賢治は
明治三陸地震の
―マグニチュード8.2
大津波で
2万2千人の犠牲
二ヵ月後に
誕生し
―胎内被災者ですね。
たいていは問題ないでしょうが
詩人の繊細さだと
ちょっとストレスだったかも
知れないですネ。
死の半年前には
昭和三陸地震に
出会っています。
―多くの思想家に見られる
晩年の明るさがないのは
このせいかもしれないですね。
フロイトや西田幾多郎も
そうです。
今また
「雨ニモマケズ」が
岩手の人々を癒し
海外にも広がっているそうです。
―「モッタイナイ」や
「TUNAMI」みたいに
世界共通言語になるかも
しれないですね。
大変ななかでも
★食事に気をつけ
―玄米やミソ、野菜
素朴なもので充分なのです。
精神病薬なんてダメです。
★こころをしっかり持って
―怒らず
無我でありながら
(客観性を保ち)
認知のゆがみや
解離性健忘を起さず
★他者を想い
『銀河鉄道の夜』のような
壮大な物語を書いた
背景には
震災ショックがあったのを
改めて知りました。
信心の深さは
その結果にすぎないのでしょうね。
震災ショックで岩手は宮沢賢治を思い出しこころのケア
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