月別アーカイブ: 2010年2月

PTSDの治癒モデル ~映画『リング』と能の接点

昨日の朝日新聞夕刊の記事に
広島で被爆し、12歳で亡くなった
佐々木禎子さんのご親族の方への
インタビューがありました。

禎子さんは【原爆の子の像】のモデルであり
白血病の病魔からの回復を願って折鶴を折り続けた
エピソードが小説や映画になっています。

しかし禎子さんの父親は
「原爆で亡くなったのは禎子だけじゃない。
それを忘れるな」
とご家族に語っていたそうです。

私は
PTSDの普遍性について
いろいろ思いました。

まずは…
理不尽な不治の病に蝕まれたとき
人には祈りの気持ちが生まれ
それを表現しようとするんだなあ
ということです。
言葉でも音楽でも絵画でも手芸でも
いろいろありますが、
PTSD罹患者はみな
何か発信しているように
私には思えます。

そして
禎子さんの名前から
DVシェルターでお会いした
ある女性のことを思い出しました。

箱庭の砂の上に
いろんなものを置きながら
いろいろなことを語ってくれました。

出来上がった作品について
「生まれてきて
学校に行くようになって
恋をして、結婚して、
いろいろあってここにいるけど
また結婚したいな…。
でもこの井戸からサダコがでてくるかも…」

映画の『リング』のサダコのことを
イメージしているのだと思いますが、

『リング』のキャッチコピーは
「そのビデオを見ると、一週間後に死ぬ」
「サダコの遺体を井戸から引き上げて供養すれば呪いは解ける」
でした。

『ごく普通の日常の中で
PTSDに罹患し
精神的な死を体験しましたが
無意識にある普遍に触れたら
死から再生できる気がします。
でもちょっと怖いなあ。
一緒に見ていただけますか?』
というその人の無意識からの
メッセージだったような気がします。

これは【お能】なんかにもある
日本文化に普遍的なストーリーです。

お能では旅の僧が
話を聞いて成仏させるのが
お決まりのパターンですね。
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C.G,ユングの【崖の上】イメージ

ある日のユングの夢です。

「私は汚い、すすけた町にいた。
冬の夜で、暗く、雨が降っていた。
私はリバプールにいた。
私は何人かのスイス人
―まず6人くらい―と
暗い通りを歩いていた。
私たちは港からやって来つつあり、
本当の町は崖の上にあるのだと感じていた。
私たちはそこを上っていった。
それは私にバーゼルの町を思い起こさせた。
バーゼルでは市場が下の方にあり、
トーテンゲッシュ(死の道)を通って上り
それは上方の広場、そして、
ペーテル広場やペーテル教会へと通じている
…」

信じようが信じまいが
望もうが望むまいが
人間は誰でも
どこに住んでいようが
それとは別に
どこか(無意識的には?)
【崖の上】にいることへの気づきでしょう。

気づかなければ平凡な人生になりますが、
気づかされてしまえばある種地獄です。

教会に象徴されるような宗教や哲学に興味をもったり
その結果広い世界に抜け出るには
死の道ともいうべき地獄を通過しなければならないんですね。
それは普通の人が暮らす日常でもあるのですが。

牧師の息子ユングが
禅の【百尺竿頭】に気づいたのは
このころ出会った中国の影響でしょう。

ただ
ユングが百尺竿頭を越えたかどうか…
これはまた別の問題ですから
じっくり考察してゆきましょう。
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C.G,ユングの自己治癒モデル

ユングという心理学者は
こんなことを書き残しています。

「私の著作は常に
一種の運命的な出来事
であった。
書きすすんでいる間に、
何か予測し難いことがあり、
私は何らかの前もって定められたコースを、
自分自身に指示することができない。

