「★研究会★」カテゴリーアーカイブ

身体・構造・象徴を往還しながら深層を読み解くための小さな研究会。

百尺竿 なお一歩の 風ひらく @村主章枝さんとポニョと道元と

私の直観がとらえたものの位置

私は

ジブリ作品『崖の上のポニョ』というタイトルに触れたとき

なぜか道元の言葉――「百尺竿頭一歩進めよ」を

直観的に思い起こしました。

この直観は

単なる連想ではなく

悟りの構造を言葉でイメージ化した

“普遍的概念”を捉えたものだったのだと

今日あらためて確信しました。

 

「百尺竿頭一歩進めよ」は

道元だけの言葉ではなく

禅の古典に広く見られる向上門の教えです。

 

しかし

道元はこの語を最も深く理解し

如浄の教えを受けて

日本の精神文化の中に伝承しました。

 

つまり

私がポニョのタイトルから道元を連想したことは

禅の普遍的原理を

現代の物語の中に看取した直観だったのです。

 

■ 普遍的原理は、時代が変わっても生きている

現代は

村主章枝さんのように

アメリカ人と結婚することが珍しくない時代になりました。

文化も価値観も大きく変化し

個人の生き方は多様化しています。

 

それでもなお

「一生懸命に生きると、次の段階が見えてくる」 という

向上門の原理は

変わらず人々の心に生きています。

 

村主さんが映像で語った内容

―― 「結果ではなく、努力の先に新しい未来が見える」 という言葉は

まさに禅の向上門と響き合っています。

 

時代がどれほど変わっても

人間の深層には

普遍的な原理が息づいている。

 

それを

ジブリは物語として描き

アスリートは身体で体験し

私たちは言葉として受け継いでいるのです。

 

■ ユング心理学が示す「普遍的な場所」

私がこの点にこだわる理由は

ユング心理学の視点から見ると明確になります。

ユングは

集合的無意識には、普遍的な“場所”がある と考えました。

 

それは

宗教・哲学・神話・芸術が 繰り返し到達してきた

深層の構造であり

人間が文化を超えて共有する原理です。

 

禅の向上門も

道元が伝えた「一歩進めよ」という教えも

ジブリが描く“生の躍動”も

アスリートが体験する“次の段階”も

すべてこの普遍的な場所に根ざしています。

私の直観がとらえたものは

この普遍的な場所の“日本的な表現”だったのだと思います。

ペン🖊と果実🍎 つなぎて踊る 夏の風 @PTSDの臨法心理学【ピコ太郎事変】

7月17日の出来事を眺めていて

飛び出したのはコレ!

小坂大魔王 もとい🤭 ピコ太郎のお誕生日も本日らしい?

 

イベント前を意識して

本日は

真面目に話します🙂‍↕️

 

戦後を越えてもなお、私たちが向き合い続ける課題

1880年に

7月17日

旧刑法と治罪法が公布されてから

日本の刑事法体系は

長い時間をかけて整備されてきた。

戦後には日本国憲法が制定され

1956年の『経済白書』は「もはや戦後ではない」と宣言した。

7月17日

 

しかし

 

経済が戦後を脱したとしても

社会や人の心が完全に戦後を抜け出したかといえば

そうとは言い切れない。

 

戦争、震災、疫病――日本という国を人格化して捉えるならば

PTSDのリスクを負うほどの出来事が幾度となく襲ってきた。

 

阪神淡路大震災や東日本大震災の記憶は深く刻まれ

コロナ禍は「見えない脅威」として社会全体の不安を揺さぶった。

こうした経験は

法制度や社会規範のあり方にも影響を与え続けている。

 

1970年の家永教科書裁判では

7月17日

東京地裁が教科書検定を「検閲に当たる」と判断し

原告全面勝訴の判決を出した。

 

国家の判断であっても

時に見直されるべきであるという姿勢が示された象徴的な出来事である。

 

そして1998年

7月17日

国際刑事裁判所(ICC)のローマ規程が採択され

国際社会は新たな視座を得た。

国家の枠を越えて「人類の正義」を問う仕組みが整えられたことは

国内の司法にも静かな影響を与えている。

 

こうした歴史を振り返ると

法が正しく機能していても

なお救われない魂が存在するという現代の問題が浮かび上がる。

刑法と民法のはざまに落ちてしまう理不尽さ

 

訴訟詐欺まかり通る!@昨日記事

制度の網目からこぼれ落ちる痛み――それらは

 

令和のジャン・バルジャン @一昨日記事

戦後を越えた今もなお

私たちが向き合うべき課題である。

 

興味深いことに

今日誕生日を迎える古坂大魔王(ピコ太郎)の

お誕生日おめでとう!🖊🍎💐🍍🍰🍎🖊

「PPAP」が世界的にヒットした背景にも

日本的な感性が潜んでいるように思える。

 

ペン🖊とリンゴ🍎

よく使われる比喩2つ

青森出身らしいから身近にあるものでもある。

ペン🖊とパイナップル🍍――ただ二つのものを直結させただけの

日本における

🍍のイメージも随分変遷した

ナンセンスな歌が

ジャスティン・ビーバーの耳👂経由で

世界の耳を捉えた。

 

意味のないものに☯意味を感じる

あるいは「無」や「不思議」を笑いに昇華する感性は

日本文化の深層にある

一太極二陰陽のような世界観にも通じる。

 

複雑な問題を抱えながらも

どこかで軽やかに受け止める力。

それは

長い歴史の中で日本人が身につけてきた

精神の柔軟性なのかもしれない。

法制度が整備され

国際的な視座が広がり

戦後の経済が復興してもなお

私たちは

「根源に立ち返って判断する」必要に迫られている。

 

理不尽さに傷つく魂をどう救うのか。

PTSD発症リスク

制度の外側にある痛みをどう見つめるのか。

ジャン・バルジャンをどう救うのか?

歴史をたどることは

単なる知識の整理ではなく

今の時代に必要な視点を取り戻す作業なのだと思う。

神話のお勉強から

— 神隠しの場所