「★構造論★」カテゴリーアーカイブ

学会・社会・建築・国土などの揺らぎを構造として読むための棚。

絶対無の 風のほとり WEターン @見当違いの批判で蘇生し続ける西田哲学

Where the wind of absolute nothingness touches history, even a misguided turn reveals the deeper life that sustains us.

 
本日は
 
 
 
小田 晋さんのお誕生日です。
 
 
 
島崎敏樹の著した
 
 
人間をあれこれの方法で分解し細分化するのではなく
人間学的現象学の立場に立って全体をすくいあげ
その生きがいを浮かび上がらせることに長けていた。
 
 
 
『感情の世界』を読み
 
 
 
精神科を目指しました。
 
 
認知行動療法や薬物療法に
— 直精・直美という安直で哲学のない世界
—— みんな知っているが語られないタブー
 
関心をもつわけではなく
 
 
 
 
 
精神病理学を軸に
 
 
刑事事件で起訴された人物の
精神鑑定を多数行った。
— つまり解離の研究者
 
 
 
 
社会精神医学・犯罪精神医学についての論文が多数あり
 
 
 
 
 
 
認知のありかたをみる。
 
習得に長い年月を要する。
 
 
 
 
言語ではなく
 
映されるイメージの世界
 
 
心理テストの達人としても知られています。
 
 
このあたりは
知識やテクニックというより
職人的名人芸の世界
 
 
 
 

 

「どう生きていこうか」

「どう生きていくのが正しいだろうか」と考えるのは

人間である証なのだそうです。

 

 吉野 源三郎は

東京帝国大学文学部哲学科卒業の年に

志願兵として軍役についたのち

東京帝国大学図書館にて勤務中

非合法活動に関与したとして

治安維持法違反の廉で逮捕され

1年半を陸軍刑務所で過ごします。

哲学と夢の学究世界も

デカルト・カント・ショーペンハウエル

 

戦時中は生死をさまよいながらです。

公職追放のあと

偉業を成し遂げるのも法則の1つ

 

吉野源三郎が

この本をつくるときに相談した

三木清も

— 感官に映ったイメージがイメージのまま伝承される。

—— 文献を読むのは字の数を数えているのにほぼ等しい。

おなじような問題にからめとられ

獄死しました。

京都学派は壊滅状態に陥り

中村雄二郎が蘇らせた。

— 的外れな批判によってというところが繰り返される世界

 

生きがいということですが

英雄とか偉人とかいわれている人々の中で

本当に尊敬が出来るのは

人類の進歩に役立った人だけで

非凡な事業のうち

真に価値のあるものは

ただこの流れに沿って行われた事業だけだそうです。

普遍的な法則があるわけですね。

 

真言ひらき 意馬の影と 心むすぶ Chanting opens the mind, where Sima Yi’s spirit-animal quietly dwells.

昨日は

哲学会のロックスターのお友達に会いに行きました。

楽しすぎた🤭

 

本日は

その元祖のひとり

仏教界のスーパースターのお誕生日です。

伝説の人ですね。

さて

真言とは何でしょう?

辞書を引いても

 「いつわりのない真実の言葉(マントラ)」として

仏や菩薩の智慧と力をあらわす神聖な言葉を指し

唱えることで煩悩を除き

加護や悟りに近づくとされる。

その真意はつかめないし

仏の真実の「ことば」は

人間の言語活動では表現できない

この世界やさまざまな事象の深い意味

すなわち隠された秘密の意味を明らかにしているから

唱えることが奨励されている。

— 自分も言ってみる(聴こえる)

— 自分に帰依する。

バベルの塔のように

テクニックで安直に

答えをつかみに行くことが禁忌であることだけはわかります。

セルフの逆鱗に触れ解体の危機(>_<)

 

それは何も信者さんたち向けのお話ではなく

バベルの人々は

「同じ言葉、同じ表現」で完全に一致していた。

それを

神ではなく

「自分たちの名を上げる」ためにつかい

— また「散らされないように」

塔を建てようとしたので

神はその一致を

「危険な方向への団結」と見なし

言葉を混乱させた。

— 聖書が繰り返し批判する“高慢”の構造

宗教や哲学を源流とする

心理療法でも言えることですね。

言葉は記号ではない等と説明されている部分

— 頭で考えるのではない。

その背景にあるコンプレックス(複合体)ごと

— 主語でも述語でもなく

こころで読みます。

— イメージ

ブルースリーが強かったのも

原理を生きていたからで

司馬懿も箱庭してました。

— いつも意馬と一緒

— 昔の軍師の常識 

 

宗の径 ユングの影と WE結ぶ Along the path of the sacred, Jung’s shadow joins the turning of WE.

