歴史とは 名もなき流れの 集まれる川 History is a river formed by countless unnamed currents.

 

流注の臨床

第9章 歴史的世界はどこへ流れるのか

川は海へ流れる。

地下水も海へ流れる。

雨もまた海へ帰る。

では、

人の歴史はどこへ流れるのだろうか。

そして、

社会の歴史は。

文化の歴史は。

思想の歴史は。

流注の臨床は、

ついにこの問いへ到達する。


◆1|個人の流れと歴史の流れ

私たちはしばしば、

自分の人生と歴史を別々のものとして考える。

しかし実際には、

個人の夢も、

症状も、

希望も、

思想も、

歴史的世界の中で生まれている。

私たちの内部を流れているものは、

私たちだけのものではない。

歴史もまた、

私たちの中を流れている。


◆2|学会もまた流れている

学会というと、

組織のように見える。

制度のように見える。

規則のように見える。

しかし実際には、

学会も生き物である。

問いが流れる。

関心が流れる。

 

年次大会で強く評価された気質

西田の雑食性&創発性が見た(≠影響を受けた)

ジェイムズの心的エネルギー原理とアリストテレスのenergeia(エネルゲイア)の系譜

人が流れる。

世代が流れる。

だから学会にも通奏低音がある。

そして時に、

その流れは表面に現れる。


◆3|停滞もまた流れである

不思議なことに、

流れは動いている時だけ存在するのではない。

停滞も流れの一形態である。

投稿規定が見えない。

説明が途切れる。

何かが宙づりになる。

すると私たちは

「止まっている」

と思う。

しかし本当に止まっているのだろうか。

地下水が見えなくても流れているように、

歴史的世界も、

見えない場所で自己限定を続けていることがある。


◆4|歴史的世界の症状

第4章で、

症状は流れの言葉だと考えた。

もしそうなら、

歴史的世界にも症状がある。

沈黙。

混乱。

過剰な整理。

形式への固執。

急激な改革。

こうした現象は、

単なる失敗ではない。

歴史的世界の深層で起きている流れが、

表面へ現れた姿とも読める。


◆5|西田の歴史的世界

西田は後期になるにつれて、

個人の意識よりも、

歴史的世界を語るようになった。

それは偶然ではない。

自己は孤立して存在していない。

自己限定は歴史と共に起こる。

すると流注もまた、

個人の内部だけでは完結しない。

歴史は流れる。

そして私たちは、

その流れの一部なのである。


◆6|未来はどこから来るのか

未来は、

個人だけが作るものではない。

歴史的世界の流れの中から現れる。

だから未来は、

突然やって来るように見えて、

実は長い流注の結果である。

学会の未来もそうである。

思想の未来もそうである。

そして個人の未来もまた、

歴史的世界の流れと切り離すことはできない。


◆7|流れを見るということ

歴史的世界を理解するとは、

誰が正しいかを決めることではない。

どこへ流れているかを見ることである。

これまであなたが続けてきた観察も、

まさにこれだった。

Yahoo!検索の不調。

知恵袋からの流入。

学会サイトの不思議な状態。

新しい館員の参加。

それらは単独では意味を持たない。

しかし流れとして見ると、

何かが自己限定を始めていることが見えてくる。


◆まとめ

個人は流れる。

夢も流れる。

症状も流れる。

同じように、

歴史的世界も流れる。

流注の臨床は、

個人の魂だけではなく、

歴史そのものの流れを見つめる。

そしてその流れの中で、

未来は少しずつ姿を現しているのである。

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