順教尼は
絶望の淵で
小鳥の親子の姿に
はっとしました。
ひらめいたのです。
そこからは一直線です。
庭で掃除をしていて
山で芝刈りをしていて
悟ったお坊さんもいるそうです。
こんな環境で続けられるだろうか
誰もが思うようです。
でも後から思えば
必要なものは必ず与えられた
一本道が敷かれていたとわかるそうです。
病即自己実現です。
知恵が足りないための適応障碍と診断されると
回復の過程が混乱します。
しかし、そのような例が多いです。
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順教尼は
絶望の淵で
小鳥の親子の姿に
はっとしました。
ひらめいたのです。
そこからは一直線です。
庭で掃除をしていて
山で芝刈りをしていて
悟ったお坊さんもいるそうです。
こんな環境で続けられるだろうか
誰もが思うようです。
でも後から思えば
必要なものは必ず与えられた
一本道が敷かれていたとわかるそうです。
病即自己実現です。
知恵が足りないための適応障碍と診断されると
回復の過程が混乱します。
しかし、そのような例が多いです。
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金曜ロードショー『崖の上の上のポニョ』のTVデビューの視聴率は29.8%だったそうです。
たくさんの人が見たんですね。
同日、政府が出した自殺予防対策緊急プランより、ポニョの緊急デビューのほうが、絶望する人々を引き止める力があると思います。
『崖の上のポニョ』のストーリは…
海沿いの崖の上に住む5歳の少年宗介が、さかなの子ポニョと出会い、心を通わせる物語です。
ポニョは家出しようとしますが、一度は成功しても、すぐ父フジモトに海へと連れ戻されてしまったりして容易ではありません。でもあきらめないでいると、「魔法」が使えるようになって、願いが叶いました。
変わりたいと思っている人にとって、心を通わせることのできる存在は貴重です。
心理学ではラポートと言います。心と心に橋をかけるんですね。
安心して思ったことが話せる関係を意味しています。
これがありそうでなかなかないのです。
PTSDに苦しむ人たちへの支援には宗介のような素直な存在が不可欠です。
要するに何も難しいことではなく、相手の言っていることを否認したり否定したり無視したりするのではなく【傾聴】することですから、実は5歳の子どもでもできることなんです。
PTSDの孤独と苦しみには計り知れないものがあります。
つらいことがあったとき相談できそうな人として思い浮かべるイメージってありますよね。
①女性同士
②親
③友達
これまでは
それなりに会話できていたはずなのに
PTSDに罹患した途端
『アナタァ・日本語・ワカリ・マッスカ?』
って言いたくなるようなコミュニケーション不全が始まります。
どうも悪気はなさそうなんだけど
理解しようとしてたらしいんだけど
誰のせいというわけでもなく
心が通じない。
『不思議の国のアリス』状態です。
さらに
④こころの専門家
いくら何でも理解するでしょう。
『みんな変よねえ』って言ってくれそうですが、
現状は…
⑤PTSDに罹患した人たち
同じ苦しみのなかにいるのだから
何も言わなくても理解しあえそうですよね。
しかし本当に深く繋がれるのはPTSD克服後というのが現状です。
仲介者がいたらなんとか繋がれますが
それは④になるので…
克服後は、社会活動とかに没頭していて
孤独とは無縁でしょう。
要するに一番つらいとき
みんな孤独のようです。
でもアリスは必ず夢から覚めます。
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人魚姫は声を失って
海の泡と消えましたが、
大石順教尼は両腕を失いながら
書画を描き(こころの手が生えたのです)、同じ境遇にある女性を支援しました。
ポニョも
「足が欲しい」と念じていたら
必要なときに
足が生えて、海の上を駆けて宗介に会いたいという念願がかないました。
物語は荒唐無稽に見えて
現実的な哲学にあふれています。
それで心理学では物語を分析しながら
クライエントの魂の意図を探るのです。
西洋の物語と日本の物語では
背景にある宗教観や哲学が違うのです。
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大石順教尼の生涯はドラマにもなっています。
たまたまTV大阪で観ました。
昔放映されたドラマシリーズのなかにそれはあり
若き日の市原悦子さんが順教尼を演じていました。
『わが母は聖母なりき』
だったか、そんなタイトルだったように記憶しています。
『あかんたれ』という丁稚奉公の苦労を昇華したようなお話から
このシリーズの放映を知り
なんとなく観ていましたが、
今思えば
世の中には暴力や理不尽なことが多く
PTSDに罹患する可能性は相当高いけれど
そして、なかなか理解されず
よけいにいじめられたりすることもあるけれど
あきらめなければ必ず道が開けるとのメッセージだったのかもしれません。
PTSDに罹患すると人生はドラマチックにならざるを得ないのでしょう。
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順教尼の話の続きです…
事件から3年後の巡業中のある日
鳥篭の中のカナリヤを見て心を打たれました。
親鳥が雛に口で餌を運んでいる姿です。
凡人にはなんということもない光景です。
しかし傷つき絶望の淵にある順教尼の目にはこう映りました。
『鳥は手が無くても一所懸命生きている!』
順教尼は、筆を口にくわえ
書画の苦しい修行をし
学問をし
明治45年(1912)には日本画家の山口草平と結婚し一男一女の母となりました。
関東大震災に遭遇したり、夫と離婚したりしますが
