昨日の朝日新聞夕刊の記事に
広島で被爆し、12歳で亡くなった
佐々木禎子さんのご親族の方への
インタビューがありました。
禎子さんは【原爆の子の像】のモデルであり
白血病の病魔からの回復を願って折鶴を折り続けた
エピソードが小説や映画になっています。
しかし禎子さんの父親は
「原爆で亡くなったのは禎子だけじゃない。
それを忘れるな」とご家族に語っていたそうです。
私は
PTSDの普遍性について
いろいろ思いました。
まずは…
理不尽な不治の病に蝕まれたとき
人には祈りの気持ちが生まれ
それを表現しようとするんだなあ
ということです。
言葉でも音楽でも絵画でも手芸でも
いろいろありますが、
PTSD罹患者はみな
何か発信しているように
私には思えます。
そして
禎子さんの名前から
DVシェルターでお会いした
ある女性のことを思い出しました。
箱庭の砂の上に
いろんなものを置きながら
いろいろなことを語ってくれました。
出来上がった作品について
「生まれてきて
学校に行くようになって
恋をして、結婚して、
いろいろあってここにいるけど
また結婚したいな…。
でもこの井戸からサダコがでてくるかも…」
映画の『リング』のサダコのことを
イメージしているのだと思いますが、
『リング』のキャッチコピーは
「そのビデオを見ると、一週間後に死ぬ」
「サダコの遺体を井戸から引き上げて供養すれば呪いは解ける」
でした。
『ごく普通の日常の中で
PTSDに罹患し
精神的な死を体験しましたが
無意識にある普遍に触れたら
死から再生できる気がします。
でもちょっと怖いなあ。
一緒に見ていただけますか?』
というその人の無意識からの
メッセージだったような気がします。
これは【お能】なんかにもある
日本文化に普遍的なストーリーです。
お能では旅の僧が
話を聞いて成仏させるのが
お決まりのパターンですね。