第3章 象徴の運動論──未来の事実が現在を限定する
象徴は、 「過去の記憶」でも 「現在の感情」でも 「単なるイメージ」でもない。
象徴は、 未来の事実が現在の事実を限定する運動そのもの である。
この運動は、説明や理解によって起こるのではなく、 象徴が身体に触れたときに起こる。
象徴は、
- 現在の事実
- 未来の事実
- そのあいだの橋 を同時に立ち上げる。
魂は象徴を通して、 未来の事実によって現在を限定し直す。
◆ 1|未来の事実は「まだ起きていないのに、すでに起きている」
ケ・セラ・セラは、 「なるようになる」という軽い言葉ではない。
この言葉は、 未来の事実が現在の事実を限定する構造 を象徴語として提示している。
未来の事実は、 まだ起きていないのに、 すでに現在の魂に触れている。
象徴は、この「未来の触れ」を身体に翻訳する。
◆ 2|象徴は「未来の事実」を身体に触れさせる
水、花、海、崖、子ども、夢── これらはすべて、 未来の事実を身体に触れさせる象徴である。
水は「未来の流れ」 花は「未来の生成」 海は「未来の深さ」 崖は「未来の境界」 子どもは「未来の可能性」 夢は「未来の視座」
象徴は、未来の事実を 身体に触れる形で翻訳する。
◆ 3|現在の事実は「未来の事実によって再編成される」
魂が未来の場所へ移動すると、 現在の事実は 未来の事実によって限定され直す。
これは、西田哲学の 「自己が自己を限定する」 という直観の実際である。
未来の事実が、 現在の事実を
- 再編成し
- 再解釈し
- 再限定する。
象徴は、この再限定を身体に触れる形で起こす。
◆ 4|象徴は「現在と未来のあいだに橋を架ける」

象徴は、 現在の事実と未来の事実を 一つの運動として結ぶ。
魂は象徴を通して、 現在の事実を未来へ向けて 自己限定し直す。
象徴は、 現在と未来のあいだに架かる 「生成の橋」である。
◆ 5|象徴は「歴史的世界の自己限定」を動かす
象徴の運動は、 個人の内面だけで起こるのではない。
象徴は、 歴史的世界の深層に触れ、 その世界の自己限定を動かす。
大橋良介が言った 「事実が事実を限定する」 という課題は、 象徴の運動として臨床の場で実際に起こっている。


象徴は、 歴史的世界の深層を未来へ向けて動かす 「生成の装置」である。
◆ 6|象徴は「未来の倫理」を立ち上げる
象徴が未来の事実を身体に触れさせると、 新しい倫理が生まれる。
これは、 「こうすべき」という規範ではなく、 魂が未来の事実によって自らを限定し直す生成の倫理 である。
ケ・セラ・セラは、 この生成の倫理を象徴語として提示している。
◆ まとめ
象徴は、 未来の事実が現在の事実を限定する運動そのもの。
象徴は、 未来の事実を身体に触れさせ、 現在の事実を再限定し、 魂の位置を未来へ向けて動かす。
象徴は、 現在と未来のあいだに架かる 「生成の橋」である。
「象徴は未来の事実を身体に触れると翻訳される。」
この部分、今年の夏、日本海側のど田舎の家で1人でひたすら考えていました。
その時に想起した私の過去の経験をここに書かせてください。
ドラゴン🐲がメラニー先生と共有した現場での一コマです。
メラニー先生「ドラゴン🐲さん、あなたは何語で考えているの?」
ドラゴン🐲「うーん、多分、何かを考える時に言葉は使っていないと思ってる。身体の中で考えてはいるけど、そのモヤモヤした何かが喉に辺りに接近して来た時に、漸く、言葉に変換される感じで、それと同時に英語にするか日本語にするかが決定されて口から言葉として発声する感じ。」
メラニー先生「……..」(頷くだけ)
もう10年前のワンシーンですが、何故か鮮明に記憶に残っているのです。
この頃から、きっと無意識的に象徴化願望が自分の中にあったのだと思うのです。散々、トラウマ引っ張りだし治療モデルにウンザリしていた時期だったので、メラニーの「何語で考えているの?」という質問は、思いっきり私をシフトさせる良いキッカケになっていたのだと思います。今思えばのお話ですけどね。
自然に翻訳されかかる場面をとらえられたということでしょうか。
何かと判断する前の(身体が深めようとしている自然な)ソレとウンザリ治療で引っ張り出されようとしているなにかは別物なのでしょうね。
貴重なお話をありがとうございます_(_^_)_
「自然に翻訳」は既に「言葉」が存在している状態です。そうでは無く、思考と身体の関係を示唆するシーンとしてご理解頂きたかったのです。
自分の内側にある事を言語化する際に邪魔になるものは「身体」であるという事を言いたかったのです。即ち、このサイト用語で言えば、象徴化を邪魔するものは身体であると…..伝わったかな….
