ある日のユングの夢です。
「私は汚い、すすけた町にいた。
冬の夜で、暗く、雨が降っていた。
私はリバプールにいた。
私は何人かのスイス人
―まず6人くらい―と
暗い通りを歩いていた。
私たちは港からやって来つつあり、
本当の町は崖の上にあるのだと感じていた。
私たちはそこを上っていった。
それは私にバーゼルの町を思い起こさせた。
バーゼルでは市場が下の方にあり、
トーテンゲッシュ(死の道)を通って上り、
それは上方の広場、そして、
ペーテル広場やペーテル教会へと通じている。
…」
信じようが信じまいが
望もうが望むまいが
人間は誰でも
どこに住んでいようが
それとは別に
どこか(無意識的には?)
【崖の上】にいることへの気づきでしょう。
気づかなければ平凡な人生になりますが、
気づかされてしまえばある種地獄です。
教会に象徴されるような宗教や哲学に興味をもったり
その結果広い世界に抜け出るには
死の道ともいうべき地獄を通過しなければならないんですね。
それは普通の人が暮らす日常でもあるのですが。
牧師の息子ユングが
禅の【百尺竿頭】に気づいたのは
このころ出会った中国の影響でしょう。
ただ
ユングが百尺竿頭を越えたかどうか…
これはまた別の問題ですから
じっくり考察してゆきましょう。