児童文学評論家で
『ゲド戦記』の翻訳でも知られる
清水真砂子さんが
もうすぐ退官を迎えられるそうです。
最終講義は
もう終わってしまったようですが
「すぐれた子どもの文学は
苦しくても生きてごらん
大丈夫、と背中を押してくれる。
みなさんもそんな一人に」
と語りかけたようです。
秘訣は…
「うんと大人で
うんと子ども
でなければならない」
やっぱり二元論を超えなきゃね
つい
子ども時代は黄金時代などと
思ったりするものですが、
清水さんは
子どもは
不自由で閉じ込められた世界
にいて
大人のように
よろいを着たりして
ごまかすすべも持たず
素肌をヒリヒリさせているのだと
再考を促しました。
現実の厳しさに
ひるみそうになっても
子どもに
「どうせ」と言わせてはいけない、
言えば楽だが、
それは最もモラルに反することである
と強調しました。
月別アーカイブ: 2010年2月
試写室 NHK歴史秘話ヒストリア 『蟹工船』と自殺対策
本日NHKでは
『蟹工船』を
とりあげるようです。
80年前の小説ですが
今とても支持されているのですね。
作者の小林多喜二は
【文学は社会を変えるもの】
という信念の持ち主でした。
劣悪な環境にあっても
人と人とのつながりあいが
いかに大切であるかが
描かれているようです。
『崖の上のポニョ』も
みんなが【一緒くた(一即多)】になって
ポニョを支援しました。
失業により
お金がなくなって
自殺者が増えたと
言われていますが、
そうではなくて
人の話をちゃんと【傾聴】しあい、
人として尊重しながら
支えあう
そういうことで
悪しき記録更新を食い止めることができることを
学びたいと思います。
まずは専門家が
人の話をちゃんと聞くことですね。
小学生のときに
ずいぶん習ってるはずなんですけどね。
PTSD物語としての『眠れる森』
昨日の朝日新聞夕刊で
1998年の連続ドラマ
『眠れる森』のロケ地が
紹介されていました。
結婚を控えたヒロインが
ある森に向かいます。
子どもの頃受け取った手紙に
「15年後森であいましょう」と
書いてあったからです。
森ではキムタクがハンモックで
寝ています。
ヒロインは過去の記憶に悩み始めます。
両親は交通事故で亡くなったと
納得するのも
簡単なことではなかったのに
交通事故ではなく
殺人事件であり、
その現場に自分がいたという
記憶が故意に消されていたと
知ります…
キムタクは
記憶の操作がいつか
賞味期限を迎えることを知っていたのですね。
なかなかすごいPTSD物語です。
復習しましょう。
①両親の死はトラウマになる可能性がある。
②①の緩衝材として記憶の操作が起こることがある。
③その記憶操作には賞味期限がある。
④賞味期限がくると苦悩が始まる。
⑤苦悩を克服するのに伴走者が必要
現状は
①「考えても仕方がない」「忘れろ」とトラウマを否認される。
②記憶の操作による現実検討能力の低下や葛藤による
エネルギーの消耗の持続
③②の状態を『適応障害』『うつ病』『発達障碍』と誤診される。
④無意識の自己治癒システム作動と間違った治療の間で
こころの海は大荒れになる。
⑤入院により間違った支援がさらに強化される。
⑥絶望が深まる
…
この先は書けません…
『崖の上のポニョ』と河合隼雄と華厳経
明恵上人は
鎌倉時代の高僧です。
鳥獣戯画で知られる
高山寺において
華厳宗中興の祖
とみなされています。
19歳~60歳まで
記された夢記があります。
夢の記録から
彼の修行のあとを偲ぶことができるでしょう。
その内的な成長過程と
PTSDに罹患し
克服しようとしている人たちの
内的成長過程は
重なると
分析心理学では考えます。
宮崎監督の
『崖の上のポニョ』も
華厳満載です。
続きを読む
『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』PTSD観のすれ違い
村上春樹は
オウムによるテロ事件や
阪神淡路の大震災に
衝撃を受け
それをトラウマ化させず
【昇華】し
たくさんの作品を生みました。
内向的な繊細さが
問題をしっかり受け止めるのですが
大変な作業の過程の途中で
必ず急激な反転が起きます。
ものすごい創作エネルギーとともに
外に向けて発信させられるのです。
(禅画【十牛図】に示されています)
ユング心理学では
【個性化の過程】と呼ぶのでしょうが
その人の人生はもはや
個人のものではなくなります。
よい意味でのさせられ体験ですね。
一方河合隼雄は
日本人はPTSDになる力がないと考え
うつ病の心理療法が必要だと考えていたふしがあります。
PTSDになる力がないのではなく
PTSDを【否認】し
クライエントにも【否認】させようとしている
というのが正しいと思います。
PTSDは【否認】すると
大暴れする特性を持っています。
大暴れしたら
クリニックを紹介されます。
クリニックでは
その人が来る前から
うつ病とカルテに書いてあります。
…
あとは【車輪の下数珠繋ぎ】の順番待ちです。
待っている間はこの世の地獄です。
村上春樹と河合隼雄
この二人の会話は
本当にかみ合っていたのでしょうか?