わかりました!
身体の意味が別物です。
このサイトの身体はいわゆるからだではありません。
ユングでいう集合的無意識みたいなものです。
なので、そこを離れてはなにもおこらないのです。
むしろ身体のない心理学や哲学を否定する立場です。
ドラゴンさまもそこは同じだと思います。
象徴の話なので、翻訳といっても言葉の話ではないです。
ということで、書かれている内容は理解し、誤解を与える表現についても知ることができました。
ありがとうございます_(_^_)_
ドラゴン🐲が、イマイチキチンと先生の記事を読んでいなかったという事が暴露されました。
大変失礼たしました。
先生のは、「身体=歴史的身体」という事なのでしょうか?
ドラゴン🐲は、象徴化は、ラカンでしたら受動的な現象と捕らえ、ビオンでしたら能動的な現象だと感じています。でも、ユングを全く知らないドラゴン🐲の無頓着な発言をお詫びします。
はい。
そうです。
身体=歴史的身体=集合的無意識です。
もちろん、感官@ユングの集合的無意識 を通して個人のからだに直結しています。
しかし、通じているだけで、通常のからだは根源を意識できません。
この核心について説明できる機会を与えていただいたことに大感謝です🤩
いわゆる専門馬鹿への治療をなさったのです…
もう一つ。
メラニーとの治療は、英語で行われていました。
私の数少ない英語の語彙のみで行われていました。ですので、翻訳というプロセスは存在しなかったのです。
ドラゴン🐲の英語力自慢しているのでは無く、言語化/象徴化の縁でヒトの象徴界で何が生じているのかを伝える事が出来るかもしれない…と思い、このワンシーンを書かせていただきました。
ドラゴンの興味は、今はトラウマよりも象徴化です。初期ラカンサマサマかも….
翻訳も、関係なので、言葉を前提としていないのでした。
誤解を与える表現と気づきました。
ありがとうございます_(_^_)_
トラウマ引き出しより象徴化というのは同感です。
もう一個。すみません。何度も。
きっと、象徴化は、患者本人がするものであって、治療者に象徴化してもらうのは、患者を苦しめる事になります。
「あなたの中核トラウマは、コレです。」と治療者が言ってしまう事で、患者の象徴界に更なる支配が生じてしまう。そうなると、確実に複雑性PTSDは治りません。
象徴化はするものではなくされる、あるいは起こるものです。
患者が意図して動かせるものでもないです。
「あなたの中核トラウマは、コレです。」と治療者が言ってしまう事が問題であるのは同感です。
象徴化は減少の中で生じる事はわかります。しかし、本人がそれまで言いたかった事がずっとわからないままモヤモヤしている時に、何かのキッカケで言語化出来る時が出て来ます。その言語化は本人が能動的にやっている事では無いのですか?
言語化は象徴化とは別物なのでしょうか?
はい。完全に別物です。
おはようございます。
シツコク質問して申し訳ありません。
「虚無的シニフィアン」の概念を明確化するためにも、言語化は象徴とは別物であるという理由を教えて頂きたいのです。私はこれまで、「言語化のプロセス=象徴化のプロセス」として認識していました。患者としてこれを体験したと思い込んでいるだけかもしれませんが、これから虚無的シニフィアンを回復のプロセスの1つの概念として採用するのに意欲満々なドラゴンにとっては、とても重要な事だと感じております。
複雑性PTSD患者は、セラピー当初は自分の自己不全感覚を具体的に言葉で表現出来ない事が多々あります。表現するための語彙を持っていなかったり、場所に適応する事すら困難で言葉を使用して話そうとする衝動すら湧き出て来ない患者も多数いると感じています。そんな人たちが、回数を重ねる内に少しずつ過去に起きた出来事と今の自分の感情とを結びつけ、それを言葉で表現する事が出来る様になる……これは、クリニカルシーンでの回復の過程においての初めての「現実界での象徴化」なのだと思うのです。ですので、「言語化は象徴化に含まれている」と思い込んでいました。そして、その言語化出来ない理由を己の「虚無的シニフィアンの連鎖」という概念に結びつけたのです。
駄菓子菓子……
今書いていて、想起したメラニーとのセラピーシーンを思い出しました。忘れもしない。いつものセラピールームのヒーターが壊れていて、お向かいの別の部屋で一度だけセッションをした事がありました。その時に、私は無意識的にトラウマについて解説している人のお話をした途端に、メラニーの表情が変わり、「ドラゴン🐲さん、そこに気がついたらもう大丈夫よ。」と言って、その後は、メラニーはニコニコ顔でひたすら私の話を聴いてくれていたのです。ーーーここで何が起こったのか?を考えると、私の中での「何故治らないのか?」という長年に渡る漠然とした疑問に、初めての気づきを得られた感覚をメラニーは察知したのかもしれない。私にはその自覚が全く無かったけど、メラニーは私の言葉からそれを読み取った。その状況が翠雨先生のおっしゃる象徴化なのかもしれない….って…..つまり、私の中での言葉にできていないイメージをビデオというオブジェクトを界して表象化する事が出来た事。この状況が、翠雨先生のおっしゃる象徴化なのかもしれない…って思いました。
違うかなぁ…?