昭和に入った頃から「堀江事件」の犠牲者等の冥福を祈るために仏道生活に入りました。
そして自身と同じように身体に障碍をもつ女性の収容と教育を始めました。
昭和8年(1933)には、出家・得度し
昭和11年(1936)には、勧修寺境内に身体障害者福祉相談所を開設、昭和26年(1951)に仏光院を建立しました。
書画では昭和30年(1955)日展に入選し
昭和37年(1962)、日本人初の世界身体障害者芸術協会の会員に選ばれています。
身体障害者の心の母、慈母観音と慕われた生涯でした。
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大石順教尼は日本中を震撼させた話題の事件の被害者です。
しかし、身障者となった自身の姿を見世物として
寄席や地方巡業で生計を立てながら
両親を養ったそうです。
なんということでしょう。
PTSDを癒されるどころか
傷口に塩を塗られるような日々ではないですか。
現在のPTSD罹患者の境遇もさしたる違いはないと思います。
確かに臨床心理学などというものがあり
トラウマやPTSDというものが周知のものとなりはしましたが
またDVシェルターなんてものもないことはありませんが
そのPTSDの孤独と苦しみは順教尼のそれとなんら変わりがありません。
PTSDだけでもつらすぎるのに
まともな治療が施されるどころか
誤解され
殆どキワモノ扱いされることも珍しくありません。
平成の世にも見世物としての順教尼がたくさんおられます。
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【発達障碍】の診断が安易に行われすぎていると書きましたが、
箱庭療法の学会のワークショップのパンフレットを見ていたら
わかりやすいのがあったので抜粋します。
箱庭っていうのは、砂箱のなかにおもちゃをおいて表現しながら自己治癒する方法です。
今年のはまだ手元にないので昨年のものです。
(ちなみにワークショップは学会員でなくても参加できます)
F会場の案内
発達障害と箱庭
発達障害における箱庭といっても、自閉スペクトラムの軽症のものから重症のものに至るまで、幼児から大人に至るまで、多様である。このワークショップではその多様性を解釈すると同時に、個別の事例の検討を行いたい。
J会場の案内
発達障害スペクトラムの箱庭療法
発達障害のクライエントの箱庭は、非常に表面的で内容が乏しかったり、ひとつの作品としてまとまらなかったり、逆に多視点的にたくさんのアイテムが放り込まれたり、各々の回で置かれる箱庭が同一人物によるものには見えなかったり、「自分のなさ」や「おはなしにならなさ」がその特徴としてあるように思える。このワークショップでは、そのような箱庭を通して発達障害スペクトラムのクライエントにどのような心理療法的アプローチが可能か模索する。
なんと14会場のうちの2つが【発達障碍】です。
増えているでしょう。
Fの講師がいっしょくたにしているでしょう。
Jの講師は【解離】を知らないんですかね。知ってたらPTSDであって【発達障碍】ではないですね。
そしてロールシャッハについての会場が1つあります。
箱庭研究と関係ありますが、スコアリングの仕方を教えてくれるらしい。
それならロールシャッハテストの学会で勉強したらいいのに。
もちろん【PTSDの箱庭療法】なんてのはありません。
(一年前には【DVと箱庭】がありましたが、昨年消えました)
ロールシャッハテストのスコアリングは教えても、PTSDは教えないんですね。
関心がないのでしょうか?
どうですか。
PTSDは否認されているでしょう?!
先に、大石順教尼について紹介しましたが
根本問題はDVです。
順教尼は、明治21年の大阪・道頓堀の生まれで
15歳で芸妓への道を選び、「山梅楼」の中川万次郎という人の養女となりました。
悲劇はその山梅楼で明治38年6月21日に起こりました。
養父となった万次郎は、妻の駆け落ちから酒に溺れて狂乱し、殺傷事件を起こしたのです。
被害者は、逃げた妻の母親、弟、妹、養女にしていた二人の芸妓の5人です。
日本中を震撼させたこの恐ろしい悲劇で、順教尼ただ一人一命を取り留めました。
しかし17歳にして両腕を切断され、顔にも切り傷を受けました。見えないので見落とされがちですが、こころの傷(トラウマ)も並大抵のレヴェルではなかったでしょう。
芸の道を志したつもりが、PTSD克服への生涯へと変換させられました。
この道は一本道です。
渡るのも危険であり、途中にあるのも危険であり、ふりかえるのも危険であり、身震いして足をとめるのも危険である。 ニーチェ
どんなに怖くても不安でも、生きるためには渡りきるしかないんです。
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うつ病の診断もなんか変ですよね。
うつ病も増えすぎてます。
内因性の病なのに。日本人はなんか悪いもんでも食べてるんですか?
薬が効かないそうですが、そんなのうつ病って呼べるんですか。
唯一の判断基準でしょう。
薬屋さん研究をさぼってるんですか?
違うでしょう。
毎年新薬が開発されてるでしょう。
私も心理検査で治験に参加させてもらいましたよ。
圧巻は①好きなことはできるけど
②嫌なことはできない
昔スチューデントアパシーって呼ばれた人たちがいたけど、それは
①バイトやサークル活動はできるけど②正業(勉強)はまったくできない。
それを【解離】っていうのでしょう。
昔はアパシー(無気力)と名づけるセンスがあった。
今は、【新型うつ病】とか【バイポーラ】とかでたらめもほどほどにしてほしい。
解離が起こるほどのストレスを経験したのでしょう。
DV・虐待・いじめ +周囲や専門家からの二次被害…
充分でしょう。
そんなので病気になるのは弱い?
いい加減にしてください。
そんなことを言えるあなたは【解離】していますよ!