かくて、
この『自伝』も、
今や最初私が思っていたのとは
大分異なった方向をたどりつつある。

私の幼児期の記憶を書きとめることは、
私にとって必要なこととなった。
私がその仕事を一日でも休むと、
不愉快な身体症状が直ちに生じる。

私が仕事につくや否や、
症状は消え去り、

私の頭の中は完全にすっきりとするのである

PTSDに罹患したときは
自分でも自分の舵取りができません。
ましてや専門家といえども
自分に指示をすることなど不可能でしょう。

思いつくことにただただついてゆくのです。

ユングも最初は相当抵抗しています。
しかし、最後にはあきらめて師事しました。

師事なんて面白いことを言いますね。
カウンセラーに師事するのではないですよ。
(念のため…)

ユングの場合は幼児期の記憶や絵画表現などでした。

ポジティブな【解離】にシフトすると
【自己治癒力】が作動し始めます。

それを続けてよいのかどうか
それはブルーの字で書かれた部分が
目安になります。

何らかの創作活動をしている人は幸いです。
克服の途上にあると思います。
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雅子妃の象徴性

PTSD研究家翠雨の日記
本当につらいのに…
性格の悪さで
ここまでできるはずがないのに…
あんなに聡明で
エネルギーに満ち溢れた方だったのに
どうしちゃったんだろう?
なぜだろう?
と想像力を働かせられないほうが
どうかしてますよね。
最近公開された主治医のカルテによれば
回復の兆しは
【自力】によるものらしいですね。

河合隼雄のPTSD観

村上春樹の本があまりに売れるので
なぜなのか?
とても関心をもった。
とはいえ作品を読み通す時間もないので
書評をあれこれ見ていて
興味深いものを見つけた
『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(新潮文庫、1999)
を読んだ人の書評です。
括弧つきで引用しているから
読み間違いとかではないと思われます。
河合隼雄氏は言う
日本人は PTSDがおこりにくい。
『日本人の場合は衝撃を個人で受け止めなくて、
全体で受け止めるのですよ。・・・
つまり それをがっちり一人で受け止めて悩む力がない
という言い方も出来ます』

それで
晩年は
学会のワークショップで【うつ病】を
取り上げておられたのですね。
河合先生の会場だけ
一桁多い学会員が集まっていましたねニコニコ
日本人にPTSDが起こりにくいとの予言は
見事にハズれましたね。
現在日本では
【解離】による
【自傷他害】ばかりです。
あっちを向いても【解離】
こっちを向いても【解離」
しかし、
個人ではなく全体で受け止めるというのは
【うつ病誤診】や
まともな医療を提供せず
【自力】で解決させるスタイルを
社会全体で温存させている現実に
確認できます。
年間3万人の魂の玉砕という犠牲の上に
成り立つ恐ろしいシステムです。

村上春樹とPTSD

村上春樹は
1995年1月に起こった阪神・淡路大震災と
3月に起こった地下鉄サリン事件に
衝撃を受け、
同年8月には
『ねじまき鳥クロニクル 第3部』を
1997年には
地下鉄サリン事件の
被害者へのインタビューをまとめ
ノンフィクション『アンダーグラウンド』
を刊行しています。
村上春樹の作風の背後には
PTSDがあるようです。
病気になるのではなく
トラウマを作品として表現し
【昇華】することで
自身を護ったのです。
それまで内向的な作風で
社会に無関心な青年を描いてきた村上が
社会問題を真正面から題材にしたことで
周囲は驚きました。
村上の創作意欲はさらに
1999年の
『アンダーグラウンド』続編の『約束された場所で』
2000年には神戸の震災をテーマにした連作集
『神の子どもたちはみな踊る』を
彼に描かせました。
社会的な出来事を
題材に取るようになったことについて
村上自身は
コミットメント(かかわり)
ということについて
最近よく考えるんです。
たとえば
小説を書くときでも
コミットメントということが
ぼくにとっては
ものすごく大事になってきた。
以前はデタッチメント(かかわりのなさ)
というのが
ぼくにとっては
大事なことだったんですが」
と語っている。
デタッチメントからコミットメントへ
PTSDに苦しむ人たちもまた
つながりを求めて
さまざまな表現をしています。
村上春樹爆発的流行は
潜在的PTSDの多さを
暗示していると思います。

