メスメルという
内科医がいました。
教会の神父が
磁石でヒステリーを治しているのを見て
マネてみると
神父以上の効果が出て
一大ブームになりました。
実際は
ヒステリーという
ウルトラ外向性により
暗示にかかっていただけなので
治癒したわけではなかったのですが。
普通は
人の話をよく聞いて
判断して
肯定してあげるものですが、
優しいお母さんなんかは
子どもが何か言う前から
「そうそう…それで?」と
非常にオープンな態度で
子どもの話を聞いたりしてますね。
内容なんか聞いてないんです。
ただただ可愛くて仕方がない。
目に入れても痛くないってかんじですね。
こういう人は
振り込めサギに気をつけないといけません。
PTSDはヒステリーですから
この治療関係においては
よほど注意しないと
メスメルとヒステリー女性の構図が
容易にできてしまいます。
加えて
【解離】はお手の物なので
先生のためなら
苦行に耐えようとしますしね。
転移・逆転移の大嵐のなか
まるでカルト集団の教祖みたいに
あがめられている支援者は
平成の日本でも
よく見受けられます。
画期的に映りますが
実際は問題が棚上げされ
後に悪化する場合も
結構見受けられます。
メスメリズムは
今でも生きていますよ。
たまたま、この2010年の記事見つけた….
「まるでカルト集団の教祖みたいに
あがめられている支援者は
平成の日本でも
よく見受けられます。
画期的に映りますが
実際は問題が棚上げされ
後に悪化する場合も
結構見受けられます。」
翠雨先生はこの頃から知っていらしたの?
ウルトラ(o|o)外向性とか、書いてますね!(^^)!
ウルトラマン会議2019等につながるとは、夢にも思っていませんでした。
「実際は
ヒステリーという
ウルトラ外向性により
暗示にかかっていただけなので
治癒したわけではなかったのですが。」
外側だけ綺麗に修復= CBTでも出来ますね
ドラゴン🐲が前の病院のデイケアでCBTレッスンを受けて何となく前向きになった感じがしたのはレッスンの参加者と一緒に前向き思考を共有しただけの暗示にかかっただけだったのだと思いますーでも、同じデイケアの一コマで受けたサイコドラマのレッスンで受けた衝撃を体験したーそこで、自分の中に内側の問題を解決したい欲求が芽生えたのではないかな…..って思います
要するに、外側だけ綺麗に修正する完治は特別な療法を用いなくてもCBTの様な一般的集団暗示でも出来る事なのかもしれないって思いました
全くお話しは変わりますが、変化を感じます
https://ameblo.jp/momo-kako/entry-12482620811.html
あと少し!!
あ!本当にありがとうございます。
長沼バカボン先生もHSCに逃げたので、愚息から酷評されました。
傍から失礼しました。
戦争中は神経症が少ないと言いますからね。
軍隊で上官が一喝すれば、電気ショックなんかなくても、どんな重症PTSDも止まりますよ。
だから日本の教育を受けながら、イスラム国に行く若者がいるのかな(@^^)/~~~
確かにちょっと変わってきてますね。
HSCの話題ですが、「解離」と書いてるなぁと思えば、「複雑性PTSD」って明記しています。
なのに「現在の精神医療ではトラウマを扱う適切な診断名が存在しません」って、詭弁ですか?
PTSDのTはトラウマ、Dは障害なのに、書いていることが支離滅裂ですが、統合すれば、PTSDとの気づきとなりますよ。
HSCは、霊的なものまで含まれているとか、共感覚が特徴として見られると書いてあり、外国人の書いたものを紹介していますが、日本にも『耳なし芳一』の昔話があるじゃないですかね。
いろいろ無理して「フリをしてしのぐ」のはドラゴン🐲さまの着ぐるみ談義です。
共感能力をアスぺの鈍感と比較していますが、これはPTSDの二面性―陰陽の病で過食と拒食、ひきこもりと攻撃性等と気づかれるといいですね。
ちなみに公認心理師になるような人は「アスぺ型」ということも!