 

本日は

1798年(寛政10年)

本居宣長の『古事記伝』全44巻が完成した日で

 

ユングのお誕生日です。

 

 

牧師の家に生まれて

宗教的不可解に苦しんだ

ユングが考案した心理学は

今でも臨床心理学の最終貯蔵庫だけど

東洋やアフリカとの関係も触れはした。

古事記風に書き直される必要があります。

 

 

 

あなたもスタンプをGETしよう

妖怪学あたりから…⁈

 

 

本日は

WEターン鑑賞しておもしろかった🤭

百聞は一見に如かず

霧晴れて 場所と種の 声ひらく@田辺元の西田批判の今

 

 

 

二元論を手放すトキ:場所と種の統合としての日本的思索

Ⅰ 通り過ぎたあとに気づく変容

三日間、思索の森をさまよい、ふと気づいたことがある。 気がめいっていたはずなのに、その重さがいつのまにか消えていた。 まるで、霧の中を通り抜けて、振り返ったときに初めて「霧だった」とわかるような感覚だ。

臨床心理学では、こうした“通り過ぎたあとに気づく”瞬間がしばしば起こる。 クライエントが語る主訴の背後に、もっと深い層が静かに動いている。 その動きは、意識の表層ではなく、無意識の底で起こる—— そして、変化はいつも「気づいたときにはすでに起こっている」。

この構造を哲学の言葉で捉えようとすると、 西田幾多郎の「場所」という概念が静かに立ち上がってくる。

Ⅱ 西田幾多郎の『場所』という深層

場所とは、意識の働きを超えた“変容の場”である。 個人の経験と歴史の流れが、まだ分かれる前の状態で触れ合っている深層。 臨床で起こる変容が、しばしば“通り過ぎたあとに気づく”形で現れるのは、 変化がこの深層の「場所」で起こるからだ。

場所は、 「個人の内面」でも 「社会の外側」でもなく、 その両方がまだ分かれる前の、もっと根源的な層にある。

Ⅲ 場所の内部に潜む歴史の層

しかし、場所は純粋な内面だけではない。 そこには、

  • 家族の歴史
  • 文化の物語
  • 国家の神話
  • 社会の価値観

こうした“歴史的な層”が折り重なっている。

臨床でクライエントが語る物語の中には、 その人自身の経験だけでなく、 その人が属する共同体の歴史が、 しばしば無意識のかたちで流れ込んでいる。

西田はこの層を「場所の自己限定」として捉えたが、 その歴史的具体性を十分に展開したわけではなかった。

悲哀として表現された事例は深く理解されている。

Ⅳ 田辺元の『種』は場所の否定ではなく深まりである

そこで田辺元は、 この歴史的・共同体的な層を「種」として前面に押し出した。

種とは、 個人が属する民族・文化・国家の層であり、 その人の行動や価値観を形づくる“歴史の力”である。

田辺は、西田の場所があまりに形而上学的で、 歴史の具体性が十分に語られていないと感じた。 しかし、種は場所の外側にある対立概念ではない。

むしろ、 場所の内部に潜在していた歴史的層を、 田辺があえて強調したもの と読むことができる。

場所が「深層の統合」であるなら、 種はその統合の中に含まれる「歴史の力」である。

Ⅴ 国民国家論と共同体論の“表層性”

今年の大会で提示された 「田辺元の『種の論理』と尾高朝雄の『類の論理』  ―日本における国民国家論の意義と限界―」 という発表は、 学術的意義を認めつつも、 私がいま立っている深層の地点から見ると、 種と類の本来の哲学的射程—— すなわち、 個人の精神と歴史の力がまだ分かれる前の層 には届いていないように感じられた。

