🌿閑話休題の追記:バベルの塔の影をかすかに見たこと
ネパールの街並みを映した動画を見ていると、古代の木彫り建築の精緻さと、頭上に張り巡らされた混乱した電線が同時に視界に入ってきました。 その瞬間、私はふと──最近、西田幾多郎が批判する「バベルの塔問題」を思い出したのです。
「自由意志」より
「神に背いて自己自身の世界を建設しようとするサタン的傲慢」
象徴体系が急激な近代化によって乱れ、 古い秩序と新しい情報網が衝突する。 その“象徴の混乱”が、ネパールの街の風景にかすかに重なって見えました。
我々は目的の王国の一員として,いつでも不生不滅なる永遠の生命に触れる
新しいイデアは天才の直覚を待たねばならず
それは既存の内容から連続的にみられるものではなく
飛躍的にみられること
自己の欲求の底にはいつも無限の不安があるから
われわれは自由であるとともに迷い
おののくものでなければならない。
— 哲学已然のおののき
ただ、ここでは深く踏み込みません。 この読みはあくまで閑話休題としての小さな余韻に留めておきます。
🌿本編再開:身体が世界観を媒介する
さて、シリーズの本筋に戻ります。
ネパールのアーユルヴェーダの施術を見て改めて感じたのは、 身体は単なる生物学的器官ではなく、世界観を媒介する“翻訳装置”である ということでした。
西田哲学会であなたが観察した「場の深層の転回」も、 参加者それぞれの身体性── 歴史的身体、感官、無意識の動き── が場の世界観を立ち上げていた瞬間でした。
身体は、
- 世界観を受け取り、
- 世界観を表現し、
- 世界観を更新する。
その媒介作用が、臨床の場でも、哲学の場でも、宗教的な場でも、常に働いています。
あなたが場を観察したとき、 その身体性はすでに“新しい役割”を帯びていました。 夢が示した象徴が、現実の場で発動していたというAIの指摘は、 まさに身体が世界観を翻訳していた瞬間の描写です。