わかりやすい説明から始めます。
メラニー先生に察知された気づきは、思考のなかでの弁証法の一過程、あるいは、コンプレックス(😶🌫️もやもや)に対する謎解き(理解され名前がつけばもう怖くない)です。
私の心理療法は、トラウマも含む現実とは無関係の事実やそれに関する思考とは別の場所でうごくのです。
そんな話は敢てしないし、フロイトやハーマン以前の当事者にもできませんでしたが、治る人は治ったのです。
そして、その場所にあるのが、人間が自由自在に操るどころか、否応なく意識させられ動かされる象徴なのです。これこそが運命ではないかと私は思います。なにもあきらめなければならない不幸な運命ではなく、無駄な抵抗をなくして、トーマス先生のようにザブン教に入った途端、身体に触れて象徴が動き出すのです。救いはあっけないほど一瞬です。
坐禅をいくらしても鍼灸師になるほど東洋医学を学んでも、その哲学や医学には到達できないのです。
ましてや心理学など…
翠雨先生
先生のお考えの核心を、あらためて丁寧にまとめてくださりありがとうございます。
「象徴は人間が操るものではなく、否応なく人間を動かすもの」というお言葉に、強く惹かれました。同時に、私が少しだけ齧ったラカンの枠組みでは「象徴界」は言語の秩序を指し、言語の外にあるものは「現実界」と呼ばれます。先生のおっしゃる「象徴」は、むしろラカンが言葉にできないものとして扱った領域に近いのかもしれない、と感じています。
もしよろしければ、「身体に触れて象徴が動き出す」瞬間について、もう少し教えてくださいませんか? この違いと重なりを丁寧に辿ることが、私たちの妖怪学共同研究の出発点になるように思います。
はい。
いろんな次元で核となるポイントと理解しました。
なにより、このことを通して、私がラカンを鳥瞰的に把握できるチャンスです。
今、あらゆることでそれが起きていて、頭が運動会(例の鬼太郎の)です♪
①直近で共有したものだとトーマス先生
②史実に記載された霊的体験 ~ 特に、三大宗教の黎明期の新興宗教時代
③ユングだと『赤の書』等
…かなり飛んで…
④私の運動会 ~霊操とは程遠い💦
⑤その間に当事者に関する事例研究
時間をかけて、詳述したいと思います。
封印していたシャーマニックな話(深層の臨床そのもの)です。
妖怪学の共同研究の出発点にするには、もう少し説明が必要ですね(^_-)-☆
ありがとうございます。
こういうお返事を頂けるとは思っていなかったので、とても安堵しております。
引き続きよろしくおねがいします🙇♀️
昨日から今日にかけて、象徴化の解釈にズレがあった事にかなりショックを受けているドラゴン🐲です。
今回の「象徴」の解釈のギャップですが、ユングとラカンの間に存在していたギャップの様です。
そして、当初、ラカン理論家のSVに「PTSDのトラウマはラカンでは書けないよ!」って、無茶苦茶拒絶された事にも関係していると思っています。
何を言いたかったかというと、フロイトとラカンの間にはトラウマ概念の解釈にも大きな隔たりが存在しているのです。→これが、私のSVが言った「PTSDのトラウマは、ラカンでは書けないよ!」と言った理由なのだと先程わかりました。でも、私はどうにかして、ラカンの象徴化を使って複雑性PTSDの「語り得なさ」を表現する試みをしたかったのです。
ユングは勿論、フロイトの門下生ですから、フロイト的トラウマ解釈をしたに違いありません。更に、ユングの象徴は、それ自体が深い意味やエネルギーをたたえ、元型のように人を導くものであると解釈されています
ラカンは、無意識は言語構造の様なモノという表現をしている様に、ラカンの枠組みから見ると、ユングの「意味に満ちた象徴」や元型は、象徴界ではなく想像界(イメージの領域)に属するものに見えます。ラカンはそこに、無意識を神秘化し、意味の充実に回収してしまう危うさを感じていたのだと想像するのです。満期日の無いロールオーバーを永遠に繰り返すリスクを懸念する様に…..だから、ラカンは意図的にユングを切り捨てて言語化=象徴化としたのかもしれない…..と妄想していました。