『崖の上のポニョ』と河合隼雄と華厳経

PTSD研究家翠雨の日記
明恵上人は
鎌倉時代の高僧です。
鳥獣戯画で知られる
高山寺において
華厳宗中興の祖
とみなされています。
19歳~60歳まで
記された夢記があります。
夢の記録から
彼の修行のあとを偲ぶことができるでしょう。
その内的な成長過程と
PTSDに罹患し
克服しようとしている人たちの
内的成長過程は
重なると
分析心理学では考えます。
宮崎監督の
『崖の上のポニョ』も
華厳満載です。

『崖の上のポニョ』と華厳の網

読売新聞によると
国宝満載の
東大寺「須弥壇」は
初の本格的修理に入るそうです。
東大寺の
法華堂の
正堂には、
本尊である
不空羂索(ふくうけんさく)観音像
があります。
ポニョは
最初海底から家出した時
自力で家出するつもりでしたが、
実際は波に呑まれ
瀕死の状態で
打ち上げられ
頭に硝子瓶をかぶった状態で
ゴミと一緒に大きな網で掬われました。
そして宗介に見つけられ
ガラス瓶を割ってもらいました。
学校教育や福祉で掬われるひとは
そこで掬ってもらえばいいのです。
そこからはみ出し
零れ落ちてしまうような人
自力をつくして瀕死の状態の人をこそ
掬うものが人間のこころの深層にある
と華厳経は教え、
宮崎監督もそんな海の魔法について
描いたのです。

PTSD研究家翠雨の日記
DVシェルターで
子どもの箱庭作品のなかに
このモチーフを見たことがあります。
(大事なものが落ちない網だ(阿弥陀?)と言って
深いことは何も知らないはずですが、
ただシャカリキ(釈迦力?)になって
作ってました目
集合的無意識のなかにある
癒しの過程の普遍性に
おもわず手を合わせました。
心の中でですが…

医学部新設に反対-学部長会議

 医大学長、医学部長らでつくる
全国医学部長病院長会議
(会長・小川彰岩手医科大学長)は
22日、
民主党と政府に提出したと発表しました。

反対の理由は
教員確保のために
地域病院から医師が引きはがされ、
地域医療を崩壊させる」からです。

会議は
医学部のある全80校の学長、学部長と
付属病院長の計160人で構成されています。
要望書では、
医学部一つの運営に
650人程度の臨床教員が必要で、
30~40代の病院勤務医が
候補になるということです。

人口100万人当たりの勤務医数は
大学病院を除くと約960人であることから、
「新設すれば、
100万人規模の県の勤務医を
3分の2以上現場から連れ去る

と批判しました。

同様の理由で、
既存医学部の定員急増にも
懸念を表明しています。
最近の入学定員増の
効果がまだ出ていない現状でも
医師数が増えていると強調し、
いったん設備投資や教員雇用をした後
で定員削減するのは難しいとの
訴えです。

精神科領域で言えば
不足しているのは
医師ではなく
正しい診断
です。
その背景に正義感と科学性の欠如があります。

うつ病の殆どが誤診だと
通告されながら
事実を【否認】し
3万人の自殺者との関係は不問にする。
悪魔ばかり増やしても仕方がありません。
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朝日新聞『獅子頭』第一話【破除迷信】の風刺

1967晩春
貧しい家に
一人の赤ん坊が生まれ
両親は貧しい盲人のおじさんに
行く末を占ってもらいに行った。
文化大革命のただなか
【迷信を打ち破ろう!】
というスローガンに
表向きは従順に従っているが、
実際は
やはり村の古い習わしどおり
占ってもらう。
赤ん坊をぼろ布団につつむほどの貧しさでも
なけなしのお金を包んで…
これが普遍的なスタイルでしょうね。
【新型うつ病】とか
【適応障害】とか
【人格障害】とか
あれこれハイカラに誤診され
上から目線で【指導】されるばかりで
治してもらえなくても
別なところで
密かに
自分の頭で判断し
信じて行動する。
顔がいろいろあって
阿修羅像みたいだけど…
【解離】させなきゃ
克服の道を歩めないからべーっだ!