流注の臨床
第2章 コンプレックスとは流れの結節点である
川が流れているとき、
流れは常にまっすぐではない。
岩にぶつかる。
岸に当たる。
流木に触れる。
すると渦ができる。
水は流れている。
しかし、同じ場所を何度も巡る。
流れながら留まっている。
コンプレックスとは、このような現象ではないだろうか。
◆1|コンプレックスは固まりではなく渦である
私たちはしばしば、
コンプレックスを心の中の固まりとして考える。
トラウマの塊。
感情の塊。
無意識の塊。
しかし古沢平作のアジャセ・コンプレックスを読んでいると、
別のものが見えてくる。
アジャセ王の心は固定されていない。
父へ向かう。
母へ向かう。
怒りへ向かう。
後悔へ向かう。
救済へ向かう。
絶えず動いている。
動いているにもかかわらず、
同じ苦しみへ戻ってくる。
これは固まりではない。
渦である。
◆2|ユングのコンプレックスもまた生きている
ユングにおいてコンプレックスは、
単なる病理ではなかった。
人格の一部であり、
独自の生命をもつ存在として語られる。
私には、この考え方は渦のイメージに近く思える。
渦は水ではない。
しかし水なしには存在しない。
コンプレックスも同じである。
流れがあるから現れる。
そして流れの方向を変える。
◆3|流注とは渦を生みながら流れること
ここで観無量寿経の「流注」が興味深い。
流注は単なる流れではない。
流れが様々な場所に触れ、
絡まり、
再び流れ出す過程である。
父への恨み。
母への執着。
罪悪感。
不安。
希望。
これらは別々の感情ではなく、
一つの流れが作り出した結節点と考えることができる。
◆4|PTSDと渦
PTSDをこの視点から見ると、
症状は固定された傷ではなくなる。
注意は危険へ向かう。
身体は警戒へ向かう。
夢は過去へ向かう。
そして再び危険へ戻る。
流れている。
しかし同じ場所を巡る。
ここにも渦がある。
症状とは、
流れが見える形になったものとも言える。
◆5|CPTSDと通奏低音
CPTSDでは、
渦はさらに深くなる。
本人にも見えなくなる。
しかし身体は知っている。
通奏低音のように、
常に背景で鳴っている。
だから人は、
突然怒るのではない。
突然不安になるのでもない。
長いあいだ流れ続けていたものが、
ある場所で表面化するのである。
◆6|夢は渦を可視化する
夢が重要なのは、
渦が見えるからである。
映画館の席の夢。
スイトピーの夢。
子どもたちの夢。
そこには流れがある。
そして流れがぶつかり、
新しい方向を探している。
夢は渦を物語として示してくれる。
だから私たちは、
夢の意味を解釈するだけではなく、
どの流れがどこへ向かおうとしているのかを見る必要がある。
◆7|魂は渦を通して深まる
ジェイムズの「意識の流れ」は、
流れている意識を発見した。
フロイトは、
流れの中にコンプレックスを見出した。
古沢平作は、
アジャセ王を通して、
コンプレックスそのものが流れていることを見た。
すると魂は、
静止した実体ではなくなる。
魂とは、
流れの中に生じる渦であり、
その渦を通して深まり続ける運動になる。
◆まとめ
コンプレックスとは、
心の中にある固まりではない。
流れの結節点である。
流れが出会い、
ぶつかり、
巻き込み、
再び流れ出す場所である。
流注の臨床が扱うのは、
渦を消すことではない。
その渦がどのような流れの中で生まれ、
どこへ向かおうとしているのかを見つめることである。
そして魂は、
その流れの中で少しずつ未来へ向かってゆく。