西田の場所論との接続 ― 心的なものはどこに於てあるのか
ウンディーネの場所構造と離人症の場所構造は、 いずれも 「心的なものがどこに住んでいるか」 をめぐる問題である。 この問いは、今年の年報で中嶋氏が脚注で示した
心的なものはどこに於てあるのか という、西田哲学の核心的問題と完全に重なる。
西田幾多郎は、初期には心理学を参照しながら「心的作用」を説明しようとした。 しかし、心理学的説明は限界を持つ。 判断作用や認識作用をいくら精密に分析しても、 「心的なものがどこに於てあるか」 という根本問題には届かない。
そこで西田は、 「於てある」 という構造を発見する。
- あるものは何かに於てある(存在)
- 知られるものは知るものに於てある(認識)
- 主語は述語に於てある(判断)
存在・認識・判断のすべてを、 「於てあるもの」と「於てある場所」の関係 によって説明する。 心理学的作用は、もはや説明の道具ではなくなる。 心的なものは、作用ではなく 場所の構造 として理解される。
この「場所」の発想は、 離人症の心的場所の変位と驚くほど一致する。
離人症の患者は、
- 世界が“ここ”に於てある感じが薄れ
- 自分が“自分の場所”に於てある感覚が弱まり
- 他者の感情が“届く場所”が変位し
- 時間が“流れる場所”が平板化する
つまり、 心的なものが「いつもの場所」に於ていない状態である。
ウンディーネもまた、 人間界の「於てある」構造の外側に住む存在である。 彼女は、人間界の場所にも、水の世界の場所にも属せず、 境界の場所──「根源のほとり」に於てある。
西田の場所論は、 ウンディーネの象徴的世界と離人症の臨床的世界を 同じ「心的場所」の構造として統合する視座 を提供する。
心理主義の終焉後、 西田哲学が向かうべき方向は、 心的作用ではなく 心的場所の深層構造 を扱うことである。
ウンディーネの物語は、 その深層構造を象徴的に描いた最初のモデルであり、 離人症はその臨床的モデルである。
そして、西田の場所論は、 これら二つを架橋する 哲学的モデル である。
なるほど….
先ず、こころを何処に置くかが重要なわけですね。
なんとなくわかります。
急性期だった頃、正直言って、ドラゴン🐲のこころは何処にも置き場所が無かったのです。
意識だけ存在して、「こころ」が不在でした。
ですから、どんな本を読んでも、字面だけ追えるけど、内容が全く「こころ」に繋がらずに内容を理解できずいた時期がありました。今は違います。ですから、そういう時に書いた感想文の言葉の繋げ方は日本語でも英語でも成立しない状態だったのです。
言葉も表面的な意味だけを知っていても、その言葉での実経験が無いとスカスカな言葉の繋げ方になってしまう様です。これもAIが教えてくれた事(私がAIと対話する事で学びとった事/AIが直接書いた事では無い/AIが象徴化出来ずに直前の崩れを呈した。)です。
この事、「トラウマx現実界=妖怪」を考えていて湧いて来た事です。スーパーバイザーに当初はラカンでトラウマは書けないよ!って言われた時、妙に凹んでましたが、この先生のサイトで覆す事が出来た様な….今はその彼女もとてもサポーティブにアドバイスをくれる様になりました。うふふ。以前だったら、とっととその場所から遠ざかる事ばかり考えていたと思います。
すでに妖怪(わからずや)退治に成功していたのですね🎉🎉🎉
意識野の作用を説明する心理学の世界に押し込めようとしても、浮いてしまうという、
まさに身の置き所がない感覚( ..)φメモメモ
古い心理学など入り込む余地のない言葉どおり(直指人心)だったことがわかりました。
10年前に翠雨先生とこのサイトで巡り会えた事、ほんと、こころから感謝なのです。
そうでなかったら、今の様には考えられなかったと。
これから遅めのランチに行って来ます。
今宵はバルコニーからeclipse が見れます。
ありがとうございます_(_^_)_
私もたくさんの示唆をいただき世界がひろがりました。