見牛や 心の景色 立ち上がる @西田幾多郎と南方熊楠

本日は

西田幾多郎のお誕生日です。

おうし座だなと思い

20日まで

確かにおうし座っぽい

昨日がお誕生日の

熊楠の『十二支考』を開いてみると…

牛だけがありません👀

十一支考

熊楠は

寅年🐯の1914年から

その年の干支について

雑誌に掲載を開始し

亥年🐗の1923年までは順調だったのですが

翌24年の子年🐭は

執筆したのに掲載せず

『十二支考』には収録

丑年🐂論考は出来上がらなかったのだそうです。

資料があまりに膨大なため

「全然出来おらず」と弟子への手紙で訴えていた。

亡くなったのは1941年

2019年になって

新聞紙の裏面に書かれた

大きいので一覧できるのが気にいったらしいが

新聞紙でも

入りきらず

収拾がつかず…

腹稿100枚が

「詩文の草稿を心中に組み立てること。また、その草稿」

熊楠の場合、論文執筆にあたって記した自筆のメモ書きがこう呼ばれている。

「中国の古い言葉で、現在はほとんど使われていないが、熊楠には使う」

和歌山市立博物館に所蔵されているのが見つかったのですが

悪筆で判別が難しく

内容は分かっていないものの

熊楠の論文は難解なので

研究に役立つと専門家を歓喜させたのは

西田哲学と同じです。

同じころ

— 2015年  熊楠は2019年

心理学ノートなども見つかり全集更新

哲学館がみつかったノートを復元

私は、こういうビジョンがあったことを知って嬉しくなった。

さて

なぜ牛だけ欠けたのでしょうか🤔

牛と人間のかかわりは密で古く

ラスコー洞窟の壁画は躍動的な野牛

— 2万年ほど前とされる。

ヒンズー教では神聖な生き物

『説文解字』によると

— 最古の部首別漢字字典

天地の事柄は牛を引く耕作に始まる。

— 「物」のヘンは牛

禅宗で真の自己を表すのも牛でしたね。

AI熊楠なら

『十二支考』をまとめ上げることができるでしょうか。

牛だけで全集が出来てしまい

バランスが悪いでしょうか。

一即多の不思議な構造です。

善の研究では

たとえばを打って火を発する以前に、火はどこにもないのである。或はこれを生ずる力があるというでもあろうが、前にいったように、力とかとかいうのは説明のために設けられた仮定であって、我々の直接に知る所では、ただ火と全く異なった或現象があるのみである。それで或現象に或現象が伴うというのが我々に直接に与えられたる根本的事実であって、因果律の要求はかえってこの事実に基づいて起ったものである。しかるにこの事実と因果律とが矛盾するように考うるのは、つまり因果律の誤解より起るのである。

石も重要そうですけどね。

— 原初以来の恒常性を保つものとしての石  金気

たとえ話に牛が採用されていますよ。

同一の意識といっても決して真に同一でない。たとえば同一のを見るにしても、農夫、動物学者、美術家に由りて各その心象が異なっておらねばならぬ。同一の景色でも自分の心持に由って鮮明に美しく見ゆることもあれば、陰鬱にして悲しく見ゆることもある。仏教などにて自分の心持次第にてこの世界が天堂ともなり地獄ともなるというが如く、つまり我々の世は我々の情意を本として組み立てられたものである。いかに純知識の対象なる客観的世界であるといっても、この関係を免れることはできぬ…

見るというときに牛なのでしょうか。

見牛は第三図

— 見性 ~ 立ち上がってくる   …生成AI

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です