「治療」の対象となるべきものではないと言いながら、トラウマケア以外にいろんな支援が必要と書いていて、公案か!と突っ込みをいれたくなるような難解なフリーサイズの書き込みさんがフリーライター過去さんになるのはいつの日か(^^♪
ドラゴンさん、こんばんは!
いま、子ども限定のHSCという言葉もあるのですね。HSPじゃない?と検索してみてその違いがわかりました。
HSPは、境界性PDにDBTの講習会で聞きました。もともと繊細な性格?+不承認な環境の生育歴ということで、CPTSDのある一面に焦点をあててどうするか、何がいいかと技法にしたものなのかと最後は捉えました。
なんやかんや言って最後はCPTSDに集約できるものだらけだなーと感じている今日この頃です。
驚いたのは、他者に音楽や色を感じる共感覚?もそうなんだってことです。めったとないことですが、昔、主治医に会った時は、バブリーな夜の銀座か何かの華やかな高級クラブ的な色調を感じて、え!この人ただの医者?一体何者?という強烈な感覚がありました。その数年後は、全身のオーラから独特な中島みゆき調のメロディーがふわーっと感じられて、その時も、え!何これと不思議な感覚に包まれました。
その頃、日々中島みゆきの音楽がある意味居場所になっていたので、私の中から溢れ出たものが主治医から伝わってくるように感じたのかもしれません。(ここで書かれている自我境界の薄弱さからの現象でしょうか…)
安心安全でない、他者からの感情の侵入があるなどの環境では子どもは自分の内的な面に想いを馳せることはできませんし、外に向けて常にアンテナを働かせていなければならず、内面のアンテナが育ちません。
そして、思春期頃にふと気づけば空っぽな自分しかなくて(風見鶏ならまだ軸があっていいですが)風船のように風向き次第でどこへ飛んでいくかわからないような状態になってしまいます。
表面だけを整える技法は、そういう人ほどお手のものかもしれませんが、二面性の裏の部分に通じる何かがなければ根本的には良くならないと自分の中でまとまった次第です。
ウルトラ外向で安心安全のためにカリスマ的に崇めていても、裏の自分は嘘だとわかっていて、自分を騙し続けている限り不協和音は鳴り止みません。
生きにくい社会です。
HSCに逃げたのでしょうか?
それとも、HSCを語り始めたのはトラウマ受容へ向けてのプロセスの途中なのではないかと想像してるドラゴン🐲です
違うかな….HSCへ逃げ切って欲しくないと願うのは彼女に数回お会いした時の空気感から感じた彼女の人間的あたたかさに期待してるからかもしれません
「長沼バカボン先生はHSCに逃げた」と愚息は感じました、私もです。「逃げ」でないならば、《発達障害論》の問題点を整理してからになさるよう、お願いします。
花風社社長さんも「答えは子どもが出す!」と何処かで書いておいででしたよ。
①パキシルを服用しても良いけど、Yさんのように内山登紀夫医師の指導の下に、《アスペ》広告塔として利用された挙句、よこはま発達クリニックからアクチベーションに陥れられたのに警察に通報されて遺棄されたり
②焼き場で人体の燃焼温度について質問するお子さまに普通に家庭教育を行わないことを賞賛する《アスペ》ラベリング型はめを《児童虐待》のバリエーションと理解できなかったり…
クレージー🤪な専門家は困りますね。
momo-kako さまは全く存じ上げませんので、クレージーな専門家に巻き込まれておいでという訳ではないことをお祈りします。
2017年夏にお目にかかった時、畳のお部屋(すご〜く脚が痛かった)で 彼女がS先生の事にも触れられていたのが印象的でしたー「PTSDしか認めない精神科医」の存在を肯定も否定もせずに母子会でお話しされてたのですーきっと、ドラゴン🐲がS先生の治療法が気になっていた様に彼女も何かが気になってるのだと思います
そうなんですね。
だとすれば、PTSDと理解される日は近いかも!