国民国家論は、 制度・政策・社会構造といった「表層」を扱う。 しかし、場所と種が扱うのは、 その表層を生み出すもっと深い精神的・歴史的構造である。

Ⅵ 深層に立つ者だけが感じる構造的なズレ

WEターンの議論も、 共同体の再構築という社会的課題を扱うがゆえに、 場所と種の深層構造とは異なるレベルに位置づけられる。

これは批判ではなく、 議論が立っている「場所」の違い」 として理解するべきものだろう。

哲学が扱うべき深層は、 制度や政策のレベルではなく、 個人の精神が歴史と触れ合う根源的な場である。

その場では、 場所と種は対立するのではなく、 ひとつの深い構造の異なる側面として響き合う。

Ⅶ 場所と種の統合としての日本的思索の可能性

臨床心理学の事例が、 個人の語りから普遍的構造を浮かび上がらせるように、 西田と田辺の思想も、 その深層において互いを照らし合う。

私はこの三日間の思索の中で、 「どちらが正しいか」という問いを手放し、 場所と種の両方を抱える地点へと静かに移動した。

その地点から見える風景は、 これまでとはまったく異なるものである。

Ⅷ 今年の大会を深層から見守るということ

今年の大会を見守るにあたり、 私はこの深層の場所から、 西田哲学の現在地と未来を静かに観察したいと思う。

そこでは、 制度や共同体の議論を超えた、 精神の変容と歴史の力の交差点が、 新たな思索の可能性として開かれている。

西田が嘆いたこの声に耳を澄ますなら、 いま私たちが向かうべき場所は、 もはや枝葉の論争ではなく、 その声が指し示した根源の場なのだと感じる。

見えぬ処 心ひそかに 息を継ぐ @公認心理士化する西田哲学

 

心の広がりをめぐって──河合隼雄と西田幾多郎が眺めていたもの

河合隼雄の誕生日にあたり、あらためて彼の仕事を振り返ると、日本の臨床心理学がいかに“制度として”形を与えられてきたかが見えてくる。
心理学を学ぶ場がほとんど存在しなかった時代に、臨床心理士という資格をつくり、国家資格化の道筋を描こうとした。その努力は、彼の死後、公認心理師という形で結実した。

しかし同時に、臨床心理学は「心理主義」という大きな潮流に巻き込まれつつある。
この問題は、実は西田幾多郎が『善の研究』で自ら反省したこととも響き合う。
ちょうど今週末、西田哲学会が開催される。
河合隼雄の誕生日と哲学会の時期が重なる今、臨床心理学と哲学が共有するこの問題を、あらためて考えてみたい。

1 河合隼雄の功績と、日本の臨床心理学が置かれていた状況

河合隼雄の仕事を振り返るとき、まず驚かされるのは、彼が活動を始めた当時の日本には、臨床心理学を体系的に学ぶ場がほとんど存在しなかったという事実である。心理学といえば、大学では実験心理学が中心であり、哲学や教育学の一部として扱われることが多かった。西田幾多郎が東京大学で学んだ心理学も、まさにこの「実験心理学」の時代である。

そうした状況のなかで、河合隼雄は臨床心理学を「学問として」「職能として」成立させるための基盤づくりに尽力した。ユング研究所での研鑽を経て、日本にも精神分析や分析心理学のような、しっかりとした訓練体系を持つ専門職を根づかせたいと考えたのである。

そのために、まず民間資格として臨床心理士制度を立ち上げた。これは、制度としては暫定的なものであったが、当時の日本においては画期的な試みであり、臨床心理学を「専門職」として社会に認知させる大きな役割を果たした。河合自身は、いずれ国家資格として整備されるべきだと考えていたが、民間資格を国家資格に格上げする制度は存在せず、道筋は容易ではなかった。

それでも、臨床心理士制度は日本の臨床心理学の発展に大きく寄与し、河合隼雄の死後、公認心理師という国家資格が誕生することになる。制度としての形は変わったものの、臨床心理学を社会に根づかせるという河合の構想は、一定の形で実現したと言えるだろう。

しかし、ここで一つの問いが生まれる。 河合隼雄が目指した臨床心理学の姿と、現在の公認心理師制度が示す方向性は、本当に同じものなのだろうか。 そして、臨床心理学が制度化される過程で、私たちは何を得て、何を見失ったのだろうか。

この問いは、臨床心理学の制度史を振り返るだけではなく、哲学側からの「心理主義」への警鐘とも深く関わっている。

 