もはや
永遠の謎です
『崖の上のポニョ』の母にみられる壮大な癒しのイメージ
ポニョのお母さんは
大きくて
神々しいですね。
父親との対比が
強調されています。
それで
「変だ」とかいう人も
おられるんですが…
監督は
海=無意識
と明言されていますから
無意識のなかの
偉大なものの【象徴】として
あのようなイメージが登場したのでしょう。
仏教では真の自己と言います。
自我と自己という2つ軸をこころは持っているのですが
(だからややこしい!)
お父さんに象徴される
小さな自我と
お母さんに象徴される
大きな自己
です。
ポニョは
人魚姫への違和感から
生まれたのですが、
それはキリスト教への違和感でしたね。
物語全体が華厳めいていますから
やはり
毘盧遮那仏でしょうね。
サンスクリット語の
Vairocana「ヴァイローチャナ」の音訳らしいです。
宇宙仏と言われ
宇宙の真理をすべての人に照らし、
悟りに導く仏です。
大日如来とも呼ばれ
東大寺盧舎那仏
奈良の大仏さまですね。
神道のアマテラス(天照)のイメージも
習合していると思いますが、
これはまた改めてご説明したいと思います。
PTSDなどで
苦海にある人に対して
専門家が変なかかわりをして
(うつ病や発達障碍や人格障害と決め付けて
あきらめさせるなどして)
足を引っ張らなければ
無意識の中の癒しのシステムが作動して
ドラマチックな
物語とともに
生まれ変われるように
なっているのです。
もちろん
この世での話です。
監督も誰もがもつこころに存在する
魔法を表現したと明記されていますよ。
うそだと思ったら
パンフレット見てください!
『崖の上のポニョ』と華厳の網
読売新聞によると
国宝満載の
東大寺「須弥壇」は
初の本格的修理に入るそうです。
東大寺の
法華堂の
正堂には、
本尊である
不空羂索(ふくうけんさく)観音像
があります。
ポニョは
最初海底から家出した時
自力で家出するつもりでしたが、
実際は波に呑まれ
瀕死の状態で
打ち上げられ
頭に硝子瓶をかぶった状態で
ゴミと一緒に大きな網で掬われました。
そして宗介に見つけられ
ガラス瓶を割ってもらいました。
学校教育や福祉で掬われるひとは
そこで掬ってもらえばいいのです。
そこからはみ出し
零れ落ちてしまうような人
自力をつくして瀕死の状態の人をこそ
掬うものが人間のこころの深層にある
と華厳経は教え、
宮崎監督もそんな海の魔法について
描いたのです。
DVシェルターで
子どもの箱庭作品のなかに
このモチーフを見たことがあります。
(大事なものが落ちない網だ(阿弥陀?)と言って
深いことは何も知らないはずですが、
ただシャカリキ(釈迦力?)になって
作ってました
集合的無意識のなかにある
癒しの過程の普遍性に
おもわず手を合わせました。
心の中でですが…
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『崖の上のポニョ』はなぜ仏教的なのか
昨日
華厳宗大本山の東大寺
不空羂索(ふくうけんさく)観音像
のことを紹介した記事で
仏教の理論は何も
修行僧の専売特許ではなく
普通の人のこころも
システム的には
同じだと
だから
『崖の上のポニョ』が
世紀の公案アニメであり、
私もDVシェルターでの
子どもの箱庭作品に
そういうモチーフをみつけて
感動することがあるのだと
書きました。
日本語が大体
仏教的なんです。
【シャカリキ(釈迦力)】
【一緒くた(一即多)】
【ウンザリ(蘊去り)】 例)五蘊皆空
ちょっと駄洒落的に
無意識で異熟し
護ってくれています。
関心がなくても
日本語のシャワーを
いつも浴びて生きてますから
ありがたいことです。
朝日新聞『獅子頭』第一話【破除迷信】の風刺
1967晩春
貧しい家に
一人の赤ん坊が生まれ
両親は貧しい盲人のおじさんに
行く末を占ってもらいに行った。
文化大革命のただなか
【迷信を打ち破ろう!】
というスローガンに
表向きは従順に従っているが、
実際は
やはり村の古い習わしどおり
占ってもらう。
赤ん坊をぼろ布団につつむほどの貧しさでも
なけなしのお金を包んで…
これが普遍的なスタイルでしょうね。
【新型うつ病】とか
【適応障害】とか
【人格障害】とか
あれこれハイカラに誤診され
上から目線で【指導】されるばかりで
治してもらえなくても
別なところで
密かに
自分の頭で判断し
信じて行動する。
顔がいろいろあって
阿修羅像みたいだけど…
【解離】させなきゃ
克服の道を歩めないから
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朝日新聞『獅子頭』第一話とPTSDの予後予想?!
朝日新聞夕刊の新連載小説
『獅子頭(シーズトオ)』
昨日、始まりました。
二頭の獅子が躍っているところに
二順という男性がいます。
彼は妻と子の二人の手を握りながら
口笛を吹いています。
【2】の伏せんのオンパレードは
陰陽五行説らしい格調の高さ
興味深い展開が
期待できる書き出しです。
陰陽五行なんて
なんのことだ?と
思われるでしょうが…
すると…
獅子が迫ってきて
なんと二順は噛み付いた?!
トラウマとの闘いに
勇敢に立ち向かうつもりだな…
そんな気がしました。
心理療法における
野生の思考をちょっと披露してみました。
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