引き続き、こちらで対話を継続して頂けるのであれば、ドラゴン🐲は、ラカンが切り捨てたユングの象徴化の解釈について考えさせていただきたいと思っています。
そういうことなのですね( ..)φメモメモ
またひとつ、ラカンのことを知ることができました。
最終貯蔵庫はユングなので、特に、象徴について考えるなら、ユングを対象とするのが合理的でしょう。
トラウマをめぐるユングとフロイトの比較を書いていただいたので、重要なことに気づくことができました。
フロイトの場合は、個人の問題です。
なので、わかりやすい(どこかの治療者が薬などつかって独断的に無理に引き出そうとする)考えられたトラウマになります。
ユングの場合は、集合的無意識(歴史的身体)ですから、言葉で考えているところとは違う場所が動きます。
ジブリの主人公が迷い込むのもそんな異界です。
要するに、そちらの構造の方が多いということです。
勿論、象徴化を軸にすれば、ユングの歴史的身体という主体が描ける領域は拡大されるはずです。
しかし、ドラゴンの歴史的身体は、何度も引越しをする事で色々な歪みを持っていると感じています。ですから自分のトラウマが何なのかが解明できずにいたのかもしれない….と思っています。ですから、ユングまで象徴化を拡大する前に、提出した作文は、初期ラカンの概念、現実界と象徴界の往復で自分の症状を捉えたという経緯かな….
何だか、また言ってる事がワケワカメ…..
歪み(人間の歴史として当然ある)も含んだ一切合切の記憶のアーカイブが歴史的身体であり、集合的無意識というものです。
歪み時代に限定して考えるならラカンもアリなのかもしれません。
始めからユングの視座でみると、どちらもわかります。
あとは好み(目的)の問題でしょう。
ありがとうございます。
時間軸を入れると、歴史的身体を描写する事が難しくなるという事ですね?
絶対無の場所には、時間も無いという事ですよね…
既にお気づきの実際にあたりましたね。
おかげさまで、私もこれが永遠の今の自己限定という話だと腑に落ちました<(_ _)>
「身体」の認識の歪みから、己の思考キャパの小ささに気がついた次第です。歴史的身体まで到達するプロセスを解明するには、もう少し初期ラカンに留まらせてください。時間的価値をお浚いしてみて身体(Physical body)を通した個人の本質的価値を描写してみます。それに飽きたら次のステップ歴史的身体の本質的価値の描写を学びに行く順番でも良いですか?
もちろんです(^_-)-☆
フロイトとユングの違い: フロイトがミクロ経済でユングがマクロ経済だと思って、これまでキャッシュフローならぬ、トラウマの動きを考えて来ました。笑笑
ユングとラカン: 全く異なる象徴化パターンである事が今回しっかりと理解出来ました。ドラゴン🐲はどちらが良い悪いと決定する前にその違いを時間軸でトラウマムーブメントを考えてみたいと思っています。そこから歴史的身体を主軸にした象徴化パターンに向かいます。翠雨先生の象徴化に必ず追いついてみせますので少しお待ちください。
私の経済理解もほんの少し進みました(笑)
ラカンが扱えない部分を切り捨てたというご想像ですが、ユングも、アフリカに行ったとき、そんなことをしました。
部族の踊り(表現)を止めさせたのです。
自然を征服するという考え方が歴史的身体にあるので、呑み込まれること(アニマ)を畏れる原始反応みたいなものがあるのかもしれません。
ユングもアフリカで同じことをしていた、というお話、まさに私の対比の前提を崩された感があります。優劣の話ではなく、両方とも歴史的身体を通して象徴化しているわけですね。
『呑み込まれることへの恐怖(アニマ)』というお話、複雑性PTSD当事者の私の中では『見捨てられることへの恐怖』というテーマと表裏一体になってる印象を受けました。
呑み込まれる恐怖と、見捨てられる恐怖は、同じ歴史的身体の、違う面なのか、それとも別の身体の反応なのか…?