2 心理主義の問題──宗教・心理療法・哲学の境界が曖昧になる時代

臨床心理学の制度が整えられ、専門職として社会的地位を得ていく過程は、確かに大きな前進であった。しかし、その一方で、臨床心理学は「心理主義」という大きな潮流の中に置かれるようになった。心理主義とは、宗教・倫理・哲学・社会の問題までもが、すべて「個人の内面の問題」として処理されてしまう傾向を指す。

この問題は、宗教哲学の側からも警鐘が鳴らされている。 たとえば、宗教が本来持っていた共同体的・儀礼的・歴史的な側面が弱まり、個人の内面へと収縮していく現象が指摘されている。宗教が「心の癒し」へと変質し、精神科医や臨床心理士が、かつて宗教者が担っていた役割を代替するような状況が生まれているというのである。

心理療法の出自が宗教と深く関わっていることはよく知られている。 しかし、現代の心理療法は、宗教的な由来を否定するかのように、個人の内面の問題としてのみ心を扱おうとする。宗教と心理療法が互いに近づきながら☯同時に互いの由来を否定し合うという、奇妙なねじれが生じている。

この心理主義の時代において、臨床心理学は「心の専門家」として社会的期待を集める一方で、心を取り巻く文化的・歴史的・共同体的な文脈を見失いかねない危うさを抱えている。 心を個人の内側だけに閉じ込めてしまうと、心が本来持っている広がり──身体、歴史、共同体、宗教、文化──が見えなくなる。

この問題は、臨床心理学だけの問題ではない。 哲学の側にも、同じ危うさが存在している。

3 西田哲学との共通問題──心理主義への反省と、心理学との接点

臨床心理学が心理主義の潮流に巻き込まれているという問題は、実は哲学の側にも同じように存在している。西田幾多郎は『善の研究』を著した後、自らの思索が「心理主義に傾いていた」と反省している。 心の働きを哲学的に捉えようとしたとき、どうしても「個人の内面」に焦点が集まりすぎてしまう危険がある。その危険を、西田は早い段階で自覚していた。

西田が参照していた当時の心理学は、実験心理学が中心であり、心を科学的に測定しようとする試みが主流であった。西田はその内容を紹介し、若干の意見を加えるにとどめているが、心理学を哲学の基礎として積極的に取り込むことはしなかった。 しかし、心理学を完全に拒絶したわけでもない。むしろ、西田は心理学が扱う「感官」や「意識の働き」に強い関心を寄せていた。

近年、哲学館で修復が進められている西田の心理学ノートを読むと、彼が眺めていた心理学の全体像が少しずつ明らかになってきた。そこには、個人的意識を超えて、国家や文明の差異までも含む「人類それ自体(humanity itself)」の相を捉えようとする記述がある。 これは、ユングが集合的無意識を構想したのと同じ時代の空気を感じさせる。西田が「歴史的身体」と呼んだものと、ユングの集合的無意識のモデルは、異なる言語でありながら、どこかで響き合っているように思われる。

道元が譬え話として「古鏡」「火炉」「無縫塔」などのイメージを用いて、言語化しがたい感官の働きを示そうとしたように、西田もまた、個人の心を超えた広がりを捉えようとしていた。 その広がりは、心理主義が心を個人の内側に閉じ込めてしまうとき、最も見失われやすい部分である。

西田哲学会でも、近年は西田の思想をより深く理解するために、心理学との関係を視野に入れる試みが増えている。西田が生きた時代の心理学を丁寧に読み直し、哲学と心理学の接点を探る動きがある。 しかし、文献を並べて表面的に一致する部分を探すだけでは、西田の思索の内側には届かない。 西田と同じ時代に生き、ほぼ同じ問題を見つめていたユングの心理学を手がかりにすることで、初めて西田の「心の広がり」が立体的に理解できるのではないかと私は考えている。

臨床心理学と西田哲学は、どちらも「心」を扱う学問でありながら、心理主義に傾くと実態を見失うという共通の危うさを抱えている。 その危うさを乗り越えるためには、心を個人の内側だけに閉じ込めず、身体・歴史・文化・共同体・宗教といった広がりの中で捉え直す必要がある。

