断たれし径 学の影ゆく WEターン @宗教哲学における複雑性PTSD現象学

本日は

エードゥアルト・シュプランガーが生まれた日です。

Eduard Spranger

1882‐1963

現在では

ユングのタイプ論などがよく知られていますが

最終貯蔵庫

シュプランガーも

6つの類型に分類していました。

人がどの領域に文化的価値をおいているかにより

  • 理論型 – 理論が通じることや真理に価値をおく。論理的に理解することで真理を追究する。
  • 経済型 – 金銭的・社会的地位に価値をおく。利己主義的で、経済的観点から物事を捉える。
  • 審美型 – 美的なもの、楽しいことに価値をおく。ものごとを感情を通して考える。
  • 宗教型 – 神を崇め、信仰に価値をおく。博愛的で、人生を見つめ、道徳的に生きようとする。
  • 権力型 – 他人を自分の意のまま従わせることに価値をおく。権力掌握に満足感を覚える。
  • 社会型 – 社会への奉仕活動や福祉にかかわることに価値をおき、人の役に立つ行動をとる。

 

シュプランガーの類型論だと私はなんだろう

— しぐれ🍀 (@CherishChieri) June 17, 2026

 

来日し

ヒットラーに批判的なので

頭を冷やさせるためだったとか

80近くの大学や研究所に足を運び

講義や講演を行ったとのことですから

日本人に与えた影響は大きそうです。

もしや…💡

 

田辺元が西田哲学との対決姿勢を打ち出したのも

「西田先生の教を仰ぐ」(1930)

この時代の話ですから

批判の核心も

6つの類型すべてを抱合するたった1つの場所という

複数で表現されることも多いけど

意識野は1つというのが今は普通の考え方

硬質な哲学にアレルギーを起こしたものかもしれません。

 

なにより

WEターンで

「哲学で世界は変えられるのか」をテーマにしているのも

歴史を振り返ってみると

良くも悪くも哲学は強く現実に影響を与えてきたのに

「抽象的な議論を展開しているだけにみえて嫌だった?

