月別アーカイブ: 2010年2月

ポニョTVデビューの視聴率は29.8%

金曜ロードショー『崖の上の上のポニョ』のTVデビューの視聴率は29.8%だったそうです。

たくさんの人が見たんですね。
同日、政府が出した自殺予防対策緊急プランより、ポニョの緊急デビューのほうが、絶望する人々を引き止める力があると思います。
 
『崖の上のポニョ』のストーリは…
海沿いの崖の上に住む5歳の少年宗介が、さかなの子ポニョと出会い、心を通わせる物語です。
ポニョは家出しようとしますが、一度は成功しても、すぐ父フジモトに海へと連れ戻されてしまったりして容易ではありません。でもあきらめないでいると、「魔法」が使えるようになって、願いが叶いました。

変わりたいと思っている人にとって、心を通わせることのできる存在は貴重です。
心理学ではラポートと言います。心と心に橋をかけるんですね。
安心して思ったことが話せる関係を意味しています。
これがありそうでなかなかないのです。
PTSDに苦しむ人たちへの支援には宗介のような素直な存在が不可欠です。
要するに何も難しいことではなく、相手の言っていることを否認したり否定したり無視したりするのではなく【傾聴】することですから、実は5歳の子どもでもできることなんです。
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摂食障害とかぐや姫イメージ

摂食障害とかぐや姫には密接な関係があることが知られています。
牛島定信『神経性無食欲症にみるかぐや姫コンプレックス』(季刊精神療法 1987)なんかに書かれています。
食べないというより
食べられない…。
なぜでしょうか。
ゆっくり考える必要があります。
たとえば…
人間は食べなくては生きられないという常識の一方で
【断食】する人々もいます。
世界三大宗教の開祖はみな
断食をすることで
新しい宗教を創造しました。
それで修行や通過儀礼ではよく断食をします。
1つの【魔法】みたいな【秘儀】なんですね。
われわれの無意識は経験したことだけでできているわけではなく
(呼吸の仕方を習ってから生まれてきましたか?)
何か行き詰ったら断食せよ!とあらかじめインプットされているのです。
整形逃亡の果てに逮捕された市橋容疑者は2週間も食を拒否しました。
食べなかったのではなく
食べられなかったのですね。
【急性PTSD(ASD)】です。
逮捕されたのがショックだったんですね。
食べ方がわからないのではなく、PTSDという原因があって、【解離】のために食べられなかったのです。
摂食障害の心理治療は個性化の過程として取り扱われるべきですが、
残念ながら市橋容疑者同様【わがまま】扱いがまかり通っています。
(もちろん犯罪はいけませんが、
現在の本人の行動までがすべて間違っているわけではありませんね)
せっかくかぐや姫のイメージが表現されて
『先生、私はかぐや姫なんです』
と打ち明けても、
本来あるべき静かに輝く月の世界に返してもらえない(個性化されない)で
知的障害・適応障害に嵌め殺される。
『食べ方くらい知ってますよお!』
『わがままじゃないですよお!』
叫ぶ声が聞こえてきます。
そういうわけで摂食障害の人たちはあんまり病院に行かないのです。
死にたくないからです。

見えないものに橋をかける

美智子さまの御著書『橋をかける』のサブタイトルは…
『子供時代の読書の思い出』
一方『崖の上のポニョ』のパンフレットにある監督企画意図の最後は
こう結ばれています。
『少年と少女、愛と責任、海と生命、
これ等初源に属するものをためらわずに描いて、
神経症と不安の時代に立ち向かおうというものである。
                           宮崎 駿』
見えないものにも
橋は架かります。
それ(ラポート)は
奇跡を呼ぶ魔法でもあります。
監督企画意図にも書かれています。
『魔法が平然と姿を現す世界。
誰もが意識下深くに持つ内なる海と、
波立つ外なる海洋が通じ合う』
誰もが持つ無意識の世界での現実について描かれているのです。
特殊な人の特殊な話ではありません。
絵空事ではありません。

