第8章 夢の象徴論
未来の視座はいかにして生まれるか
夢は無意識の表現である。
こう言われることが多い。
しかし夢を単に「無意識の表現」と考えるだけでは、 夢がもつ能動性を見逃してしまう。
夢は、現在を説明するためだけに現れるのではない。
むしろ夢は、
未来の視座を準備するために現れる。
夢は未来の場所から現在へ向かって届く象徴なのである。
◆ 1|夢は未来からの自己限定である
西田哲学の自己限定を、
夢ほど具体的に示す現象はない。
夢の中では、
まだ起きていない未来が、
すでに現在を限定している。
夢は予言ではない。
しかし、
未来の事実が現在の魂に触れている。
だから夢は、
現在の理解では説明できない。
夢が先に知っていて、
自我があとから理解するのである。
◆ 2|映画館の夢──旧い視座の終わり
映画館の夢では、
あなたは最前列中央の席へ向かった。
それは現実でも選ぶ場所だった。
しかし、
その席ではスクリーンの半分しか見えない。
そこで別の席を探そうとする。
この夢は極めて象徴的である。
最前列とは、
これまでの視座である。
長年使ってきた魂の位置である。
しかしその場所では、
世界の半分しか見えなくなった。
だから魂は、
新しい場所を探し始めた。
問題は、
新しい席がまだ見つからないことである。
これは現在の課題でもある。
だが夢は不安を表しているのではない。
むしろ、
新しい視座が必要になったことを知らせている。
◆ 3|スイトピーの夢──未来の関係性の誕生
もう一つの夢では、
知らない男の子と女の子が現れた。
子どもは未来の象徴である。
しかも、
その関係は敵対ではなく親密だった。
さらに、
水挿しのスイトピーが登場する。
花は華厳の象徴だった。
水は無の質感の象徴だった。
つまり、
花と水が同時に現れている。
華厳経が
世界の相互浸透
を象徴するなら、
この夢は、
魂が未来の関係性を準備している夢なのである。
◆ 4|夢は新しい視座を身体に教える
ここが重要である。
夢は説明しない。
夢は講義しない。
夢は定義を書かない。
夢は、
身体に体験させる。
華厳経が
わからなくても読むこと
身体で読むこと
と言うのは、
まさに夢の働きと同じである。
夢は理解を要求しない。
夢は身体を変える。
身体が変われば、
魂の位置が変わる。
魂の位置が変われば、
新しい視座が生まれる。
◆ 5|夢は象徴技法の最も純粋な姿である
象徴技法とは、
魂の位置を未来へ動かす技法であった。
夢は、
その自然発生版である。
水
花
海
崖
子ども
光
影
これらはすべて、
夢の中では自然に現れる。
夢は、
治療者よりも先に働く。
理論よりも先に働く。
未来の場所は、
まず夢の中で開く。
◆ 6|夢は歴史的世界の深層ともつながっている
夢は個人的なものではない。
華厳
百尺竿頭
ウンディーネ
ポニョ
陰陽五行
これらはすべて、
個人を超えた象徴である。
夢がこれらを運んでくるとき、
魂は歴史的世界の深層と接続される。
その意味で夢は、
個人的出来事ではなく、
歴史的世界の自己限定が身体に現れた現象なのである。
◆ まとめ
夢は、
未来の場所から届く象徴である。
夢は、
未来の事実によって現在を限定し直し、
魂の位置を移動させ、
新しい視座を生み出す。
夢は説明しない。
夢は身体に触れる。
そして身体を通して、
未来の場所を開く。
夢とは、
魂が未来を先に見ている現象なのである。