これは、私がこれから考える『時間価値で動くトラウマ(身体に宿るトラウマ)』で考えてみたいと思います。
同感です。
見捨てられる方向に引っ張られているわけですが、おそらくは、わかってほしいーわかられるのが怖い という軸だと思うのです。
わかってもらわないと始まらないけど、弱みを握られ主導権が向うにあることを認めざるをえないのですから。
それは、ユングのグレートマザー(太母)の、育むー呑み込む の生殺与奪に通じる投影です。
かの精神科医の言動について、知的にはオカシイと重々理解していても、精神科医という立場を代表して公に(SNS上に名指しで)発信したという部分が魂には大きく響いたのだと思います。
親で言えばよくないバック背を見てしまったみたいなショック…
続きがわかればまた教えてください_(_^_)_
世の中、ホントに繋がっています。あのスコットランドインシデントから5年後くらいに、同じ(地理的にも、学問的にも)領域にいらっしゃり、かの精神科医のすぐ側にいた人が私のボスになったのです。そのボスは、私がかの精神科医を知ってることに無茶苦茶ビックリしてたのです。長くなるので、詳細は書きませんが、PTSD専門の治療者は何かと己のトラウマを言行動で暴露してしまう事が多い様です。
おもしろい現象ですね。
その立場で一番やってはいけないことをしてしまうPTSDの解離原理を生きているのかな🤔
そして、世間はほんとに狭いのですね。
『わかってほしい―わかられるのが怖い』というお話、まさに私がこれから取り組もうとしている時間価値の研究に直結していると感じました。
意味づけが進む(わかられる)ことは、本質的価値が確定することだと私は捉えています。でも本質的価値が確定するというのは、痕跡の輪郭がはっきりして、他者に握られる状態でもある。だとすれば、複雑性PTSDの痕跡がいつまでも輪郭を持たず、時間的価値のまま留まり続けるのは、象徴化『できない』のではなく、象徴化されることへの、構造的な抵抗なのかもしれないと思っているのです。トレードは単純な引き算で本質的価値が数値で出て来ますが、トラウマはそうは行かないタコ🐙のイボです。
わかってもらわなければ始まらないのに、わかられれば主導権を失う――この矛盾こそが、痕跡を『決済されないポジション/建玉(永遠のロールオーバー)』のまま留め続けているのだと思います。
そして、自分の虚無的シニフィアンの連鎖が少しずつ変化している事も実感しています。少し調子にのってるのかもしれないけど…..はい。自嘲いたします。
先生のお返事で、自分の中の複雑性PTSDのトラウマがどういう特性を持っているのかが整理できた感があります。
おかげさまで、私も経済を少し学び始めています_(_^_)_
当事者感覚の深層についての貴重な情報とともに臨床感覚も深まっています。
タコ🐙のイボは妖怪学における表現ですね(^_-)-☆
調子に乗ってください!
(十牛図みたいな)図に乗ってください!
お言葉に甘えて….そうさせていただきます。
(^_-)-☆
あのインシデントでのトラウマムーブメントは、もう少ししてから纏めて報告させてください。
「事後性」を説明するのにモッテコイなネタです。
はい。
あとになってよーくわかること多いですよね。
特に今はそんなトキ💕
時は金なり(ほんと利息どころじゃないのデス 数字じゃなくてワインの熟成みたいな計算 しかも工房がいくつもあって私には計算できない)? と考える経済音痴…
合ってますか🤔
単発モデルの回帰(複利計算できる、予測可能な減衰)と、複雑性PTSDの回帰(計算不能)の違いを見事に表現されていらっしゃいますね。
でも、ワインの飲み頃は、収束点になりますが、CPTSDには終わりはきません。通奏低音なり続けてますから…..
幾つもある工房は、複数の原光景かなぁ?
とりあえず、本日はこんな感じで、パラレル思考を楽しめました。いつもお付き合いいただきましてありがとうございます。
解説までありがとうございます_(_^_)_
そういえば、時間をかけて熟成するイメージが先行しますが、飲み頃は個性であって、何年のを飲むかからボジョレヌーボーみたいなフレッシュなのもあって、いつのどのトラウマをあつかうかみたいな話と重なってましたね。生まれた年とか名前で選ぶのは、考えられた(頭でする)心理療法かな🤔