本日は
高村 智恵子さんの産まれた日です。
1886‐1938
統合失調症に苦しめられていたとされていますが
Wikipedia
45歳くらいの発症で
10~20歳代の青年期~成人期にかけて発病すると
昔の常識的な教科書には明記されていた。
その前に原因らしきものがありました。
金銭的に苦しい窮乏生活を送るなか
— 裕福な育ちでもあり病弱であったので苦労は大きい。
挫折
— 自信を持って出展した油絵の落選
創作活動をあきらめて家事に専念するようになったころに
— 高村光太郎を支えるために
父親が亡くなり
実家が破産・一家離散
孤独から
母親や姪が訪ねて来ているのに
寂しいと言うから
普通の孤独ではない。
— 東京には空がないというのと同じ意味
睡眠薬で自殺未遂を起こすまでになり
このタイプの作家らにも
原因らしい出来事がある。
— 精神病は先天的病で後天的な原因は無関係
東北地方の温泉で療養してもよくならず
思い出のマーニーも転地療法から
—ただし物理的な問題ではない。
自宅療養も危険な状況にまで進行していたので
精神病院に入院
当時としては
先進的な全個室、鍵なし、格子なし
高村光太郎の勧めで
精神病には
簡単な手作業がよいと聞いた。
紙絵を創作するようになりました。
あふれるように創作しているところからも
PTSDだと思われます。
当時は
神経衰弱などとも呼ばれていましたね。
神経症とは把握されていた。
— 森田神経症のように考え方で治るレヴェル
西田幾多郎の手紙のなかにも
哲学者の見たこころの病
似たような症例をみつけました。

原因としては
当時の常識をそのまま援用していますが
病気に苦しむことも増え
哲学者は身体も考えなければならないとも書くようになった頃
政治的な問題と関連のある現象とは
感じられていたように読めます。
西田哲学が
手紙の相手の
鈴木大拙は
— 二人は大親友
後年
心理学は哲学に
哲学は心理学に抜けなければならないと書いている。
臨床心理学にまで越境するには
少し時間がかかったようです。

そしてまた忘れ去られようとしています。