長沼バカボン先生…orz
https://ameblo.jp/momo-kako/entry-12482620811.html
長沼氏はこう言いました。
「不登校はまったく心配ない。肯定的に見守ることが大事です」
いつもデタラメですね…
ハンガリーにいるときも日本にいるときも「実際的な《安全確保》」を追求するのに学校にいたら良いか家にいるほうがマシか?…話し合って決めて実行している(極めて常識がある)息子のようなケースはガン無視ですね。
先生がデタラメなのを隠し通す気ですね…とんでもないことです。
Отправлено с iPhone
デタラメですね。
困ったものです…。
多分、当事者と健常者の差=PTSD気づき感度の差ではないかと想像してます
でも、ドラゴン🐲はS先生のブログからPTSDコンセプトに関しての気づきはいただきましたが、彼の治療法に同意する事が出来なかったのですー難しいコンセプトの歴史的身体の違いなのか?とも当初は思ったのですが、今は単純に自分をhuman beingとして観察すればするほどS先生の治療法に同意する事が出来ない理由が解ってきた感覚があります
わかります。
Rinkoさまがお書きの風見鶏の軸足が伸びた時には、大逆転現象が起きて、当事者の方が健常者のフリーライターより雄弁になるのだと思います。
信者さんの「歴史的身体」論は、忘れて下さい。
わからないことを言われると、謙虚で真面目な人ほど自分は何もわかっていないと思わせられますが、あの人は「歴史的身体」の意味などわかっていないのです。
ズルい衒学的なワナまで使うとは、PTSD研究の風上にも置けません。S先生に置かれましてもご迷惑でしょう。
「不登校はまったく心配ない。肯定的に見守ることが大事です」
このフレーズを聞いて感じた事を書きます
当事者研究のモットーの中の一つに「肯定的な無力感」という言葉があったのを思い出しましたーこれが何を意味するかは後で解ってくる事なのでしょうね…..ドラゴンにとってインパクトのある言葉です
こういうものですか?
うつ病ネズミ(実際はPTSDマウス)も、薬漬けうつ病も、そんな感じです。
こころから肯定しているはずはないのに、ブログなんかでは絶賛にすら移行します。
大学生の不登校は、昔「スチューデント・アパシー」と呼ばれました。
その頃から、「正業のみやらない」と、新型うつ病の性質が指摘されています。
難しいですね
今、出先なのでじっくり考えてからお返事しますね
当事者研究での「肯定的な無力感」に関しては宿題にとっておいてくださいますか?ー先週、初めて聞いた言葉でしたが、とてもドラゴン🐲にとってインパクトのあるモノだったのですーまだそれを説明する為の言葉が出揃っていないというのが正直なところですーちょぴっと待っててェ〜
わかりました(^_-)-☆
ゆっくり教えて下さい。
興味津々👂
Rinkoさん♡
「安心安全でない、他者からの感情の侵入があるなどの環境では子どもは自分の内的な面に想いを馳せることはできませんし、外に向けて常にアンテナを働かせていなければならず、内面のアンテナが育ちません。
そして、思春期頃にふと気づけば空っぽな自分しかなくて(風見鶏ならまだ軸があっていいですが)風船のように風向き次第でどこへ飛んでいくかわからないような状態になってしまいます。」
ですよね♡
内面に出て来た子どもの正直な感性を大人の都合で否定され続ければ子どもは自分の感性を体感する事が怖くなり信用出来なくなりますーだから、親が言う通りの感性がインプットされた着ぐるみを着て良い子になったフリをするのですよねー気がついた時は自分の内面も良い子のフリしてる着ぐるみの感性と同じなのか違うのかがわからなくなっちゃう状態なのでしょうね
「表面だけを整える技法は、そういう人ほどお手のものかもしれませんが、二面性の裏の部分に通じる何かがなければ根本的には良くならない」
ええ、その二面性の裏側にあるものが自分と共通したものかどうかを確認する作業は初対面で出会って9週間くらいでは出来ないと思いますーどんなに最初っから両者が自己開示するのに積極的に自発的に試みてもきっと9週間で裏側まで辿りつけないと思うのですーしかも故意的に自己開示しようとするとそこに別のエネルギーが生まれてきて裏側をわざと隠蔽しようとするかもしれないし…..
