1年ほど手伝ったあと

「〔M〕ノバカ、クルタ〔=狂った〕サク十二ジ二〇ブンニカエリウツイ〔家へ〕ミソノシム〔盗み〕ニイキマシタ。ツミアツタラタノム」

—  犯行後の書き置き

他家に奉公に出たりしたあと

病を得て実家に戻り

詳細は不明ながら

日々の食べ物にも困る暮らしを強いられて

日常的に非人間的な扱いを受けながら生育している。

農業に従事する傍ら

桶職の見習いなどをしていたと紹介されています。

職業桶職人としか掲載されていないけど

よく読めば

普通にイメージされるような状態ではないという

そのギャップが事件の背景

1953年当時では普通のことで

性格もむしろよかったようです。

「おとなしくよい若者」

「真面目で親思いの感心な若者だと村の評判であった」

「優しい兄で、実家を出てからも2、3千円をくれて世話してくれていた。(兄弟の中で)一番好き」by実妹

しかし

いつかの法相が認めていたように

こんな恵まれたおいたちからこんな凶悪犯罪が…と

驚くような事件はなかった。

実は機能不全家族にあって

父親の素行は極めて悪く

生来、吝嗇怠惰で酒癖が悪かったようだが

帰還兵症候群が加わったらしく

— 兵隊から帰ってきてからは仕事をせず  by妻

村の顔役として消防団長を務めることがある一方で

DV夫だった。

を蓄えて家庭を顧みないことが多く

自身の非を決して認めない頑固な性格が

酒乱と相まって

近所の未亡人との関係を見た

妻に

— 17歳ころに結婚 38年一緒に暮らし 子どもは13人

『お前を焼き殺してやる』と脅し

火箸や焼けた木を振り回して叩くなどした挙句

「気に食わない」という理由で追い出し

— 日本版『カラマーゾフの兄弟』そのもの

兄弟を仲たがいさせながら

基本的に憎悪されているが

— 長男も容疑者と一緒に父親を毒殺する用意をしたことがあると平然と証言

感情的な溝を深めさせながら

— 場当たり的に対応を変えることが操作となっている。

—— 使えるか使えないか で人をみる。

——— 「自分は出来が悪いから父親に憎まれている」by容疑者

——— 「鳶撃ちが上手だと実父によく褒められていた」by実母

——— 追い出しながら人手が足りない時限定で同居させる。

容疑者を

「後妻を家に連れてくるために邪魔だと感じたからだと思う」

無一文で追い出しました。

長男もいつのまにか父親に加担

— その嫁も加担の負の連鎖

—— みんな弱い立場の傍観者

劣悪な環境となりますが

裸同然の姿(布団・鍋・米一斗をもらい受けたのみ)で追い出され

犬小屋のように汚い小屋に住む

律儀に生活しているようにしか見えませんが

わずかな米・味噌などをもらったことがある以外は

親族に頼らず

~ 当時の常識のようなものであきらめるしかなかったらしい ~

—— 救済のために自衛隊の駐屯地ができたとか

 

強い雨風や吹雪は凌げず

寒さに震えながら

— 『無知の涙』を思い出させる…

眠れもせず

身の不幸を泣き明かすのみで

炊事もできないので

仕事に出掛けては食事をさせてもらう

極貧生活に呻吟していたと言います。

それが

事件の立役者はアルコール🍶で

餅臼の修繕の仕事に行き

—そろそろ出番の12月

礼金を密造酒に替え

依頼主と1升の酒で開始

— 途中他家では代金回収断らるストレスもあり⁈

帰宅までに約1升6合程度呑んだ。

酩酊を意識する程度を維持

「当夜は飲酒したが

本心がなくなるほど酔ってはいなかった」

交渉しながら

食事し

家にも帰ることが可能

いつもとは違う思考が働き

味噌がないことに気づいて

この日はなぜか

実家から味噌を盗んでこようと思い立った。

— 抑圧のふたが開いた?

そのまま実行…のつもりだったが

味噌をもってきた甕に入れて

さあ帰ろう…

小屋の中に猟銃があるのを見て👀

味噌が減っているのに気づかれて

「父たちに殺される」と錯乱

機先を制して

彼らやその家族を射殺することを決意

犯行に及んだというものです。

12月12日に

お餅つきを思いついた人が悪い…

— 風吹けば桶屋がもうかる

そんなことはない。

先の未遂に終わった毒殺計画を

長男から唆されたという点

母親に止められたというのはアジャセコンプレックスが混じっている。

村の駐在巡査に対し

味噌を盗むことの正当防衛性を問った

使用人も殺害するつもりだったこと

これは原作からも

解離意識から覚めた時の様子が

犯行後

頭部から血を流し

仰向けに倒れている実父の前に

自分が猟銃を持って立っていることに気づき

— 非常に驚いてしまって現場から逃げ出す

次第に意識が回復するなか

自宅に戻って残っていた酒を煽り

メモ板に書き置きを残し

殺害したと言いながら

警察に自首

— 取り調べ中の火災で女の子が1人焼死

カラマーゾフのドラマに

印象的なモチーフとして散りばめられているように感じます。

脚本家の読みはこんな感じでしょう。

参照は亀山郁夫先生版

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です