症状は 流れの言葉 風の声 Symptoms are the language of a current, the voice carried by the wind.

 

流注の臨床

第4章 症状は流れの言葉である

私たちは症状を見つける。

不安。

抑うつ。

強迫。

恐怖。

離人感。

身体症状。

皮膚症状。

しかし臨床の場で長く人間を見ていると、

症状は原因ではないことに気づく。

症状は、

何かを語ろうとしている。

つまり症状は、

流れの言葉

なのである。


◆1|症状は止まったものではない

診断は症状を固定する。

それには重要な意味がある。

しかし症状そのものは固定されていない。

不安は揺れる。

怒りは移る。

悲しみは姿を変える。

身体症状もまた変化する。

つまり症状とは、

静止した対象ではなく、

流れの途中に現れた形なのである。


◆2|流れは身体を使って語る

観無量寿経の流注を考えるとき、

まず動くのは理性ではない。

身体である。

古沢平作が注目したアジャセ王もそうだった。

葛藤は観念として存在したのではない。

身体を巻き込みながら流れていた。

その意味で、

皮膚症状は非常に興味深い。

皮膚は境界だからである。

内でもない。

外でもない。

症状はしばしば、

流れが境界に触れたときに現れる。


◆3|離人症は何を語っているのか

離人症を考えると、

症状そのものよりも、

注意の流れの変化が見えてくる。

世界に向かっていた流れが、

突然引いてしまう。

身体へ向かっていた流れも細くなる。

すると世界は遠ざかる。

自分も遠ざかる。

離人症とは、

世界が消える病ではなく、

流れが細くなる現象とも考えられる。


◆4|PTSDは流れが同じ場所へ戻る言葉である

PTSDの苦しみを見ていると、

症状は記憶の再生ではない。

むしろ、

流れが何度も同じ場所へ戻る現象である。

注意は危険へ戻る。

身体は警戒へ戻る。

夢は過去へ戻る。

まるで川が同じ場所で渦巻いているようである。

症状は、

その渦が可視化された姿である。


◆5|症状は未来の欠如ではなく未来への試みである

普通は、

症状は失敗として理解される。

しかし象徴技法や流注の視点から見れば、

症状は失敗ではない。

流れは止まりたくない。

魂は動こうとしている。

けれど十分に動けない。

そこで症状という形で現れる。

つまり症状は、

未来を失った結果ではなく、

未来へ向かおうとする努力の痕跡でもある。


◆6|症状は語りより先に存在する

心理療法をしていると、

人は症状の意味を知りたがる。

なぜこうなるのか。

何が原因なのか。

しかし症状は、

意味を説明する前から存在している。

語りよりも先に、

身体は何かを知っている。

華厳経が

わからなくても読むこと

身体で読むこと

と言うとき、

そこには同じ知恵がある。

身体は先に知る。

理解はあとから追いつく。

症状も同じである。


◆7|症状を読むとは流れを読むことである

症状を消そうとすると、

症状しか見えなくなる。

しかし症状を読むとは、

その背後の流れを読むことになる。

この流れは、

父へ向かうかもしれない。

母へ向かうかもしれない。

未来へ向かうかもしれない。

夢へ向かうかもしれない。

歴史的世界へ向かうかもしれない。

症状とは、

その流れが立ち上げた一つの言葉なのである。


◆まとめ

症状は異常ではない。

症状は流れの言葉である。

注意の流れ。

感情の流れ。

身体の流れ。

歴史の流れ。

魂の流れ。

それらが交わるとき、

症状は姿を現す。

だから流注の臨床が聴こうとするのは、

症状そのものではなく、

その言葉を語っている流れなのである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です