プロテスタント系教会への消火器投げ入れ事件続発の【象徴的意味】

PTSD研究家翠雨の日記
消火器が投げ込まれ
割られた教会の窓ガラスです。
今日は神戸市と西宮市の4カ所発生しました。
プロテスタント系教会に
消火器が投げ込まれる事件は
兵庫、大阪などで続発
県警は昨年2月以降
この4件を含め
20件の被害を
確認しています。
牧師は「各地の教会で被害が続いたので
玄関にセンサーライトを取り付けたのだが…。
こんな行為は止めてほしい」と
嘆いておられます。
じっくり神と向き合う時間は
この時代こそ貴重です。
貴重な場を提供されている
教会の方々には
本当に申し訳なく思います。
ただ
私の妄想を一席…
(教会のあり方とは
全く関係のない話です)
不可解に見える事件にも
必ず無意識の意図がありますから
頻発する事件については
意味を考える必要があると思います。
西洋人と日本人では
窮地から這い上がるときの
リセットの法則に
大きな違いがあります。

ユング心理学は
PTSD克服者ユングが
命と格闘して獲得した
技法理論ですから
貴重です。
これなしには
PTSD治療は
過酷さを極め
多くの人々は
その過酷さに直面する勇気を失墜し
無意識的に
誤診を受け入れてしまうでしょう。
(その方が楽だからです)
しかし
日本でユング心理学を使うには
ユングの理論を日本流にアレンジしなおす
必要があります。
(河合隼雄氏の遺言でもあります)

ただ…
現状は心理療法家が
東洋思想を正しく理解できていないために
西洋理論であるユングを理解できず
(自らの存在根拠がつかめて初めて
他文化理解が可能なのです)
その生半可なユング理論を
日本人にそのままあてはめるから
誤診ばかり起こすのです。
心理学の学会や出版社の動向を
少し眺めても
学会を【発達障害】漬けにしているのが
わかります。
ユング派の重鎮すら
こころの分析を放棄し
PTSDを発達障害に貶めているのです。

あまりの理不尽さに
キレた【解離を起こした】集合的無意識が
【象徴】としての【教会】に
消えろ!と消火器を投げ込んでいるのでは?

と推測します。
重々言いますが
教会は全く悪くありません。
マリア信仰の歴史など考えれば
日本人は日本人なりに
キリスト教ともとから存在した思想を
習合しながら受け入れていることが
明らかだからです。

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