PTSDサバイバー記憶に意味づけし証を求めるのが宗教哲学の始まり

綾戸智恵さんは
阪神淡路大震災の
前日
神戸港で
ディナークルーズの
お仕事をされています。
夜は
長田区に泊まる予定でしたが
なんと息子さんが
「ぺっちゃんこになっちゃう!」
「帰る!」と
言い張るので
三宮の自宅マンションに
帰ったそうです。
DVのため
母子でアメリカから
逃げてきてますから
危険を察知する
動物的カンが
 
 ―なまず的?
働くのでしょうか。
大きな災害で
生き残ると
生かされたと感じ
その意味を
考えるようになるのではと
おっしゃいます。
真人間は
宗教的哲学的なものです。
否定する人は
やはりおかしいと思います。
宗教は
信じるものだとか
弱い人が洗脳されるものだとか
言ってるしね。
聖書や仏典は
象徴的に読むものだとも
知らずに
ありえないとかね。
多分PTSD否認で
ひねくれてるから
気づかないのだと
思います。

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