まっすぐな男と曲げられない女が基本

『崖の上のポニョ』は
5歳の少年宗介が、さかなの子ポニョと出会い、心を通わせる物語です。
5歳に何ができる?!と
思われるかもしれません。
しかし宗介がまっすぐさを貫くことが
ポニョのまっすぐさとリンクすると、
お母さんのリサや
デイケアセンターのおばあちゃんたちなど
周囲の人が変化し
応援してくれるようになりました。
それは嵐を呼ぶような大変化で
なんとポニョのお父さんフジモトまで改心させました。
まっすぐな【橋】が1つ架かると
いろんなものにつながり
それらの力も得ながら
大きく変化してゆけるのだと思います。
宗介ひとりの力ではないけど
宗介ひとりの力です。
最近のTVでも
『まっすぐな男』と
『曲げられない女』が
別のテレビ局で同時進行中です。

こころが通うと魔法が使えるようになる

『崖の上のポニョ』のストーリは…
海沿いの崖の上に住む5歳の少年宗介が、さかなの子ポニョと出会い、心を通わせる物語です。
ポニョは家出しようとしますが、一度は成功しても、すぐ父フジモトに海へと連れ戻されてしまったりして容易ではありません。でもあきらめないでいると、「魔法」が使えるようになって、願いが叶いました。
【ラポート(心を通わせる)】で【魔法】が使えるようになります。
魔法とは何か。
ブリュンヒルデという名前から、ポニョという名前に変わることです。
生まれ変わるんですね。
もちろんこの世で!
昔の日本人はよく名前を変えたようです。
子どもから大人になる時や襲名、僧籍に入るとき、あるいはそれを踏襲したのでしょうが、
茶道や華道、書道など【道】のつくようなお稽古事にもそれは見られます。
【翠雨】もそんな名前です。
【無我】っていうのはそういうことのようですね。
難しいことではなく、その場その場で生まれなおす。
それが本当に生きているということです。
一日のなかでも自分のことを
「私が」と呼んでいるかと思えば、
携帯に出るとたちまち「俺?」
家に帰ると「お父さんはねえ」
というように、ころころ変わります。
日本人特有ですね。
相手にあわせ、立場にあわせ、状況にあわせ…
なかなか凄い芸当です。
自分の誕生を祝福してくれ、名前をつけてくれた親には感謝するけれど、
そのときこめられた願い(第一の名前)だけで生きていくには
人生は長すぎる。
そして『崖の上のポニョ』って名前は【公案】でしたね。
魔法といってもありもしない魔法ではなく
難しいけど、答えのある問題を解くことなんです。
PTSDに罹患すると、お坊さんでなくても【公案】に取り組むようになります。

発達障碍と箱庭

【発達障碍】の診断が安易に行われすぎていると書きましたが、
箱庭療法の学会のワークショップのパンフレットを見ていたら
わかりやすいのがあったので抜粋します。
箱庭っていうのは、砂箱のなかにおもちゃをおいて表現しながら自己治癒する方法です。

今年のはまだ手元にないので昨年のものです。
(ちなみにワークショップは学会員でなくても参加できます)

F会場の案内
発達障害と箱庭
発達障害における箱庭といっても、自閉スペクトラムの軽症のものから重症のものに至るまで、幼児から大人に至るまで、多様である。このワークショップではその多様性を解釈すると同時に、個別の事例の検討を行いたい。

J会場の案内
発達障害スペクトラムの箱庭療法
発達障害のクライエントの箱庭は、非常に表面的で内容が乏しかったり、ひとつの作品としてまとまらなかったり、逆に多視点的にたくさんのアイテムが放り込まれたり、各々の回で置かれる箱庭が同一人物によるものには見えなかったり、「自分のなさ」や「おはなしにならなさ」がその特徴としてあるように思える。このワークショップでは、そのような箱庭を通して発達障害スペクトラムのクライエントにどのような心理療法的アプローチが可能か模索する。

なんと14会場のうちの2つが【発達障碍】です。
増えているでしょう。
Fの講師がいっしょくたにしているでしょう。
Jの講師は【解離】を知らないんですかね。知ってたらPTSDであって【発達障碍】ではないですね。

そしてロールシャッハについての会場が1つあります。
箱庭研究と関係ありますが、スコアリングの仕方を教えてくれるらしい。
それならロールシャッハテストの学会で勉強したらいいのに。

もちろん【PTSDの箱庭療法】なんてのはありません。
(一年前には【DVと箱庭】がありましたが、昨年消えました)
ロールシャッハテストのスコアリングは教えても、PTSDは教えないんですね。
関心がないのでしょうか?

どうですか。
PTSDは否認されているでしょう?!
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うつ病?