「ウルトラ外向で安心安全のためにカリスマ的に崇めていても、裏の自分は嘘だとわかっていて、自分を騙し続けている限り不協和音は鳴り止みません。」
多分、カリスマ教の信者さんはそういう苦痛を抱えているけどただただ信じる事でホントの自分に向き合う事から回避して現実逃避しているのだと想像してますードラゴン🐲は信者さんたちが可哀想に感じますー早く脱会する事をオススメするばかり
Rinkoさんのコメントを読んで、CPTSDは Psych -bio-socio-spiritual issue である事を再確認できましたーありがとうございます😊
ドラゴンさんには、いつも共感をいただいて心強さを感じます。
CPTSDやアディクション(強迫)など、訳のわからない苦しみに翻弄された人生でしたが、人生の前半は娘がちゃんと育って、私のようなマイナスからの人生のスタートを始めなくても良いように、それが私の人生の一番の価値としてあったことで(娘の存在に
守られていた)大きくは踏み外さずに踏ん張れたのかなと思います。人生の後半は、CPTSD概念に出会えたことや、しいては病気になったこと、そして、そこで出会えた人たちとの関わりで人生が開かれ、また新しい自分の大切な価値観に出会えて、そういうおかげで人生が支えられているのかなぁと思います。
って急にしみじみと…。
またまたビックリ‼️
“人生の前半は娘がちゃんと育って、私のようなマイナスからの人生のスタートを始めなくても良いように、それが私の人生の一番の価値としてあったことで(娘の存在に
守られていた)大きくは踏み外さずに踏ん張れたのかなと思います。人生の後半は、CPTSD概念に出会えたことや、しいては病気になったこと、そして、そこで出会えた人たちとの関わりで人生が開かれ、また新しい自分の大切な価値観に出会えて、そういうおかげで人生が支えられているのかなぁと思います。”
もしかしたら、トラウマを経験しても言葉に出来ない時期が長期に及んだ人というのは自然に次世代に自分と同じ想いをさせない様な行動をとっているのかもしれない…ってRinkoさんのコメントを読んで感じましたードラゴン🐲も全くRinkoさんと同じ想いですー我が子たちにはキチンと自分の感性を自分で確認出来る様になって欲しいとずっと思いながら子育てしてきたドラゴン🐲なのですーそのことを要所要所で確認しながら今まで来てますー結構、彼らがキチンと自分を持って着ぐるみ着る事無くハッピーで居られる現状を見てると、なんだか羨ましく感じてしまう母でもありますートラウマに気がついたのは大変遅れたけど、気がついて色んな事が違う色に見えてきた事に何かワクワク感を感じてますー知ると知らないとではよりよく生きるのに雲泥の差があると思いますーこれからも色んな事教えてください♡
ドラゴンさん、こんばんわ。
子どもの頃、末っ子の自分としてのささやかな抵抗は、心の中で心ない家族を軽蔑し、自分はそうならないと誓うことでした。
外面的には強いたげられていても、内面的には上から目線で見下していました。
その信念が、常に支えになってくれていた面と、逆に委ねることを不可能にし、なんでも自分の力でコントロールしようとすることで益々霊的な病に陥っていったように思えます。
娘が、ちゃんと自分をもって生きている姿に私の場合は羨むというよりも安堵の思いでした。娘がかつての自分のようになってしまう(不幸な)ことは、耐えがたくとてつもない恐怖です。娘の幸せそうな様子を見ると生きてきて良かった、仮にもういつ死んでもいいと思えたりします(とか言いつつまだ見ぬ孫のことを想像することもありますが)。
私の知る限り三世代女系家族の不幸物語でしたから👻