精神分析から観たいじめっ子と傍観者の心理構造

朝日新聞の【声】で
子どもの頃
いじめに加担した経験を
書いている人が2人いた。
★いじめの発端は
感じ方には幅があるだろうが
「ねたましい」
「うらやましい」
   +
「仲良くなりたい」  
無意識的な【影】に怯えて  
バカにしたり否定したり   ←「汚い」と意識
邪魔者扱いしているが
その実
相手を高く評価していて
自分もそれを取り入れたいが
自信がなく
傷つきたくもないから
素直に行動する勇気もなく  
その情けなさを
瞬時に解消しようとする
ストレス耐性の低さから
結果的に
暴力的になってしまうこと。
★一方で
加担している罪悪感に耐えられず
バツの悪さをごまかすために
笑ったり              ←【反動形成】
先生の注意を無視したりしているが  ←【否認】
どこかでは
実は反省していて

対人関係の正常化への機会を
うかがっていたことが
回想されていた。
子どもたちは
こういう無意識の防衛機制で
金縛りになっているから

先生がまず
問題に真摯に飛び込み
反応がなくても         ←一見カッコ悪いです。
いじめられた生徒にかかわり
いじめた側に報告し
よい兆しに思わず涙するような
素朴な態度に子どもたちは心打たれ
自分たちのしたことの
くだらなさと哀しさを悟るようです。 
 ―中途半端は馬鹿にされる。
土居健朗の
『甘えの構造』そのものだなと
思いました。
今も昔も変わりません。
アンケートを形だけとって
「いじめた?」
<からかっただけ…>  ←【否認】
「あーそう」
先生に余裕がないなら
スクールカウンセラーがいるでしょう?
心配した先生の指示で
動いているとわかれば
手抜きとは思わないですよ。

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