同根ではないかと思うのです。

トラウマがそのままになり

— 必ず思考が脱線する。

時空を超えて集合が

複雑性PTSD状態になっている🤔

20世紀ドイツを代表する教育学者ですが

学問もまだまだ未分化な時代で

臨床心理学などありませんが

— 宗教や哲学が担っていた。

必要とされていました。

哲学者で心理学者でもありました。

対象は同一

師のディルタイ

Wilhelm Christian Ludwig Dilthey

1833‐1911

ドイツの哲学者・心理学者・思想史家

牧師の家に生まれ

主に学んだのは神学で

主著『精神科学序説』第1巻を刊行

退官まで

精力的な教授活動を行い

自然科学隆盛の時代に

基礎づけを試みたのは

精神科学」で

この問題領域の学的方法論への寄与を目した

数多くの論文を発表しています。

田辺元も

日本で最初に

“宗教的実存の変容”を哲学の中心に据えた人物とされる。

— 歴史のなかで個人が生死を超え成長する臨床心理学モデル

どちらかといえば

精神史家としての名声を得ており

シュライアーマッハーの生涯』

『ヘーゲルの青年時代』

— 人物の分析

『体験と創作』

『ドイツの偉大な創作と音楽』

— 「体験」の語は当時の流行語に

—— 西田哲学でなじみのある概念の萌芽

——— ギリシアから雑食性ですが

心理学においても

記述的・分析的心理学を標榜し

その流れは了解心理学として心理学のひとつの流れをつくり

精神病理学カール・ヤスパースに続く。

その哲学的な解釈

哲学的解釈学としても知られています。

これを方法論として

当時流行の現象学に接木したものが

マルティン・ハイデッガーの『存在と時間

フッサール『厳密な学としての現象学』他にて行なった

ディルタイ批判が

その後の哲学の文脈におけるディルタイ評価を決定したという事実や

学問の世界あるある

フロイトとユングみたいな

時代背景などもあり

特に戦争への関与はどの哲学者も問われている。

田辺元は

種の論理を踏まえて

— 種より類

京大の学生の戦意を高揚させる演説をしてしまったが

— その実、自らこそが頭で考えた哲学だったことがわかっている…

生死の哲学の過程に起きたことで

— 未だ完成形にない難問

フロイトの理論を不徹底とするようなもの

— フロイトも友人を死なせた…

再検討が必要であるとされていることが

要するに大昔からの重要な命題が

— 哲学を臨床心理学に超越させる。

— 臨床心理学を哲学に超越させる。

解かれないままになっている

WEターン問題として

再燃しているように見えてしかたないのです。

解決策は…

PTSD予防学を基礎づけること

断たれし径 学の影ゆく WEターン @宗教哲学における複雑性PTSD現象学」への4件のフィードバック

  1. ドラゴン

    よくわかってないけど、WEターンというタームは今時の現象を捉えているのですね。主体の欠如も個人から集合体に移行しつつあるという事なのかしら?トラウマからの回復も少し集合的主体を強調していかなきゃいけないのかもしれない….
    「なんでもアリ」というこの時代の考え方を受け入れて、自分は活かされているという認識を持っていないと人と関わる事が出来なくなりますね。時差ボケからの回復❤️‍🩹も、そこがキーポイントかも….今朝起きたら9:30でした。🙄 週末だから問題ないけど….

    余計な事ですが、ドラえもんの「どこでもドア」は、ヒトの本質的価値は維持されるけど、時間的価値はかなり蔑ろにする道具だという事に気がつきました。変な事書いてすみません。一旦、5時に目が覚めて、また眠りに落ちた間にみた夢が「どこでもドア」だったのです。

    返信
    1. 翠雨 投稿作成者

      図星でございます❣
      まさにどこでもドア概念φ(`д´)メモメモ…

      そんな場に、野良患者や愚かな心理学者・哲学者の今があぶりだされた現象学ではないかと🤔

      時空を超えた円了先生の霊力は臨床心理学的シャーマニズム?

      返信
  2. ドラゴン

    WEターン解釈が間違ってはいなくてヨカッタ🙂
    今、言葉に出来ない/象徴化出来ない現実について考えています。
    長いこと患者をやって来て、何故、そこに気が付かなかったのかと、自分の愚かさを振り返っています。翠雨先生からは、それを教えて頂いていましたが、実際に自分の体感として経験がイマイチ乏しい状態だったのです。
    しかし、S教祖の無意識理論のみの心理療法の限界を知る事で、複雑性PTSD当事者としてあらゆる気づきをいただきました。S教祖の心理療法に何が欠如していたのか?を考える事で、漸く、それがわかった⭕️/言語化出来る状態にあるのだと思います。

    今朝のコーヒーはフレンチロースト。
    これから、息子たちが日本からのお土産を取りに来ます。ランチは、カツカレーのリクエスト。このクソ暑い中、揚げ物と煮物の要求とは….思いやりのない息子たち…

    返信
    1. 翠雨 投稿作成者

      体感としてやってゆくしかないのですよね。
      兎🐰さんはぴょんぴょんと早すぎるのでお昼寝してもらうとちょうどいいです。
      結局、亀🐢の時間で重要なことは動くようにできているのでしょう。

      幸せは不幸の顔してやってくる~って、神(セルフ)の采配だったのでしょうか。
      Sとの遭遇の意味が今、解明されているような🤔
      無意識は深いですよね。S教のような浅瀬(しかも接着剤で防波堤コーティング)から恫喝したって微動だにしないのです。

      「単に自分が良いというためだけではなく、自分が属している我々のためになにが最善かという観点でそれを選ぶべきだという考えです」
      精神医学でもこんな視座で薬漬け地獄が生まれたのですよね(>_<) この判断する自分をなんとかしないと、害悪にしかならない提唱だと私は思うのです。

      返信

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