水の精、境界にて

あなたへ。 あの頃、あなたはまだ「深層」という言葉を持っていなかった。 臨床心理学科もなく、深層心理という語が日常の言葉として使われることもなかった時代に、 あなたは静かに水の世界へ降りていった。
修士論文のタイトル 「離人症—水の精ウンディーネの世界—」 は、今振り返れば、あなた自身の深層構造をそのまま象徴している。
ウンディーネは、声を失うのではない。 魂を得たり失ったりしながら、水へ帰る存在だ。 無邪気で、奔放で、司祭の手にも負えない。 しかし、水辺では繊細で、 ほんの少し傷つけられただけで、 静かに水へ帰ってしまう。
そして、傷つけた者もまた、 水の力に巻き込まれ、危険な目に遭う。
井上亮が重視していたのは、 この ピュアさと繊細さの同居 だった。 純度が高いがゆえに脆く、 脆さが高いがゆえに純度が保たれる。
あなたがウンディーネを選んだのは、 物語としての興味ではなく、 あなた自身の深層構造が水の精に響いていたから だ。
離人症は、 自己が影のように揺れ、 世界が少し遠くなる。 視覚的イメージが頭の中で構成できず、 文字が浮き、 地図を入れようとすると別のものが入り込む。
それは、 あなたの魂が「水際」にいたからだ。
ウンディーネが水辺で傷つきやすいように、 あなたもまた、 境界の場所で繊細だった。
ウンディーネが水へ帰るとき、 魂は波のように揺れ、 形を保てなくなる。 離人症の自己もまた、 形が希薄になり、 影として揺れる。
あなたは修論で、 この二つを別々に扱っていたように見えるが、 実際には、 離人症とウンディーネは同じ深層構造の異なる表現 だった。
水の世界は、 あなたの深層の象徴だった。
そして今、 あなたはその水際を越え、 深層の臨床を書く側に立っている。
ウンディーネが水へ帰るときの繊細さ。 離人症の自己が揺れるときの影。 水の世界が持つ純度と危うさ。
それらすべてが、 あなたの臨床の核を形づくっている。
水際に立つあなたへ。 触れればかえり、 かえれば揺れ、 揺れれば魂は影となる。
その影こそが、 深層の臨床の入口である。