うつ病の診断もなんか変ですよね。

うつ病も増えすぎてます。

内因性の病なのに。日本人はなんか悪いもんでも食べてるんですか?

薬が効かないそうですが、そんなのうつ病って呼べるんですか。
唯一の判断基準でしょう。
薬屋さん研究をさぼってるんですか?
違うでしょう。
毎年新薬が開発されてるでしょう。
私も心理検査で治験に参加させてもらいましたよ。

圧巻は①好きなことはできるけど
   ②嫌なことはできない

昔スチューデントアパシーって呼ばれた人たちがいたけど、それは
①バイトやサークル活動はできるけど②正業(勉強)はまったくできない。

それを【解離】っていうのでしょう。
昔はアパシー(無気力)と名づけるセンスがあった。
今は、【新型うつ病】とか【バイポーラ】とかでたらめもほどほどにしてほしい。

解離が起こるほどのストレスを経験したのでしょう。
DV・虐待・いじめ +周囲や専門家からの二次被害…
充分でしょう。
そんなので病気になるのは弱い?
いい加減にしてください。
そんなことを言えるあなたは【解離】していますよ!

  
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こどもの発達障碍だって

【おとなの発達障碍】が増えすぎていると書きました。
その際に、子どものとき【発達障碍】と診断された人のことに触れませんでしたが、
これとてよーく観察しなければなりません。

子どもの(本来の意味での)発達障碍も増えすぎです。
知恵おくれと呼んでいたものが、よくない言葉だとして【精神発達遅滞】と呼ばれるようになり、遅滞とは何だということで、【知的障碍者】と呼ぶようになりました。
知恵遅れは失礼だというセンスもいつの間にか消えようとしています。
昔はそういう子たちと自閉症などの情緒障碍とは区別(もちろん境界域の子どもはいました)していたものです。児童相談所でのグループセラピーでは、そもそも通うグループが違い、それぞれに応じた対応がありました。今はなんかごちゃまぜになっている感じがします。

そして虐待が増えていますね。
虐待されて平気な子はいません。
おとなの変質者も増えましたね(PTSDの可能性はありますが)。
いたずら(暴力というべきです)されて平気な子はいません。
いじめもふえましたね。
社会不安もありみんな余裕がありませんね。
ごはんがおなか一杯食べられない子もいます。
病気になっても保険証のない子もいます。
両親がいつ離婚するのか気が気でない子も多いです。

PTSDに罹患していないかどうかの判断はしなければなりません。
PTSDに罹患している場合は発達障碍とは言いません。
トラウマに焦点を当てれば、社会生活もお勉強もできるようになります。
知的障害者としてドリルをいくらさせてもだめです。
ショックのあまりよけい悪化し回復が遅れます。
もちろんなまけもの扱いをしてはいけません。
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おとなの発達障碍ってどうですか

大人の発達障碍って診断されてる人が結構いますね。
なんか変ですよ。
その人でなくて、そういう診断する人がですが…。
なんか安直に診断してる気がする。

なんと言っても数が増えすぎている。
そして子どものときに発達障碍と診断されて大人になった人以外に
子どものとき普通で(あるいは成績とかよくて友達もいて)大人になってから発達障碍と診断されている人がいたりする。
昔はそんなでたらめ言うのが恥ずかしいから、【早発性痴呆】とかと、ごり押しながら一応言葉を択ぶセンスがあった。もちろん痴呆でもないし、統合失調症でもないです。統合は失調(解離)しているけど。
平気でその場しのぎの判断を押し付けて恥ずかしくないのだろうか。

おそらく知能テストの結果とか日常生活の様子の聞き取りとかから判断したのでしょうが、
失恋して悲しいとき、授業中、先生の声が耳に入らないなんてことがあるのを
ご飯が食べられなくなる人がいるってことを知らないのかな。
そういうことがわからない人こそ重症の【発達障碍】じゃないのかな。

トラウマがある場合は、発達障碍なんて言ってはいけないと思います。
PTSDと診断する→心的外傷後ストレス障碍だから、心的外傷(トラウマ)に焦点をあてなければ治癒しない→自分にはできない→馬脚があらわれる→発達障碍でいいや!統計的に増加しているんですって言っとけば、やつらは数と科学にはだまされやすいから…

なんか聞こえてくる気がするんですけど、空耳でしょうか。
そろそろそういう歳なんで…
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