流注の臨床
第6章 夢の流注
私たちは夢を見る。
そして目覚めると、
夢の意味を考える。
何の象徴なのか。
何を表しているのか。
しかし流注の視点から見ると、
夢は意味以前に、
流れそのもの
である。
夢は魂が流れている姿であり、
意識が通過していく風景なのである。
◆1|夢は止まった象徴ではない
夢分析というと、
しばしば象徴辞典のような理解が行われる。
海は無意識。
水は感情。
子どもは未来。
そのような理解にも意味はある。
しかし夢そのものは、
もっと動いている。
夢は静止画ではない。
映画である。
しかも、
人が編集した映画ではなく、
魂が流れている映画である。
重要なのは、
何が現れたかだけではない。
何が現れ、
どこへ向かい、
何が消えていったかである。
◆2|映画館の夢
映画館の夢は象徴的だった。
最前列中央。
いつも選ぶ席。
しかしスクリーンは半分しか見えない。
そこで席を探し直す。
この夢を象徴の辞書で読むなら、
視点の転換ということになるだろう。
しかし流注として読むと違う。
重要なのは席ではない。
移動である。
魂が留まらず動いている。
今までの場所から離れようとしている。
夢は、
「新しい席がどこにあるか」
を教えたのではない。
「探し始めた」
ことを示していたのである。
◆3|スイトピーの夢
スイトピーの夢も同じである。
子どもたちが現れる。
花が現れる。
水挿しが現れる。
そこで重要なのは、
花そのものではない。
子どもとの関係性が生まれ、
花が守られ、
水によって支えられていること。
夢は、
象徴を並べているのではない。
流れを描いている。
だからスイトピーは、
固定された意味ではなく、
未来へ向かう関係性の流れの中で現れている。
◆4|夢は通奏低音を映し出す
夢の面白さは、
普段は見えない通奏低音が見えることにある。
昼の意識では、
私たちは理由を考える。
説明を考える。
理屈を考える。
しかし夢では、
もっと深いところが動いている。
背景音がそのまま風景になる。
通奏低音は夢の中で、
海になり、
雨になり、
地下水になり、
風になる。
夢は、
魂の背景音を映す鏡なのである。
◆5|夢は未来からやって来る
夢は過去だけを扱わない。
むしろ重要なのは未来である。
百尺竿頭進一歩。
まだ見ぬ場所。
まだ座っていない席。
まだ出会っていない関係性。
夢は、
未来の事実が現在へ流れ込む場所である。
その意味で夢は、
未来の記憶とも言える。
◆6|夢は歴史的世界ともつながっている
夢は個人の所有物ではない。
華厳。
観無量寿経。
ウンディーネ。
ポニョ。
陰陽五行。
私たちが夢で出会うものは、
しばしば個人を超えている。
そのため夢は、
個人の流れであると同時に、
歴史的世界の流れでもある。
夢の中では、
個人史と歴史が交差する。
だから夢は深い。
◆7|夢は魂の水路である
流注という視点から見ると、
夢とは魂の水路である。
注意が流れる。
感情が流れる。
記憶が流れる。
未来が流れる。
そして象徴が流れる。
夢の中で、
魂は昼間より自由になる。
だから流れが見える。
夢とは、
魂が自らの流れを見せている時間なのである。
◆まとめ
夢は象徴の倉庫ではない。
夢は魂の流れである。
そして流注の臨床とは、
夢を解釈することよりも、
夢の中で何が流れ、
どこへ向かおうとしているのかを見る営みである。
夢は未来へ流れる。
だから夢は、
魂の水路なのである。