4 ユングとの同時代性──心の“広がり”を取り戻すために

西田幾多郎とユングは、互いに直接の交流があったわけではない。しかし、彼らが生きた時代の空気には、共通する問題意識があったように思われる。 それは、心を個人の内側だけに閉じ込めず、歴史・文化・共同体・宗教・身体といった広がりの中で捉え直そうとする試みである。

ユングは、個人的無意識の背後に、民族や文明の差異をも含む「集合的無意識」を構想した。 西田は、「歴史的身体」という概念を通して、個人の心が歴史的・文化的な文脈の中で形成されることを示そうとした。 両者は異なる言語を用いながら、心の構造を“個人の内側”に限定しないという点で、深い共通性を持っている。

心理主義が心を内面へと収縮させるとき、こうした広がりは最も見えなくなる。 心が「個人の感情や認知の問題」に矮小化されると、心が本来持っている歴史的・文化的・宗教的な層が切り落とされてしまう。 その結果、心はかえって理解しにくくなる。 心を狭く捉えるほど、心の実態は遠ざかるのである。

臨床心理学が制度化され、専門職として確立されることは重要である。しかし、制度が整うほど、心が「測定可能なもの」「技法で扱えるもの」として扱われやすくなる危険もある。 哲学の側でも、心を論理や概念の枠組みで捉えようとすると、個人の内面に焦点が集まりすぎる危うさがある。

だからこそ、今あらためて、西田とユングが見ていた“心の広がり”を思い起こす必要がある。 心は、個人の内側だけに存在するのではなく、身体・歴史・文化・共同体・宗教といった層の中で生きている。 その広がりを取り戻すことが、心理主義の時代において、臨床心理学と哲学が実態を見失わないための鍵になる。

西田哲学会が心理学との関係を再評価し始めていることは、こうした広がりを取り戻すための重要な一歩である。 臨床心理学と哲学が互いに閉じた領域として存在するのではなく、心の広がりを共有する学問として再び接続されるとき、心理主義を超える新しい視野が開かれるだろう。

5 心理主義を超えるために──臨床心理学と哲学が見失わないための視点

河合隼雄が臨床心理学の制度化に尽力したこと、そして西田幾多郎が心理主義への傾きを自ら反省したことは、いずれも「心をどう捉えるか」という根本的な問いに向き合った結果である。 臨床心理学と哲学は、異なる方法を用いながら、同じ問いの周囲を歩いてきたと言える。

心理主義が心を個人の内側へと収縮させるとき、心の実態はかえって見えなくなる。 心は、身体・歴史・文化・共同体・宗教といった広がりの中で生きている。 その広がりを切り落としてしまうと、心は「測定可能なもの」「技法で扱えるもの」として矮小化され、臨床心理学も哲学も、本来の対象を見失う危険がある。

その危うさを乗り越えるためには、心を広い文脈の中で捉え直す視点が必要である。 ここで、河合隼雄と西田幾多郎の思索が、静かに響き合う。

二人に直接の交流はなかった。 しかし、彼らが眺めていたもの──心の構造の広がり、個人を超えた歴史的・文化的な層、宗教的な深み──は、驚くほど似ている。 ユングが集合的無意識を構想したのと同じ時代に、西田は「歴史的身体」という概念を通して、心が個人の内側だけに閉じないことを示そうとした。

臨床心理学と哲学が心理主義に傾くとき、こうした広がりは最も見えなくなる。 だからこそ、今あらためて、河合隼雄と西田幾多郎が見ていた“心の広がり”を思い起こす必要がある。

臨床心理学は、制度として整備されるほど、心を技法や測定の対象として扱いやすくなる。 哲学は、概念や論理の枠組みで心を捉えようとすると、個人の内面に焦点が集まりすぎる危険がある。 どちらも、心理主義の時代には、心の実態を見失いやすい。

しかし、臨床心理学と哲学が互いに閉じた領域として存在するのではなく、心の広がりを共有する学問として再び接続されるとき、心理主義を超える新しい視野が開かれるだろう。 河合隼雄の構想と西田の反省は、そのための静かな道標となる。

心は、個人の内側だけにあるのではない。 心は、世界の広がりの中で生きている。 その広がりを取り戻すことこそ、心理主義の時代において、臨床心理学と哲学が実態を見失わないための鍵となる。