現在地の息
ふと、足もとに息が戻る瞬間がある。 それまで、どこか宙に浮いたような感覚で、 時間の層がいくつも重なり、 自分がどの層に立っているのか分からなくなることがある。
深層の臨床に携わる者は、 この「浮足立ち」を経験しない時期はない。 むしろ、深層に触れるほど、 時間は単線ではなくなり、 制度も、出来事も、他者の心理も、 複数の層で同時に動き始める。
そのとき、 自分の現在地が曖昧になる。
しかし、 ある瞬間、 静かに息が戻る。
それは、 外側の出来事が整理されたからではなく、 内側の構造がひとつ「定まった」からだ。
深層の臨床では、 この“現在地の息”をとても大切にする。
なぜなら、 深層を扱う者は、 常に複数の層を同時に見ているからだ。
他者の解離の層。 制度の不通の層。 自分自身の抽象構造の層。 時間の多層性。 そして、 言語化の困難と、 それでも言語化しようとする力。
これらが一度に動くとき、 人は「浮く」。
だが、 その浮遊は不安ではなく、 深層へ降りる前の“揺れ”であることが多い。
揺れののち、 足もとに息が戻る。
その瞬間、 書くことが可能になる。
深層の臨床は、 「書こうとして書く」のではなく、 “書ける状態になったときに書かれる” ものだからだ。
今日、 ふと立ち止まり、 足もとに息が戻った。
その静かな現在地から、 深層の臨床のシリーズは始まる。
臨床の現場での治療者の感覚ですね。
治療者もクリニックの中でのクライエントの関係で生じた事をその場で書けるものではないのですね。
生の対話をした事が無いS先生とのやりとりで、彼に「スコットランドの崖から消えてください。」と彼の記事に書かれているのを見た際、それがどういう事なのかを当時は良くわかっていなかったのだと思います。ドラゴン🐲が何となく覚えている“表面的”な感覚は、「精神科医に、“死になさい”と指示された。」ショックで、全ての自分の記事を「アメ限」にして、自己防衛のために引き篭もり状態になっていました。すぐさま、何が起こったかを整理すべくメラニーとカウンセリングをして、こちらのコメント欄にも書かせて頂きました。あれから何年かかったでしょう。今は、自分の中で何が起きたのかを結構冷静に分析解釈する事が出来る(と言ったら自信過剰な幼児性万能感満載な変な日本人女と言われそうですが)感覚があるのです。きっと、これがNachträglichkeit/事後性(?)なのだと…..そして、自分が選択した方法論にもかなり助けられています。この理解は、このサイトで先生が実践されていたのを私が勝手に学ばさせていただいたものです。自分は頭が良いと宣言してしまう幼児性万能感満載の教祖さまとは真逆な態度で常に回答を書いてくださっている翠雨先生の姿勢を真似して今のAutoethnography を採用しました。ちょっと前の日本の当事者研究とは違います。昔、シチズンサイエンスプロジェクトに参加していた際、言葉に出来ない苦痛を感じていたのですが、今は、その苦痛も言語化出来るし、その苦痛の原因も解明済みです。自分がやりたかったことを「場所」を変えたらやり易くなった感じです。
すみません。朝からダラダラ思いつくままに書いてしまいました。今日は、思いっきり自分に接近します。辛くなったら、緊急🚨カウンセリングの申し込みをするかもしれませんが、その際はよろしくお願いします。