髪抜く抜毛症(PTSD)にもトラウマ不問の認知行動療法

博多の女性(41)は

 

高校2年のとき

自らの髪を抜いてしまうようになり

後頭部の髪がなくなり

大学入学後は

寮に引きこもった末に

入退院を繰り返し

22歳で大学を中退

 

仕事は

薬の副作用でぼーっとして

長続きせず

薬をやめても

疲れやすく

20年間

精神的に不安定な状態は続いたそうです。

 

 

薬でなんとかしようと思うと
遠回りになります。
 

働き方を工夫することで

「人と接する中で

自己肯定感が低く

他人を否定的に捉えがちな癖に気付き

直せた」というのは

認知行動療法的な考え方です。

 

つまり根本問題(内的適応)はそのままに

外的適応のために

表面的な心理を調整します。

 

PTSDならば

原因があるわけですが

そこを不問にするかどうかで

2種の解決法があるということですね。

 

「夢見るこころ母...」の画像検索結果

 

かつらやさんや心療内科が潤い

経済は活性化されるかもしれませんが

それでよいのでしょうか。

 

髪抜く抜毛症(PTSD)にもトラウマ不問の認知行動療法」への4件のフィードバック

  1. あ*=franoma

    「根本問題(内的適応)はそのままに
     外的適応のために
     表面的な心理を調整」しようとするのは、
    「成り上がろう」(=外的適応を第一にしよう)とする「気持ち」ですから、
    道教ベースでは受け入れられないでしょう。そして、
    「成り上がろう」(=外的適応を第一にしよう)とする「気持ち」に振り回されないならば、平穏死が追求できます。

    これに関連して、先ほど
    http://kunota506.com/2017/10/28/post-17549/#comment-1055
    コメントを投稿できました。
    franoma=あ* より:
    2017年10月28日 11:52 AM
    「今回、平均寿命や医療環境だけではなく、
    儒教的思想背景や倫理観も近い韓国で尊厳死が合法化されたことは、
    日本での法整備に影響を与えるかもしれません」か?

    日本には、
    道教が根ざしているので、そもそも
    (1)ある種の「延命治療」の強要を受容させる「セルフネグレクト強要の受容」も、
    (2)ある種の「延命治療」の強要を拒否することを「尊厳死」ということにする「なんちゃって哲学」
    いずれも受け入れられない可能性が高いと思いました。

    どうでしょうね?
    ===コメント内容おわり===

    もう一つ、補足を書いて投稿したら承認待ちコメントになりました。承認されるかどうかは不明です。
    http://kunota506.com/2017/10/28/post-17549/#comment-1056
    道教に関連して補足です。

    半島の人は、どんな汚い手を使っても
    成り上がろうとする人が(性別によらず)極めて多い点で
    日本人と全然、違います。

    https://twitter.com/franoma/status/924108150545858560
    『人生、浮き沈みが激しくありませんか?』
    「成り上りもせず、
    成り下がりもせず…
    というのが道教の極意」と、かつて(←2017年10月21日 12:01:35)
    https://ameblo.jp/tao-4zen239/entry-12321280898.html
    にコメントできました。#アメブロ さん、ありがとうございます。via @ameba_official
    11:58 AM – 28 Oct 2017
    ===承認待ちコメント内容おわり===

    返信
    1. wpmaster 投稿作成者

      フロイトは、内的適応と外的適応、両方があるのが、「健康」だと言いました。
      心療内科は、病と共存なんて言いますが、共存を強いられているだけで、みな苦しいと言っています。
      「牧畜システム」の中での適応にすぎないわけですね。

      尊厳死などという言葉こそ、親切ごかしで、ひとの人生も、そのなかに閉じ込めた話になるのでしょう。
      (駅弁祭りさんが、苦しいと言っているのも、そういうことではないかと私は思います)
      「患者の意思によって」というのが、なかなか難しそうです。
      正気を失って、医療を選択してしまったあとは、麻薬中毒になれば、麻薬を欲しがるようになりますし、自殺した人も本当は生きたかったのだと思います。
      キューブラー・ロスも、時には思わず本音を言ってしまったような傾聴の場が最低限必要でしょう。

      本棚の『バッタを倒しにアフリカへ』は強烈ですね。
      宇宙的視点が欠けているんですよ。

      返信
  2. あ*=franoma

    『バッタを倒しにアフリカへ』ですよね、
    我が家のDVオヤジも、日本の我が家でキョンシーになりまして、
    「寝ている」(=PTSDの「麻痺」状態=ぶらぶら病)と思えば、
    突然、動き出して息子や私の首を絞めたり、
    「南アフリカに行く」
    と言い出したりして、当時、小学生だった息子と私は、あれはまるで
    『キョンシーアフリカに行く』( http://bit.ly/2ySjAoQ )状態だ…などと話し合いました。

    『バッタを倒しにアフリカへ』というのは、
    現地の人々がどうしたいのか?…合意形成ができるのを待たずに
    「国境なき医師団」
    を結成して、西洋白人さんんたちのアプローチを「先進的」と決めて押し付けるのと同じで、
    我が家のDVオヤジも同じ感覚で
    「南アフリカに行く」
    と言ったのです。それで、息子は、え〜何で、そんな恨みを買っているところにワザワザ行かなきゃいけないの?何それ〜?っていう感じでした。DVオヤジの実母も、ハンガリーの土地家屋の管理を年寄り夫婦に押し付けて酷いではないか…という意見だったようです。ところが、DVオヤジは、家庭内で合意形成をしようという気がないからDVオヤジなのであり、私にカネを出させることによって、オヤジ実母を黙らせようというストラテジーを取り、そういうふうだから実母から “kindisch”( https://ja.glosbe.com/de/ja/kindisch )と言われるのだと教えてあげたら激怒してしまい、以来、私に話をしなくなりました。未治療PTSDだから「我意を通させてくれない」=「人の気持ちが判らない」というふうに決め付けてしまったのでしょう。

    「我意を通させてくれない」=「人の気持ちが判らない」と決めつけるところが
    idthatidさまと、そっくりですね。
    「我意を通させてくれない」=「人の気持ちが判らない」と決めつける状態でも、
    映画監督は務まりますが、スクールカウンセラーや心理職は務まりませんよ。
    困りますね。

    返信
    1. wpmaster 投稿作成者

      あの十字軍みたいな「国境なき医師団」ですね。
      スクールカウンセラーもそういうのにかぶれて国内で馬鹿やってます。

      そういう人たちなので、駅弁祭りさんを「かっぱの剥製」にするidthatid(我意の権化)みたいな、奇想天外な人も出てきますね。

      返信

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